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生きる気がない。というのは一部のVRCのフレンドとかには言っていることで要するに死にたい。 死にたいといっても自殺願望があるわけじゃないくて、死かそれ以外か選べって選択肢を出されてその死に苦しみとかが付随しないなら死を選ぶ、程度の話で、自発的によし死ぬぜ!!とかはできない。残念ながら。 なんでこんな話を急に書き出すかというとそろそろ限界だからだ。リアルの生活が。バーチャルに居場所を作ったところで結局それは私の逃げにしかならなくて寿命は引き延ばされたかもしれないがリアルが充
ここ最近食欲がなかった。 正確に言えば「美味しいものが食べたい」という欲求が強くて、空腹を満たすためだけの適当な食事に飽きていた。 これがまた結構厄介で、それでも一応好きなものは食べていたのだけどそれ以上に、要するに大好物が食べたくてしょうがなくて、それ以外を食べてもなんだか満たされなかった。空腹はおさまるのに満たされない感じがどうにも気持ち悪くて、どうしたものかと思っていた。 とりあえず醤油ラーメンを食べに行ったのだが醤油ラーメンではダメだったらしい。2件別のラーメン
引っ越しやらなんやらで疲れていてまともに文章が書けないが思うところあったのでリハビリがてら書いてみる。 このことについてツイッターで少し呟いたことがあったのだけど、「死にたいんだよな」と言うと「生きるべきだ」と空リプされた。 私のパートナーは「生きること」を強いてこなくて、もし私が死ぬことを選んだとしても君の選択なら尊重するよ、と言ってくれている。できれば生きていて欲しいけど、と言う。 この私の意見を尊重してくれるのが本当にありがたくて、私は常日頃から日常的に死にたいと
最近カタシロという対話型1対1TRPGをいろんな人にやりまくっている。 驚天動地俱楽部のディズムさん(@DizmKDC)が作成されたシナリオで、なんというか哲学的な内容となっている。気になった方はYoutubeのディズムさんのチャンネルをチェックだ。シナリオプレイ動画があるので完全なるネタバレだが。 ネタバレは回避したいので具体的な内容は書かないが、生きるということについて考えさせられる内容となっている。 んでこないだVRChatのイベント、哲学カフェのテーマが「よく生き
最近生きさせられている、と感じる。生かされている、というよりは生きさせられている。 4月頃に闇闇な記事を投稿したが、その後なんだかんだでなんとかなってしまっている。 残念とまでは思わないが不思議でしょうがない。 特にここ最近、本当に最近、無茶苦茶な速度で展開が起きている。私の中で。神様的な存在がてめぇもうちょっとそこにいやがれとなんとかしようとしているかのように。 楽しいんだけど、楽しいから嬉しいんだけど、逆に疲れる。 死にたいと思う暇もなくなってけれどそこまで忙しい
しにたみくんは、いつも私の傍にいてくれる。 朝目が覚める。セットしたアラームが鳴る前に起きてしまって、のろのろと手を枕元のスマホに伸ばし、手に取ってアラームを解除する。はぁ、と欠伸ではなく溜め息をついて、私は起き上がる。 また〝今日〟が来てしまった。 いつもと同じ繰り返しの今日。さして変わることもない今日。布団の上でぼーっとしながら、空虚な頭の片隅で、絶望を感じている。そんなときしにたみくんは語り掛けてくる。彼はいつも私と同じ時間に目を覚ます。 「おはよう。今日も始
先日知人が自殺未遂をしたらしい。 「今までありがとう」というテンプレ文が送られてきてその後電話に出ず、行ってみれば大量の錠剤の空とまるで眠るように寝転がっていた知人がいたそうだ。 結局飲んだ薬の量と成分が大したことなかったので命に別状はなく、死ぬこともなく、とりあえず入院という運びになった。 私は多少驚いたものの酷く冷静で、「この人が私より先に自殺しようとするとは思わなかったな」とやけに冷めた頭で思っていた。 私より先に周りの人が死ぬビジョンがまったくもって見えない。
「君は相変わらず物事を考えすぎるきらいがあるようだ」 久しぶりにうちへ帰ってきた彼女は、一人で二人掛けのソファーを占領しながらそう言った。くぁぁ、と欠伸をしてごろりと仰向けに寝転がる。 「君が考えなさ過ぎるんだ」 「私は私だよ下僕くん。とりあえず食事を用意してくれたまえ」 ふふん、と彼女は鼻で笑った。毛づくろいをしながらにゃおんと鳴き、ごろりとうつ伏せになる。僕はそんな彼女を横目で見ながら、お皿にじゃらじゃらとキャットフードを注いだ。 「君はいいな。気まぐれに生きられて」 「
希死念慮を説明するとき私はいつも選択肢の話をする。 希死念慮を抱く人全員がそういうわけではないと思うが、死を意識している人間は意識していない人間に比べて選択肢が多い。その選択肢は常にそこに在って、選択できない状態だけれど、そこにあることに意味がある。通常の選択肢がn個。でもn+1個持っている人が、少なからずいる。 そのn+1番目の選択肢があるという事実だけで救われる人がいる。アマゾンの手芸用ロープのレビュー欄に「おまもりで持っています」という一文の多いこと。普段選択はしな
拝啓、僕の最高に最強に個性的な友人様。 ご機嫌麗しゅう。そちらの天気など如何ほどだろうか。こちらは梅雨というのに雨はあまり降らず、クーラーが必要になるほど暑くなったかと思えば今度は涼しいくらいで温度差で体がバカになりそうだ。 さてこの度こうして筆を執ったのは他でもない。特別に伝えたいことがあるからだ――というわけでもない。 ただの気分だ気分。たまには畏まったことをしても良かろう。とはいえせっかくなので、日頃の感謝でも綴ろうではないか。 まずは先日の誕生会、ありがとう。
午前3時の君 は まるで死体のようで 口元に手をかざせば微かに息があたるのだけど いびきもかかず寝返りも打たず ただ静かに横たわっている 陶器のように白くて冷たい肌 が 現実感を曖昧にして この光景自体が夢のよう な そんな気がしてくるから 僕はぎゅっと目を瞑っ て 目を覚ますよう 祈った
言葉にならない言葉にしない想いが多すぎて余白は真っ黒になってしまった 行間には読めない文字がびっしり詰まっていて まるで砂糖に群がる蟻のようだった 何故言葉にしないのだろう こんなにも感情が渦巻いているのに いや 渦巻いているからこそ言葉にできないのか 私はそっと余白をなぞった
「愛するものが死んだ時には、 自殺しなけあなりません。 愛するものが死んだ時には、 それより他に、方法がない。」 中原中也はそう言って その後茶店へゆきました 茶店で彼は会ったのです 中原中也に会ったのです 灰色の瞳で言ったそうです 「死んじゃいかんよ。彼女の為にも」 彼は思いとどまりました 彼はロープを捨てました 病院で彼は目を覚まし 彼女のお墓へ行きました すまなかったと謝って お花を供えて手を合わし 彼女のお墓に水をかけ 線香と煙草を燻らせました