右膝をやってしまった。 経過観察42日目(手術後12日目)
これはオーストリアにいたときによく作ったグラ―シュという料理です。
日本のようなカレーのルーなんかはアジアンマーケットにしか売ってなかったし、私が住んでいたところは山の中だったので地元のスーパーしか無かった。故にこういった郷土料理を作っていました。グラーシュ美味しいのでぜひ試してみてください。
フリじゃない
昨日のnoteのフリが効いているわけではないが、ほとんど眠れなかった。
正直noteを殴り書きくらいの感覚で書いてしまったのでやりきれない気持ちと、寝る前にマッサージは出来たがアイシングが出来なかったことが理由で、膝に熱があるのを過剰に意識してしまいなかなか寝付けなくて苦しんだ。
装具のつけ方にも問題があったかもしれない。もうすぐ寝つけるかというところで凄く膝回りが窮屈になってきて痛み出したのだ。これは今日中に何か改善させなければならない。
急激な改善?
今日は朝からとある講義をZOOMにて参加していたが、その最中にずっと膝周りを解していた。
パテラセッティングと膝の屈折の時、一番痛むところがわかっていたので解しながらその痛みが走る部分がどの辺りの神経と繋がっていて、どこを解せば痛まなくなるのかをずっと分析していた。
解していく中で、青丸のポイントを刺激すると赤丸の部分に反応することがわかった。なのでここを重点的に解していった。
右膝の内部を正面から見てみると⇩
外側の側副靭帯だろうか。もしくは外側半月板に近いか。
外側半月板は手術で縫合したので、もしかしたらいじったらまずかったのか?わからないので次の回診で主治医とトレーナーに聞いてみることにする。なぜ痛みがスッと取れてパテラセッティング時に力が加えられるようになったのか、とても興味深い。
やらなきゃいけないことをやること
当然のことではあるが、そもそも自分がやらなければならないことは”自分で考えて決めること”だ。
だがやると決めたことを「なかなかできない」自分も知っている。
同じような人もいると思っている。
なぜそれが出来ないのを分析していくと、シンプルな答えにいきつく。
理由は単純で、怠けているだけなのだ。
不慮の事故などで全身不随になってしまったり、仮に脳死状態になってしまったら話は別であるが。
私の場合、膝の靭帯が切れただけであって脳は働くし勉強も出来るしいずれ回復して日常生活もサッカーも出来るようになる。
動きが制限されている今、自分がやるべき、というかやっておいた方が良いことは怪我が無いときよりもハッキリわかっているので集中しやすい。
ではなぜ怠けてしまうのか。
それは自分の心が整っていないからなんだと、特に入院中に気付いた。
あまりにも情けない自分
私が今取り組んでいることと言えば、
・毎日のnote更新
・Youtubeチャンネルの制作
・心理学、メンタル系の資格取得
そして現実にこれらを実行している。
だが正直、これまでの人生私は口だけで終わったことが何度かある。
一昨年にマルタへ行った時、『くいっぱぐれないように、海外でも稼げるように』と考え、Adove premiere Pro(アドビ) を月額で払い、独学で学ぼうとしたが、日本帰国が決まった途端に辞めてしまった。続かなかったのだ。
しかもタイムチケットで20000円を払って動画制作までのノウハウを学んだにも関わらず、だ。
私は今までこういうことにお金をかけてこなかったので、「お金をかければ嫌でもやるだろう」と思って試しに購入してみたのだ。
自分でも驚いたのだが、20000円も払って中途半端な状態で辞めてしまい、ついにはアドビも解約した。お金をただ無駄にしただけだ。
お金を払ってもやれないのか・・・
あまりにも情けない。
また言い訳をしてやり過ごすんだろ?
さすがに危険だと思っていた矢先に、大怪我をした。
大好きなサッカーがしばらく出来ない大怪我。
ベタな表現だが、これは神様がチャンスを与えてくれるんだと感じた。
もしこのまま不自由なくサッカーが出来て、仕事も出来ている生活が送れてしまっていたら、また今の状態が危険だと思っていても何か言い訳をしてやり過ごしていたと思う。
入院していた期間、本当の意味で自分を振り返れた。
この危険な状態にある自分は、何が問題なのか。
明確なもの
よく振り返ってみれば、アドビを始めた理由は「ネットの広告で、”これからの時代、動画編集のスキルがあればくいっぱぐれない”というのを見た」である。これは自分で考えた「やるべきこと」ではない。世間でそう言われていることをそのままやっただけだ。明確な目標がなかったのだ。
動画編集スキルを身につけて?
なにをするの?
どう稼ぐの?
今後どういうビジョンがあるの?
もし当時、聞かれたら何も答えられなかったろう。
だがしっかり学んでスキルを身につけた人は明確なビジョンを持つ人も当然いて仕事にしている人もいる。こういうのが得意で簡単に覚えられるという人だっている。人によって差が生じるが、少なくとも当時の私には向いていなかったのだろう。
そもそも「試し」でお金を払ってやってみること自体間違っている。
「お金を払ってまでやる価値があるか」を見極めて判断しなければならないのだから。
現に今はスマフォで自分が動画を作っている。不思議な話だ。
アドビにお金を払ったのに、別の無料のアプリで動画を作っている。
稼ぎになっていないと言われればそれまでだが、この動画は今後同じような環境になってしまった人たちへ残しておきたいという明確な目的があるので続けられている。
こういった自分を受け入れること
こんな自分をなんとかしたいと考えた時に芽生えたのが「心理学」を学ぶことである。
結局自分がどんな人間なのかを知って、どうなっていきたいのかをハッキリさせるには自分の深層心理をえぐるしかないと感じたからだ。
これまでもnoteに何回か「自分を認めることが大事」とか散々言ってきたが全く出来ていなかったことにも気づいた。自己満足の模範だ。
結果的に心理学を学び始めて良かったと感じている。
こんな情けない自分をちゃんとした意味でしっかり受け入れることが本当に大事、いや必須なんだと理解できた。
これは
「そういう面もキミらしくていいね。このまま言い訳して過ごしていこう。」
ではなくて
「それがあなたの弱いところだね。じゃあ自分がやりたいこと、やっていきたいこと、やってみたいこと、やるべきことをもう一度考えてみよう。それに明確な理由をつけてみよう。」
というものだ。
目標設定
こんなのはみんなが当たり前にやってきたことだが、私はそれをやってこなかったことに34歳になってやっと気づいた。いや、思い出したと言った方が正しいか。
厳密にいうと、これが出来ていた時期もあった。海外へサッカーしに行く前の自分だ。「海外でサッカー選手になる」という明確な目標があって当時トレーニングに打ち込んでいた自分もいる。
現にオーストリアでも下部リーグながら選手として競技活動を出来たし、オーストラリアへ行った時も”サッカー選手”にはなれたのが事実だ。だがそれで終わってしまった。
それは目標設定が「海外でサッカー選手になる」だったからだ。
「Aリーグ入りを目指す」や「他国のもっとサッカーが盛んなリーグへ行って実績を作る、稼ぐ」という設定に最初からしていれば、もしかしたら今でも海外でサッカーをしていたかもしれない。稼いでいたかもしれない。
そうタラレバに思うこともある。
もちろんこういう生活には運やタイミングの要素もあるのだが、間違いなくどこかに邪念がつきまとって「これでいいや」となんとなく終わってしまうことがこれまでいくつあったことか。
だがそれは過去のこと
これは全部過去の話である。こんなことを書いて誰が興味を示すのか。
そうじゃなくて、今から私が有言実行して変わっていく姿の方がよっぽど世間の興味を引くだろう。だから過去のことなんかも受け入れて、それをこれからの自分に繋げていけば自分につっかえているものも取れる。
「そんな自分もいたけど、全部必要なことだったな。」と思えるような未来を創るチャンスが今だ。
この情けない姿は”自分の過去のトラウマ”ではない、それを勝手にトラウマにしてきて、それを言い訳にしてきてラクをしてきた自分が全て悪いのだ。
わかった。認めざるを得ないな。
心理学を学んできて、気づけました。
怪我して良かった、入院して良かった
しかも色んな言葉をくれてサポートしてくれてる人が大勢いる。
なんてありがたいことなんだろう。
がんばろう。
人生はまだまだ続く。
ひとつよしなに。
株式会社美好所属
市川SC所属 27番
みのってぃ。
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