靭帯切れてから毎日noteを書いてる節句人形屋さん。(317日目、手術後287日)
日付が1日飛んでいますが、なんとなしに過去記事をチェックしていたら1日のズレを見つけました。(284日目が2回あった)
なので1日飛ばしの日付となります。今後は気を付けます。(誰も気にしていない)
今朝もツイッターにて”雛人形”と検索をかけてみました。すると、とある家庭の一幕が一目でわかる画像が出てきました。
今日はその一部を引用して、雛人形と社会などの関係性について思うことを書いていきます。
もしかすると節句人形を扱っている事業者として相応しくない内容になってしまう気がしますが、気にせず書いていきます。
軋轢を生む”お節句事情”
この見出しでピンとくる方もいると思います。または経験のある方もいらっしゃると思います。例えば
「娘が産まれたので祖母が孫のために、雛人形を買ってきた。」
などです。なぜこれが軋轢を生むのか。
前述のとある家庭では、『叔母が勝手に雛人形を買って、我が家に送ってきた。実母が送り返して解決したが、今度は義母が送ってきた』というのをキッカケに、こちらの夫婦vs義母の対決が勃発するのです。義母は「孫のために”良かれと思って”雛人形を買っているわけですが、相談も無しに、家に置けないサイズで、雛人形を送ってきたようです。
ボクは雛人形に従事するものですが、この一幕はとても興味深かったです。同時に『雛人形と社会性(コミュニケーションの観点)は切り離せないものである』というのを今一度考えなければならないと感じたのです。
雛人形はアナタにとってどういうモノか。
ツイッターで投じてみました。これを読んでくれた方はぜひ投票していただければと思います。投票してくれなくてももちろん良いです。
何がしたいのかって、どれくらいの人が「節句」に興味があるのかを知りたいだけなのです。その結果からあらゆることを思考しながら、またnoteに記録するのが目的です。
今や節句人形、キワモノとも言われますが、そういった類のモノが家に飾られる文化というのが年々薄れていっているというのはいち事業者としても感じている、という事をこのnoteにも何度か書いてきました。まだ家業に入って2年足らずのボクでさえそれを感じていますのでよほどのことです。
ですが、節句人形の”歴史と文化”を重んじてくれている方もたくさんいるのは理解しています。だからといって「用意して、家に飾るかどうか」というのはまた別の問題です。前述したように、そんな”古き良き文化”によって、家庭内、親族内の関係性に軋轢のようなものを生んでしまう例もあるようです。
歴史とは、文化とは何なのか
雛人形のおさらいを簡単にします。(諸説あるのであしからず)
元々は中国から伝来してきた文化です。「桃の節句」といわれることが多いですが、雛人形に飾られる桃の花などは魔除けなどを意味します。
雛人形が高価な理由は、おそらくですが雛人形が日本に伝来してきた初期の頃に裕福な家庭でおままごとに使われていたという背景がそのまま受け継がれているのでは、という見方もあります。
そして生まれてきた女の子へ健やかな成長を願う。というのも大きな意味合いですね。
他にも様々な説があるわけですけど、こういった歴史も含めてすべての事柄は、現代に生きる人々がどれだけ興味を持ち、重んじるかによって受け継がれていくのものだとボクは考えています。ですが、
「孫のために雛人形をワタシ(叔母や義母など)が用意したからね。だから飾ってね。」
「ウチは5段飾りの大きなお雛様を代々受け継いできたからね、あなたも飾るべき」
これらのような文言では、”古き良き”とされてきた文化や歴史を受け継ぐに適さないとボクは感じます。実際にこのご夫婦も義母(旦那さんの母)との関係は芳しくなさそうです。
実際に上記2つの事例のような言葉で受け継がれてしまっている歴史や文化もたくさんあると思いますが、雛人形もそのうちのひとつだと認識しています。なぜこういった継承のされ方が存在するのかというと、やはり「そういうものだから」精神や、「うちの家計はずっとこうでした」精神のようなモノがあるから、といえばそれまでなのですが、その延長線上にやはり「社会性」と「コミュニケーション」が伴っていないがために、更に軋轢を生み出すことに拍車をかけてしまっているのだと思っています。
『良かれと思って』
この事例にフォーカスして考えてみると、どうしても「娘のために」と思って用意したという”思い”が感じられない、というのを否定できません。娘を生んだ夫婦のためを思って用意するならば、絶対的にその夫婦に事前に相談するべきだからです。仮に用意するとして、「孫のために用意する」という点では共通かと思いますが、その子を産んだのは「夫婦」です。と、いうことは少なくとも「義母(アナタ)が”用意してあげたい”お雛様」は、必ずしも「”夫婦が用意してあげたい”お雛様」と一致するとは限らないのです。
ここに存在するのが見出しの「良かれと思って」の精神だと思います。この精神は裏を返せばボクから言わすと「自己満足」です。
「そうじゃない!ちゃんと相手のためを思ってやってる!」
と言いたくなるのはわかりますが、多くの人はそこに見返りを求めているような気がします。言い方を変えれば「自分も喜びたい、気持ちよくなりたい」と考えている人がほとんどだと思います。なのでボクは「自己満足」という表現をしています。
僕もこの「良かれと思って」の行動をしている側の人間だと自負はしているので自分を「自己満野郎」だとも思っている、というのは主張しておきます。もしそれで迷惑している方がおられましたらご連絡ください。
何が言いたいかというと、その自己満行動の質は問わず、「見返りを求めない」というのが大事である。ということを言いたいのです。見返りを求めることにより「良かれと思って精神」が「せっかくやってやったのに病」へと変貌を遂げます。自分が良かれと思ってやった行動というのは相手の評価ありきです。もし自分が思い描いた評価を得られなかったとしたら、ほとんどの場合、提供した側に何かしらのエラーがあるのです。そこを理解できないと、例えば社会性や社交性を保ったり、臨機応変に応対したり、コミュニケーションを良い塩梅で取れなかったりするのです。
関係性とコミュニケーション
実際に、今回議題の参考にしている家庭の義母(旦那さんの母)と奥さんの会話、または旦那さんとその母の会話を簡単にまとめます。
すごいですよね。決して面白がってません。第三者から見ても笑えないです。そのあとの旦那さんとその母の会話がこちら ↓↓
続きがもうちょっとあるのですが割愛します。
もう修羅場というかなんというか。本当にこういうことってあるんだなと驚きました。そのあとのリプライを見ても、その他多数で同じような経験をしていらっしゃる方もいて、中にはこういったやりとりのせいでお節句が嫌いになったとおっしゃっている方もいました。節句事業者としてなんとも悲しい現実であると、言わざるを得ません。「古き良き歴史、文化」とは一体なんなのだろうか。
この家庭内の軋轢を見てみると、やはり圧倒的にコミュニケーションが取れていないことがわかります。しかもこのお節句事情となると、やはり「一生モノであり、高価なモノである」という特徴があるので、昨今の社会情勢などを考慮しても「良かれと思って」用意して良いモノでは無い。というのを理解するべきだと考えています。かといって経済的に裕福なすべての家庭が揃えるものでもありません。実際に雛人形を飾ることに抵抗がある方、物理的に飾れないなどの要因もあるからです。ひと昔まえのように平屋の広い家屋などは明らかに減っています。そういったものを把握するには絶対的に「社会性」を持たないとその実情を知ること機会さえないのです。
これまで受け継がれてきた文化(今回でいうとしきたりというか、そうするのが自然の流れのようなモノ)を押し付けるような文言であったり、良かれと思って精神を持ち込んでしまうと、今回この家庭の起こった軋轢のようなことは一生続くのです。要はベクトルが自分にしか向いていないがために、必要最低限のコミュニケーションを取らないまま、各々の欲求がひとり歩きしてしまう。ということが起きてしまうのです。つまり社会性を育むには絶対的にコミュニケーションが必要なのです。
旦那さんは実の母に「今年はいらない」と言っていたにも関わらず、母が用意した真意はボクにはわかりません。ですが前述の母の文言をみれば「良かれと思って精神」が混じっているのは想像に容易いです。今回の内容を投稿した方のリプライにもありますが、受け取った側からすると「雛人形を買ってあげたワタシ!素敵な義母でしょ!」と思ってしまうのも仕方ないのです。ボクだってそう感じてしまいます。
これからお節句を用意するみなさんへお願い
ご自身の欲求をひとり歩きさせないようお願いいたします。私たちがこうして雛人形を扱って商売できるのは購入してくれるみなさんのお力なことは十分承知しています。しかし今回のような事例が起きてしまうことは本当に悲しいのです。なので、ぜひとも!お節句を購入する場合は、しっかりと家庭内、親族内で話し合って決めていただきたいのです。
「孫のために雛人形を用意したいんだけど、どう思う?」
「もし用意するならどういったモノがいいの?」
「用意するなら予算やサイズも相談しましょう」
この3点だけでも良いです。簡単なコミュニケーションだと思います。
そして
「本当に雛人形は必要かどうか」
まずはこれをじっくり考えていただきたいのです。
本当に、我が子(孫)のために、用意したい。
と、全員一致で思ってくださっている方たちに、私たちも買って欲しいですし、そうあるべきだと思っています。
そうでないお客さんのところに雛人形や兜を飾っても、おそらく歴史や文化は良い形で継承されていかないと思うからです。
こういった文化というのは流行りと廃りで紆余曲折するものだというのは事実なので、それは甘んじて受け入れる覚悟があります。だからこんなこんなことを書いているのです。
もし、本当に、お節句という文化がこの世から消えてしまってもそれは仕方ないことなのです。未来の教科書に「お節句はこうして日本の歴史から消えてしまいました」と載るだけでしょうから。
これだけのことを書いておいて説得力に欠けるだろうけど、万が一でもこのお節句の文化は少なくともボクが生きている間はどんな形でも良いから残していきますよ。そこに商売気がなくなったとしても、文化や歴史を残し続けることは可能ですから。それはどんな形であっても良いのです。
最後に、お節句をご用意したいとお考えの方、弊社、美好までご連絡くださいませ。
ひとつよしなに。
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