Iam that Iam.(私は私である)
というときの『私』には性別はなく感情はなく身体はなく
ただこの世界を見てるだけ。
とすると
自分自身の歓びの追求とは
『私』は見てるだけなので
『私』は関係がなく
つまり、
本当の本当は
身体が歓ぶことを追求すればよかったのだ。という話
というときの『私』には性別はなく感情はなく身体はなく
ただこの世界を見てるだけ。
とすると
自分自身の歓びの追求とは
『私』は見てるだけなので
『私』は関係がなく
つまり、
本当の本当は
身体が歓ぶことを追求すればよかったのだ。という話
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