女だけの特別な課題とは 『自分の感情(体)を育てる』こと 感情は誰にとっても重要だが 男にとって感情の解放とは せいぜい“蓋を外す”だけ 女にとって 感情とは自分よりも大きな生き物であり 感情の育成とは“猛獣”を手懐けて飼い慣らすようなもの でもそいつが“守護霊獣”だからね?
Iam that Iam.(私は私である) というときの『私』には性別はなく感情はなく身体はなく ただこの世界を見てるだけ。 とすると 自分自身の歓びの追求とは 『私』は見てるだけなので 『私』は関係がなく つまり、 本当の本当は 身体が歓ぶことを追求すればよかったのだ。という話
カバラ生命の樹の枝葉にタロットカード大アルカナを充てるとき 最後のカード:21世界は 最下部のイエソド-マルクト間に置かれる。 イエソド=エーテル界と マルクト=物質界を 直結させることが 『最後のカード』に相当するなら 人間個人は 感情体と肉体の一体化こそ最終達成なのでは??
主人/従者/馬/馬車 というスーフィズムに由来する理論では 馬は感情、馬車は肉体。 馬車=肉体ではなく 馬=感情の扱い方を優先的に学ぶべき。 という趣旨の教えだが、 馬=感情を『まるで身体のように』扱えるようになると、最終的に馬と馬車は一体化する。感情体が肉体に宿る。魂ではなく。