正しいものは本当に正しいのかと問え

世の中には一般的に「正しい」と言われるような考え方が行動がある。その場にふさわしいであろう言動がある。

私たちは小さい頃から小学校などで教育を受け、総合的な学習の時間や道徳の授業で公徳心というか、いわゆる世の中で「一般的に正しいと言われている考え方」みたいなものを学ぶ。

小さい頃、先生の期待に応えようと、あるいは先生が願っているようないわゆる"模範解答"を言うことが出来る生徒は1つのクラスに一定数はいなかっただろうか。

先生が求めている答えはもうわかっている。だから自分が「本当はどう考えているか」ではなくて、先生が求めている答えを優等生として提供する。

こんな綺麗事だけを伝える授業なんて馬鹿らしい、と思いながら。
こういう考え方の人は今まで出会ってきた人の中にも一定数いたし、そう言う人たちを否定したいわけではない。


私は正解がある授業より、正解がない道徳の授業などが好きである。
小学校の頃なんかは「心のノート」なんて言う教材を使って思いやりとか優しさとか気配りとか、なんだかそういうことについて学んだ。

この場面ではこういう言動をするのが正解、公徳心を育てるために生徒たちにはこういう考え方を持ってもらいたい、なんていう「一般的に見て正しい答え」がそこには用意されていた。


最近授業で学んだりしたけれど、道徳の授業といってもいろいろある。

上記のようにこういう価値観を持ってほしい、というような願いに基づき、そのきっかけとなるように作られている教材もある。

あるいは、「モラル・ジレンマ」型という授業もある。
どちらを選ぶのかと、その理由は?なんていう、2択から選ぶものが基本である。
生徒たちはジレンマを抱えながら自分なりの正解とその根拠を導き出すのだろう。

私はこのモラル・ジレンマ型の授業が(授業を受けるのが)好きである。大人たちからの価値観の押し付けのようなものがなくて、

どちらを選んだら正解でどちらを選んだ間違いなのか、とかそういうのがなくて、

なかなかに好きである。もちろんモラル・ジレンマ型の授業にも問題点はあるわけだが、

正しいことをただただ「これが正しいんですよ」と教えられたくはないし、教えたくはないような気がするのだ。

私自身、先生が求めているであろう答えを自分の短い人生経験の中から見つけ出して書いていたし、先生に求められているような答えをかけた人が、「正解」がもらえるんだろうな〜とも思っていた。


だからこそ「その場面で言われていることは、本当に正しいのか」を問いたいのだ。そういう授業が実際にできるか、しても良いのかという話は置いておいて、正しいと言われていることは本当に正しいのかどうか、というのを問いたいのだ。

先生が求めている答えを書くことができた人だけをただただ評価するのではなくて、何らかの根拠を持って自分なりに思考し、それを文章でまとめることができた人を評価したいのだ。



私自身、本当にこれは正しいのか?と自問自答しながら文章を書き進めることが結構好きである。みんなが当たり前のように「正しい」と認識していることを、本当にそうなのか?と突き詰めて考えるのは結構楽しかったりする。

だからこそ道徳教育の授業は逆に嫌いじゃないし、毎日何かしら考えて文章を書くのも好きである。

身近な自然現象に何でだろう?と疑問を持ち続けた人が、学校で理科を学んでどんどん科学を好きになっていくような感覚と同じである。

自問自答をすることによって、整理される考えや見えてくる新しい何かもあるのではないだろうか。


誰もが正しい考えを持たなければいけない、というわけではない。もちろん場面によっては間違いなくこの言動が正しいだろう、というものが存在することだってあるかもしれないが、それが正しいのかと考える機会を持つ権利くらい、私たちにだってあるはずだ。



道徳教育の授業を受ける中で、道徳の授業で使われるような様々な題材のビデオや資料を見たが、大人になって心のノートなんかを読んでみるとある意味で面白い。

「確かにこれが正しいっていうのはなんとなくわかるけれど、でもそう思わない時もある」

そういう風に思う瞬間が絶対に誰にでもあると思うのだ。子供のときはあぁいう風に考えてこれらを素直に何の疑問も持たず受け入れてきたけれど、

時間が経過して多少は人生経験も豊富になって 多少は成長した 大人になりかけの私たちは、子供の頃と同じように何も思わずにサラッと全ての考えを受け入れられるわけがない。


世の中に溢れる正しい何か、あるいは模範的な何かは綺麗事なんて言う時もザラにある。だからこそ私は自分自身に本当にこれは正しいのかといつも問うているのだ。



いつも教師の求めるような模範的な解答をするような生徒たちにも考えさせたい。
世の中にある当たり前に正しいとされている考え方や言動は、本当に正しいのだろうか?

と。