『腹を割ったら血が出るだけさ』 住野よる 作 #読書 #感想 ①
私の大好きな住野よるさんの作品。
私が圧倒的に住野よるさんを好きな理由はたくさんあるのだが、
若いうちだけ共感できる物語なのではないか?大人になったらこの生々しさと青春の瑞々しさに耐えがたくなってしまうのか?という恐怖の感情も共に抱いている。
この本も『青くて痛くて脆い』に近い若々しさというか、独特の悩みというか、全く共感されない場合もあるというか、
読む人を選ぶ作品のような気がしている。
それでもこの本の端々に書かれている「物語」に対する思いは、この本に出てくる小説家、小楠なのかの思いではなく 住野さん自身の思いなのではないかと考えさせられる。
感想に入っていく。
"愛されたい"とただただ望む主人公が登場する物語はたくさんあると思う。
だがこの作品と他の数多くの作品で違うのは、茜寧が「生まれながらにこの感情にとらわれている」という部分である。
両親に愛されなくて、恋人に愛を求める。周囲に人がいることで、中心に自分がいることにより承認欲求を満たしている。
これらのような「過去の環境」とは関係のない"愛されたい" にとらわれているのが、この本の主人公、茜寧である。
私は茜寧の気持ちがよくわかるものの、自分が茜寧のような人間であるとまでは思わない。ただ少なからず自分の人生を投影してしまう部分はあった。
茜寧が『少女のマーチ』の主人公に 自分を投影したように。
本に描かれている茜寧の言動を見ていると、
誰に対してもどんなことを言えば正解か?どんなことを言えば相手に喜んでもらえるか?がよく研究されているな、と感じる。愛されるためには何が正解なのかまだ分からなかった昔はもっとしんどかっただろうな、と茜寧に対して悲しみの気持ちを寄せてしまった。
「先生が求める正解がわかる」と道徳の授業で感じてしまった私のように、正しいことをできている・理解している自分はそれなりに人生を頑張れているはずなのに
それがものすごく打算的でずるい言動のような気がしていて、自分のことが嫌いになる。
誰に対しても自分の思うような対応をし、望んでいた反応をもらえる。
嬉しいことなはずなのに、自分のことだけ考えた上で実行された言動のことを想起すると、もう1人の自分が嫌いになる。
茜寧の言動で特に印象に残る部分をどうしても2つ、書いておきたい。
茜寧のような悩みと痛みを、私も感じていた時期があったのかもしれない。
茜寧と対照的なのが、この逢である。
自分が思うままに生きる、"自分らしさ"を自認し、理解している。
あまりにも純粋でまっすぐな逢に、私もこんな人に出会って染められてみたかった、と変な気持ちになった。
『少女のマーチ』の主人公のように。
人の憎悪が画面越しに渦巻き、人が銃で撃たれて何かが揺らいでしまったこの世界に、こんな人はあと何人生きていてくれるのだろう。
2000字を超えたので次に続きたい。
好きな本の感想は、何記事でも書いていたい。この欲求を夏休みの間に満たそうと思う。