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"自尊感情"は高くなければならないのか? 2

今日も「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治作)の感想を書く。感想というか、まぁ題名の通りだ。


124ページくらいから書いてあることをまとめると、
・自尊感情は高くなければいけないのか。
・じゃあそもそも大人(特に教師)は自尊感情が高いのか。
・自尊感情が低くても社会人として生活できないわけではない。
・そもそも問題行動を起こすような子供は親や先生から叱られ続けているので自尊感情が低いのはむしろ当たり前。
・自尊感情を上げるような支援は必要なのか。

筆者はこう主張する。

問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離しているところにあります。(略)(自尊感情は)無理に上げる必要もなく、低いままでもいい、ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要なのです。

何度も授業で言われたことがある。「教師として生徒の自己肯定感を高められるような支援をしましょう」、「生徒が自分に自信を持てるように、自分を大切だと思えるようにしましょう」。だけど私自身、自己肯定感(自尊感情)を上げるための指導や支援を考えることに、あまり疑問を持っていなかった。

正直大反省だ。いつだって前提に疑問を持ってかからなければならないのに。

自尊感情は本当に高めなければならないのだろうか?自尊感情が高い方が生きやすいだろうか。前向きになれるだろうか。今までずっとそう思ってきた割には、私は自尊感情はそんなに高くない気がする。

すごく自尊感情が高くなければならない(自己愛に近づく気もする)というよりかは、"ある程度自尊感情が高い方が生きやすい"ということだろうか。

自尊感情が低い人に対してそれを高める(上げる)ための支援は必要だと思いますか。みなさんのコメントを理由とともにお待ちしています。


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後半はこの本の要点まとめ(自分のためのメモ)のようになりそうだ。

◎まず筆者が言いたかったことの中に、「反省」以前の子供がいるということが挙げられる。反省することができないというか、反省というのがどういうことか理解できない、そしてケーキをまともに等分することさえできない、少年たち。
・学校ではその生きにくさに対して特別な配慮がなされていない
・非行に対してひたすら「反省」を強いられていた
(35ページより)


◎不自然な行動や不適切な行動、そして犯罪行為はなぜ生まれる?
→そもそも「見る力」や「聞く力」といった認知機能の弱さが原因
・想像する力が少年たちには不十分
→時間の概念が弱いので、先を見通せなく、目標を立てることができない。後先考えずに周りに流されたり行動したりしてしまう。
→その結果、目標が立てられないと人は努力しなくなる
→①努力しないと成功体験や達成感が得られないので自己評価が高くならない。なかなか自分に自信が持てない。
→②人の努力が理解できない。誰かの「努力の結晶」という思いを想像できないので、人が努力して手に入れたもの(お金をコツコツ貯めて買ったものなど)を簡単に盗んでしまえたりする。
(54ページより)


◎少年たちは自己評価が適切にできていない
←適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つから。
・他者とのコミュニケーションの中でサインを出し合い、相手の反応を見つつ自己にフィードバックするという作業を何度もこなすことが必要。
・適切な自己評価のためには偏りのない適切な情報収集力が必要。
"認知機能"が必要。サインをうまくキャッチするために相手の表情を正確に読み取ったり、相手の言ったことを正確に聞き取ったりという「見る力」・「聞く力」が必要になってくる。
(78ページより)

◎何が自己評価の向上につながるの?
"人の役に立ちたい"という気持ちを大切にする。
・少年たちも"人に教えてみたい"、"人から頼りにされたい"、"人から認められたい"という気持ちを強く持っている。
(156ページより)


🔁


あと1回でこの感想は終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。
"努力ができない人間は、人の努力が理解できない。"これは障害の有無に関わらず、ではないだろうか?自分が大して努力もしていないのに人の努力を否定するような人間を見ていると虫唾が走る。

"努力"は正義ではない。でも努力をしている人を否定しまうのは、絶対に間違っていると思っている。まぁいつも言ってるけれどね。



つづく。




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