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それでも私たちは離れることを選ばなかった。

人には遅かれ早かれ、今世での生を終えるときが来る。
その時に、どんな気持ちで終えるだろう。

父の死や娘の死を経験した私は、『生』『死』というものを
これまで以上に真剣に考えるようになった。


去年、休職したとき、私は、自己肯定感がものすごく下がった。

「あれ、夫は仕事に対してがんばる私のことが好きって言っていたよね…
頑張れなかった。頑張り切れなかった…」

勝手にわたしは、夫が自分のことを好きじゃなくなったと思いこんでしまい、
何度か『離婚』のキーワードを出したのだ。

(自分のことを好きじゃなくなったのは、たったひとり、自分だけなのにね。)
(今は、あれもこれも自分。今の自分のこと、大好きだよ。)

でも、彼は、決して『離婚』を受け入れなかった。


「おれは、教師のみおを好きになったんじゃない。
 みおが好きなんだ。
 仕事なんて関係ない。

 別れたいと言われても、おれは、別れたくない。」


私が『離婚』のキーワードを出すたびに、迷いなく、力強いまなざしで
懲りずに愛を伝えてくれた。



今回の死産もそうだった。


「こんなに辛いことが続いて、もう夫も限界なんじゃないかな…」


「わたしは、もうこの人生疲れた。

終わりにしたいけど、愛する人に先立たれる辛さを知った。

今、私がいなくなったら、夫が苦しい思いをするに違いない。

別れて、独り身になって、だれにも迷惑を掛けずにこの世を終わりたい。」


そんなことを考えた。(今はそんなことは考えない。とても幸せだから。)


でも、絶対に彼はわたしと別れなかった。

むしろ、これまで以上に愛を伝えてくれた。



死産を経験して4か月。気付くことがたくさんあった。



人間関係は鏡。だとしたら、

わたしは、彼を心から愛していて、彼からもらったものはたくさん。

でもきっと、

彼もわたしを心から愛してくれていて、わたしがあげたものはたくさんあるんだろうな。


それが事実なのか事実じゃないのかは関係ない。


そう思って前向きになれるなら、それでいいじゃないか。


自分で自分のことを卑下すること以上に無駄なことはない。



そしてわたしはきっと、今世を終える時、

「振り返れば、私たちの人生は数々の困難に直面してきたけれど、それでも私たちは離れることを選ばなかった。」


こう言うのかなと思う。


わたしは、彼を心から愛している。





↑ この言葉は、ドラえもんで有名の大山のぶ代さんの旦那さん、砂川啓介さんが書いた本「娘になった妻、のぶ代へ」の中にあった言葉の一つです。

大山のぶ代さんも死産、新生児死を経験した。

おそらく、とてもつらい日々があっただろう。

それに、のぶ代さんは認知症だった。

啓介さんは悩んだし考えたし辛かっただろうけど、のぶ代さんと離れることを選ばなかった。

この本を読んで、夫に対して改めて感謝したし、お二方の愛に感動した。


今は亡きお二人だけれども、天国で、お二人のお子さんと幸せに暮らしてほしい。




素敵な本を読みました。ありがとうございました♬





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