心の深淵で手を繋ぐ。
noteにいると
時々、心が触れあえたと実感します。
楽しくハイタッチする時や
ノリノリでグータッチすることもありますし
しっかりと手を握る時や
ふわっと手が触れるだけのこともあります。
自分の中にある心象風景を共有できたり
共感してもらえたりすることが
とてつもない喜びのように感じられるのは
noteという場所ならでは、のように思います。
情報として有益か否か、ではなく
自分自身を豊かにするためのヒントが
noteにはあります。
そんな風に転がっている言葉を
「ヒント」として見ることができるかは
自分次第なんだと思います。
こちらは一昨日投稿した私の記事↓
この記事を読んで
スキを押してくれた方や
コメントを残してくれた方…
ご自身の大切なマガジンへ追加してくれた方
これを機にフォローしてくれたり、など
皆さんがいろんな形で
読んだあとの反応を表現してくださいました。
皆さん、ありがとうございます❤︎(⑉• •⑉)
また、私の記事を読んで感じたものを
繊細に表現してくださったのは
山根あきらさん↓
ゆらゆらする想いを『汽水域』に喩えるのは
なんとも的を射た表現だなと
味わいながら読ませていただきました。
行ったり来たりする感覚に深く頷き
絶望しているようでいて
希望を抱くことを忘れないでいたいといった
曖昧さを共有できたような…。
なんとも
おセンチなシンクロをしていました(笑)(*´艸`)☆*
私は
こんな曖昧さを愛したい、と思うんです。
世の中、綺麗事だけで生きていけないし
そんな生き方をしたい訳じゃなく
表も裏も自分は自分ですし
時に黒い感情を抱くことだってあるでしょう。
どっちが前なのか分からなくて
迷子になる時だってあります。
そんな曖昧さを
リアルな世界で誰かに打ち明けることがなくとも
思いがけず
作品を通して分かちあうことがあります。
昨夜はそんな幸せな体験をした気分でした。
あらためて
心豊かな交流をしてくださる皆さまに
感謝申し上げます( ´͈ ᵕ `͈ )♡
私のnoteにおけるスタンスとして
自分の記事で答えを出さない傾向があります。
(もちろん、必要な時は書きます)
基本的には自分なりの答えがあったとしても
記事で断定をすることがほとんどありません。
あ、でも…
コメントを寄せてくださった方とは
もう一歩踏みこんだ交流をしております。
とにかく
読んだ方がそれぞれで
考えを巡らて
思いを馳せていただきたいのです。
答えはひとつじゃないから。
答えがひとつじゃないからこそ
辛い時がありますが
可能性が広がることもあります。
生きることに付き纏う
切なさと共にある優しさをしっかり受けとめて
記事として投稿することで
誰かが
小さな自分をぎゅっと抱きしめたり
ざわざわを抱きしめたり…。
手放しかけた大切なものを取り戻すような体験を
この先も重ねていけたら幸せだなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。
そのお気持ちがとっても嬉しいです。 心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚