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時代を超えても心を打つもの

草野心平という詩人をしっているだろうか?

草野心平とは戦前から戦後を生きた詩人であり、

その詩は教科書に取り上げられるほど有名なものである。

「ケルルン クック、ケルルン クック」

と言えば聞き覚えのある者も多いだろう。


合唱曲としても有名なものがいくつもあり、私はそのうちの一つが酷く気に入っていた。

気に入ると言うのは少し違うかもしれない。


千原英喜氏によって作曲されたその歌は「我が抒情詩」という名だ。


戦後の混乱期、何もないと言う状況で光すら灯らない道を歩いているのだ。

どこを歩いているのか。そもそもどこにいるのかすらわからない。

全てを失い、心すらその所在がわからなくなった彼は、暗い道を歩くのだ。


それが私の大学時代に重なったのだ。

大学3年生の秋、私は精神を患ったのだ。

私は生きることに震え、恐怖し、日々を布団をかぶって過ごした。

無理に明るい内容の動画を観るが、頭に入らない。

あらかた単位を取り終えたので、大学に行く友人も少ない。

孤独と絶望の中で出会ったのが、この「我が抒情詩」だった。


暗いそらだ、底なしの。

暗い道だ、果ての無い


最初のその歌詞に私は強く惹かれた。

それはまさしく私の現状そのものだったのだ。

私の足元はすくみ、立っていることすらおぼつかない。

当時の私はそうだったのだ。


夢も希望も忘れて、ただ暗い道を歩く。

これは戦後の混乱期も、飽食飽和状態の現状でもそうなのだ。

どれだけ社会が発展しようとも、どれほど世間が明るくなろうとも、

濃い影はいつの時代にも存在する。

濃い影の中で生きる人がいる。


私だけではなかったのだ。

時代は違えど、孤独に暗い道を歩む者が他にもいたのだ。

見回せばきっとそこらじゅうにいるのだ。

このマイナスな共感が私に希望をもたらした。


心の穴がガランと開き、

 ミョウチキリンに痛むのだ

彼は作中でそう歌っていた。

私の心もミョウチキリンに傷んでいたのだ。

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