いくつになっても、まだライターとして働ける。勇気をもらえたnoteを紹介
数日前、45歳を迎えた。40過ぎてから、体力の衰えを痛切に感じる。私がライターを始めたのは、30代後半。30代と40代、腕の重さの感じ方が全然違う。腕を上げるたびに、体力と気力の衰えに絶望する。
ただ、インターネットの世界には、いくつになってもパワフルな方がいる。そして、私はそのような方からこっそりパワーをもらい、明日の活力としている。パワーが落ちたら、人から分けてもらえばいいのだ。
私たちの界隈では、今「生成AIで、ライターの仕事は淘汰される」「専門性がなければ生き残れない」なんて話題で持ちきりだ。いや、そんな話はwelqの時代から、実はあった。
私の周りの感覚だと、どんな時代でもできる人はできるし、活躍する人はどの時代でも成功している。身も蓋もない話だけれど、つくづく人間性って大事なんだなぁ。そんなことを、年々思う。だてに仕事という字は「人に仕える」って書かないんだなぁ。
会社員の頃は、世渡り上手な人、要領のいい人が得をすると思った。でもフリーの世界は違う。いい人が、いい人とちゃんと評価されていて、私は嬉しくなった。
ただ、フリーランスの世界にも色んな人がいる。最近は感じなくなったが(付き合う人を選ぶようになったからかもしれない)、この仕事を始めた頃はみんなが椅子取りゲームをしているかのように見えた。
そんなに椅子って、少ないのだろうか。少ないなら、作ればいいし、新たな道を開いたらいいのに。または、お互いに助け合えば、文殊の知恵みたいになる。どうしてみんな、そんなに悲観的なんだろう。椅子の数を、減らそうとするんだろうか。
そんなことを思う私は、呑気だろうか。それとも、あまりに平和主義すぎるだろうか。でも、この仕事に興味を持ってくれた方がいれば、その分仲間も増えるし、楽しいじゃない。それに、仕事も大きく広がるかもしれない。それって、とても面白そう。そんなことを、ずっと思っている。
会社員からフリーの道に転身したのもあるけど、せっかく自由なら楽しんでやろうという感覚もあるし、椅子もないなら増やせばいいと思ってしまう。
私の前世、マリーアントワネットかもしれない。前世占いの人には、「あなたは西洋の魔女で、魔女狩りにあって死にました」と言われたけれども。
さて、どうでもいい私の話と、前置きはここで終わらせよう。
今日の記事で紹介したいのは、ある素敵なライターさんのnote記事である。
先日、体力の衰えを感じたところに、ある一つのnoteと出会った。
それはライター美月さまの「もうすぐ60歳の私がライターを目指す訳」という記事だ。
この強いメッセージに、背中をどんと押された気持ちになった。
美月さんは、50代以上に向けた情報量の少なさを痛感して、ライターを志したらしい。実に素晴らしい。
意思が明確で、伝えたい思いがある人、覚悟のある人は強い。そういう方の文章は、人の心をしっかり掴んで離さない。
実は私、そういう意思もなく、お金に困ったのを理由にライターを始めてしまった。ただ、仕事を続けていくうちに目標とかも見えてくるので、最初のきっかけなんてなんでもいいとは思っている。
それでも、覚悟と意思を感じる方と出会うと、ぐっと惹かれてしまう。自分には、それがないからだろうか。
美月さん、これから活躍される方なんだろうなぁ。新しい才能と可能性を感じると、ワクワクする。そして、負けてられないなぁと、血がたぎる。
この仕事を何年か続けているが、新たな才能を感じたら、その芽が育っていく姿を見るのが楽しみだったりする。
そして、美月さんのnoteを見て感じたことがある。私はまだベテランじゃないけど、何年か経つと、つい「ライターはこうあるべき」みたいなことを思ってしまいがちになる。
それは結局、自ら視野を狭くしているだけだし、他の方の可能性も潰す恐れがある。隣の芝生に目を向ければ、色んな可能性が眠っていることに気づく。
まだまだ、自分の見えている景色は狭い。そう思うと、限定的な話は何も言えなくなる。
美月さんのように、私も誰かの可能性を広げるような。そして、希望を持てるような。そんな文章を、私も書けるようになりたい。
※今回は、60代からライターの道を選んだ美月さまのnoteを紹介しました。勝手に取り上げ、紹介してしまいすみません。私が勝手に惹かれたので、紹介してしまいました。今後のご活躍も、心より応援しております。