婚活歴10年、37歳アラフォー女が最後に辿り着いた夫へのラブレター
25歳になったら結婚し、30歳までには2人くらい子供を産む。
夫は決して稼ぎがいい訳ではないけど、そこそこ名の知れた大企業に勤務するサラリーマン。
夫が35歳になるまでには、35年ローンで庭付き二階建てのマイホームを購入。10代の頃は、当たり前のようにそんな未来が訪れると思っていた。
まさか、就職活動で70社以上落ち、最後に辿り着いた会社すら1か月でリストラに遭遇。
その後再就職したとはいえ、10年以上にもわたる婚活、合コンに参加した数は1000件以上……。
37歳でやっとの思いで結婚したのも束の間、夫に貯金がないことが発覚。結婚資金、車、マイホーム資金を貯めるべくOLしながら副業ライターをスタート。
さらに、今度は不妊治療に200万以上注ぎ込むこととなる。
嗚呼。
普通の幸せを掴むって、なんでこんなに難しいのだろう。
「これだけ苦労したら、その分幸せになれるはず」という気持ちが心の支えだった。
けど、今思うのは「歳を取れば取るほど、普通の幸せを掴むのは難しい」ということかもしれない。
就職、結婚、妊娠、出産。
いずれにしても、女性は若い方が有利なことが多いからだ。
それでも、歳を取ってからの選択には決して悪いことばかりではなかった。
40歳手前にならなければわからなかったことも沢山あるし、もし私が20代で全てを叶えていたら、今の幸せに有り難みを感じられなかったかもしれない。
そして、今隣にいる夫の良さも、20代の私ではわからなかったかもしれない。そう思うと、今ある環境は必然なのかも。そう思うようになった。
今回紹介する記事は、婚活難民10年の時を経て、やっとの思いで辿り着いた貯金ゼロの夫を私が選んだ理由、そして夫へのラブレターを紹介する。
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OLしながら合コン屋のバイト(合コン幹事をする仕事)をしていた私は、社長から「今度、病院の男の人捕まえたから、合コン開いてくれない?女の子集めて欲しい」と依頼が来た。
その頃、婚活パーティーや街コンに通い詰めていた私は「もしかしたら、私にもいい縁が来るかも?」と思い、すぐにOKの返事をした。
合コン屋のバイトといっても、私は女の子を集めて幹事をするだけ。お店は社長が決めてくれるし、最初の乾杯も社長が同伴だ。
バイト料は、女の子1人集めるにつき1000円。5人集めれば、5000円ゲットも可能。月に多く集められる人ほど、ボーナスが入る。
ただ、流石に簡単すぎるバイトだったこともあり、私は参加してくれた女の子にはバイト料を全て返納していた。
どうせ私も楽しんでる訳だし、自分ばかり貰うのは悪いと思ったからだ。
それは、ある合コン屋幹事をした時のこと。合コンに参加している男性の中に、1人気になる人がいた。
その人は決してイケメンでもなければタイプでもなかったが、必死に幹事をする私を終始優しくフォローしてくれた。
合コンにはイケメンも沢山参加していたというのに、気がつけば彼のことばかり目で追っていた。合コンがおわっても、ずっと彼のことが気になって仕方なかった。
帰りの電車に乗ろうとすると、すぐさま彼から「明後日、スターウォーズ見に行きませんか?」とメールが届いた。
ん?
スターウォーズ?
そういえば、合コンの時に「スターウォーズ観に行きたい」ってぼんやり話してたっけ、私。実は、映画にはさほど興味がなく、適当に話していただけだった。
まさか、この何気ない話がキッカケでファーストデートに繋がり、最終的にその人と結婚することになるとは。
人生とは、わからないものである。
そして、彼と知り合った次の日から、毎日のように電話がかかってくるようになった。
当時貯金のなかった夫は、お金が勿体ないからとワイモバイルの「10分無料」を駆使し、10分ごとに電話を切っては「こんばんは!」と電話をかけ直してきた。
通算1時間以上は話すので、つまり1日に6〜10回着信が夫から来ることとなる。そして、1日6〜10回は「こんばんは!」を夫から聞くことになる。
電話を切る前には「わー!どうしよう!10分!10分!もうすぐ終わっちゃう!お金かかっちゃう!」と焦りのセリフを聞かされ「なら、LINEで電話かけたらいいじゃん?」とその都度返していた。
しかし、夫曰く「LINEは電波が悪いから」という理由で、あくまで10分ごとに電話を切る姿勢を崩さなかった。夫の電話に対するこだわりに関しては、今でもよくわからない。
いつもの私は、スマートでスタイリッシュな男性が好きだった。彼のような必死なタイプは、どちらかというと面倒で苦手だったと思う。
婚活ばかり繰り返していたあの頃は、相手のスペックなど条件重要視していたところもあったため、とてもじゃないけど貯金のない男性を選ぶことはなかった。
もしかすると、今までの私なら彼のような男性は恋愛対象ではなかったのかもしれない。
ただ、なぜかこの時は彼の必死さに惹かれるものを感じており、不思議と貯金の有無はそこまで重要視していなかった。
当時の私は36歳。
もしかすると、今後自分のことを必死に追いかけてくれる位の人はもう現れないかもしれない、この縁を逃したら結婚できないかもと焦っていた。
それから、当時はOLの他に副業のイベント手伝いや、ライター業に手応えも感じてきた頃だったので「男性の稼ぎに頼らなくても、なんとかなるかも」という思いが芽生えていた、という思いもあった。
20〜32、33歳位までは女にモテて余裕のある男性に魅力を感じていたが、35歳を過ぎると「とにかく結婚して欲しい、早く子供が欲しい」という気持ちが募るようになった。
そこで、おのずと決断力のある人、結婚願望が明確かどうかで男性を見極めるようになった。どんなに条件のいい男性でも、結婚したい女性からすれば、自分を受け入れてくれなければ意味がないのだ。
そういう意味でも、彼の必死さは36歳の私にとって魅力だったのかもしれない。
夫と出会った頃、私は「半年以内に結婚決めて欲しい」「親に会わせて欲しい」「プロポーズは東京ディズニーランドで、夜に開催されるプロジェクトマッピングの際にシンデレラ城を見ながらプロポーズして欲しい」などなど、無理難題なお願いばかりしていた。
結婚式場を決めた時も「料理がタダで食べられるから、結婚式場の試食パーティーに行こう」と誘い、夫がトイレ行ってる最中に勝手に結婚式の契約を取り交わしてしまったことも。
普通なら「結婚詐欺だ!」と訴えられる行為かもしれないが、夫は「仕方ないか」と受け入れてくれた。
夫は、全ての私の願いを嫌な顔ひとつせず叶えてくれた。私の強引すぎる行為ですら「運命だから」と受け入れてくれた。
これまでの恋愛では、私がお願いをしても言い訳されることが多かったので、夫が願いを叶えてくれる度に「こんな人はもう現れないから、大事にしなくちゃ」と思うようになった。
結婚して夫婦になると、お互いに向き合っていかなければならないことも増える。
夫は何事も受け入れてくれたので、今後どんな問題が起きても逃げることなく向き合ってくれる気がした。
さらに、私の傍若無人なワガママは、まだまだ続く。
私には、兼ねてから「不動産が欲しい」という思いがあった。
不動産は、婚活していた頃からずっと「頭金は私、ローンは結婚相手に任せたい」と思っていた。
そこで、夫とは結婚する前から不動産情報を物色し、物件内覧には夫も同伴させていた。
流石に結婚前だったので、夫は「結婚詐欺だったらどうしよう」と職場の同僚に相談してたこともあったそうだ。
今思えば、結婚前から不動産の物件内覧に付き合わされ「不動産が欲しいの」「ローン組める?」って聞いてくる女、怖いよね……。本当、夫はよく逃げなかったと思うよ。
交際しながら物件探しをしていた私たちは、それから数ヶ月後、花見のためにとある駅へフラッと降りた。
丁度その頃、花見会場の近くでモデルハウスが展示されていた。
何気なくモデルハウスに足を踏み入れ、間取りや雰囲気に一目惚れした私たちはすぐさま購入に踏み切った。
購入を決めてから再び桜を見に行くと、桜並木の下に仲良く手を繋ぐ老夫婦がいた。
「私たちも、あんな風になりたいね。毎年、ここで一緒に桜を見ようね」と私は言った。夫は「うん」と嬉しそうに頷いた。
あれから結婚して3年が経つ。
結婚前はすぐに結婚式場を決めたり、不動産を勢いで買うなど勢いで何でも決めていた。そのせいもあってか、周囲からは「大丈夫?」と心配の声をかけられていた。
もちろん多少の喧嘩はあるが、あれからいくつもの問題を夫婦で乗り越え、今では少しずつ貯金もできるようになり、旅行にも行けるようになった。
夫には、私が体調悪い時は家事を丸投げすることもあれば、フリーライターの仕事を手伝って貰うことも。朝食、弁当作りたくないと思ったら「俺、作っておいたよ」と先回りして動いてくれる。
夫と結婚、生活を続け、つくづく私は主婦に向いてないということと、なかなかの自己中である点に気づく。
思い起こせば、そりゃなかなか婚活しても縁談まとまらないわ、とも思った。
そもそも、婚活に来る男性は自分を支えてくれる伴侶を選ぶ。それに対して、私は自分を支えてくれる男性を欲していたのだ。
需要と供給が噛み合わない男女が出会い続けても、上手く行く訳がない。
でも、そんな私でも諦めないで出会いを繰り返していれば、自分に合った人と巡り合い、幸せな日々を過ごせるのだと知った。
婚活をしていた頃、「相手も見つからない私は、ダメな女なのではないか」と悩む女性に多々遭遇してきた。
いや、ダメだから会えないとか、素敵な女性だから縁に恵まれるとか、そんなの関係ないと私は思う。
私自身も、料理も掃除も苦手で、おまけに自己中なので女性としても主婦としても最悪だったのかもしれないが、それでも私のことを最高の妻と言ってくれる隣人がいる。
つまり、自分を全て受け入れてくれる人と巡り合えれば、ダメだろうが何だろうが幸せになれるのではないか。
夫は、出会ってからずっと私の無理難題に付き合ってくれている。ほとんど文句も言わない。だから、滅多に喧嘩にもならない。結婚記念日、私の誕生日にはサプライズ企画をプレゼント。
決して高給取りでもなければイケメンでもないし、ビール腹でチリチリ癖毛だけど、私にとっては最高の夫だ。
今年の夏には、そんな最高の夫と私の間に、念願の第一子も誕生する。
妊娠初期は悪阻が酷く、1ヶ月半ほど寝たきり状態だった。その時は、夫に家事を丸投げした時もあったよね。
仕事しながら家事、私のお世話をするのは本当に大変だったと思う。あの頃はご飯を食べても戻してばかりで、栄養が全く取れずフラフラで立てなくなった時もあった。私が吐くたびに、夫は汚物を無言で片付けていたっけ。
どんな時も、夫は文句一つ言わずに支えてくれた。
家族が1人増えても、私が要介護になっても。
きっと、あなたとなら二人三脚で乗り越えられると再確認したよ。
夫よ、これからもずっと手を繋いで歩いていこう。
幾つになっても、しわくちゃの手を重ねて、お互いに支え合っていこうね。
3年前に、あの桜並木で見かけた老夫婦のように。