それは、パクリではありません!【第3話】【全4話】
第3話
敵か味方か
——私に、小説のファンがいたなんて。
そういえば、小説をネットで公開していた頃、熱心なコメントをくれた人がいたっけ。もしかすると健太は、あの人だろうか。
浮足立つ様子で、紀子は「ありがとうございます」と返信する。すると健太からは、すぐに返信が届いた。きっと、マメで律儀な人なのだろう。
メールには、「いえいえ。僕も、まさかここでメールのやり取りができるなんて、光栄です。もしよかったら、今度会いませんか?」と書かれてる。
急なお誘いに、紀子は目を丸くする。それにしても、ファンにしてはかなり強引な人だ。もしかして、出会い厨(※SNS上などで、彼女やセックスフレンドを探す人のこと)だろうか。距離を早急に縮めようとする人に、ロクな人はいない気がする。
いや、まさか。実はこの男、正体は明智のスパイだったりして。ミステリー小説だと、味方のフリをして近づいてくる人物が、案外敵だったりするし。紀子は深く呼吸したのち、健太に返事を送った。
健太からは、瞬く間にメールが届く。メールを確認すると、どうやら紀子が住む家の目と鼻の先に、彼の家があるらしい。
すぐさま紀子は「家も近いですね。もしよかったら、駅前のファミレスで待ち合わせしませんか?」と、返信した。
すると健太から、秒速でメールが届いた。あまりに返信が早いので、もしかすると彼は無職なのかもしれない。
健太って、どんな人だろうか。東京に来てから、異性と一度もデートしたことないし。服も、何を着て行けばいいのかわからない。貯金も底をついたし、新たな服を購入するのは難しそう。
紀子は、おもむろにクローゼットの扉を開ける。ぎゅうぎゅうに詰まった服の山が、雪崩のようにどさっと落ちる。
「わっ……」
服の重みで体のバランスを崩し、足元がふらついた。そのまま、紀子はよろけて床に座り込む。
しゃがみ込んだ紀子の体に、色とりどりの服たちが纏わりつく。
襟口にコットンパールの装飾が施された、グレーのニット。うっすら黄ばんだ、アイボリーカラーのTシャツ。褐色のシミが数箇所にこびりついた、パステルピンクのふんわりスカート。
どれも、上京したばかりの頃に買った服ばかり。東京に来た頃、煌びやかな街の女性たちに憧れて、服をたくさん購入していたっけ。結局、東京の空気に上手く馴染めず、恋人も友達もできなかった。東京は物価も高く、生活しているだけで、お金がすぐに減る。
思い起こせば、仕事も転々としてきたためか、業務を覚えるのに必死の日々だった。仕事を覚えても、3年も経たないうちに、契約解除の話が出る。
派遣には、同じ事業所で3年を超えて働けないというルールがある。同じ職場で働くには、正社員になるか、または別の課へ異動しなければならない。
——派遣期間が3年経てば、正社員になれるだろうか。
派遣先が変わる度に、紀子は淡い期待を胸に抱き続けた。結局、その願いも虚しく、正社員雇用の願いは叶わぬままだ。託された仕事は、卒なくこなしてきたはずだ。
なのに。どうして会社の人たちは、誰も認めてくれないのだろうか。仕事に身が入っていないとか。責任感が足りないだの。プロとしての自覚が感じられないなどなど。どこに言っても、文句しか言われない。
なら、やりがいのある仕事を私に任せれば良かったのに。 錘のような服の山を掻き分け、紀子は鉛のような息を吐く。思い起こせば、生活と仕事に追われる日々で、オシャレする暇もなかった。
そういえば、私にも1枚だけ、 一張羅があったはず。紀子は、クロールのように服を掻き分けながら、クローゼットの奥にグッと手を伸ばす。
掴んだのは、ひらひらとフリルのついた、透け感のあるワンピース。上京してすぐに、仕事を頑張ったご褒美で買ったものだ。
買ってみたものの、着る機会に恵まれず、このワンピースに袖を通したことは一度もない。
ワンピースを頭から被り、袖を通す。すっかり太った二の腕がひっかかり、なかなか通らない。ぷちっと、どこかで糸が切れる音がする。スカートをぐいっと下に引っ張っても、 太腿でつっかえり、前に進めない。
やっとの思いでスカートを下ろしても、背を伸ばせば、スカートが再び引き上がってしまう。一張羅なのに、もう着れないのか。
そうだ、思いついた。袖とスカートの両端を、ハサミで切ってしまえばいい。
袖とスカートの両端に、ゆっくりとハサミを入れる。プチンとカットすると、するするとスカートが下りた。袖周りもゆとりができて、楽ちんだ。
これなら、今の私でも着れそう。よし、このワンピースを着て、健太に会いにいこう。紀子は、そわそわした。
ファミレスに着くと、スラリとした長身の男性が、紀子に軽く会釈した。
精悍な顔立ちをしたその男性は、スーツをパリッと着こなしている。凛とした姿勢が、とても美しい。小綺麗だし、育ちも良さそうだ。男の清らかな美しさに、紀子は息を飲む。
「お待ちしておりました。星平様。都内で弁護士として働いている、有村健太と申します」
「弁護士さんですか……」
スーツ姿の男性は、SNSでやり取りをしていた健太だった。マメに連絡が届くから、自分と同じ無職だと思っていたのに。まさか、弁護士さんだったなんて。
健太は席を立つと、テーブルをくるっと回って、紀子が座る椅子を引く。
「どうぞ、お座りください」
健太は、にっこりと笑う。あまりの爽やかさに、紀子はクラクラと 眩暈がした。健太は仕草も美しく、立ち振る舞いもスマートだ。
——気が利くし、優しそうな人。
SNSを通じて、こんな素敵な人と出会えるだなんて。これは、夢だろうか。紀子は、頬を抓る。頬に、じんわりとした痛みが伝う。どうやら、夢じゃないみたい。
「今回は、私の誘いに応じて下さり、ありがとうございます。あのう、実は私、星平リエという名前ではなくて」
「こちらこそ、星平さんとお会いできて嬉しいです。星平リエって、もしかしてペンネームですか?」
「はい。本名は、中井紀子です。だから、中井さんと呼んでいただいて構いません」
「いや、僕にとっては星平さんですから、星平さんと呼ばせてください」
健太は、ネクタイをきゅっと締め直す。長いまつ毛、アーモンド形の大きな二重瞼、きりっと整った鼻筋、引き締まった口元がほんのり緩む。
「星平さん、僕は今回の騒動に悲しんでいます。ただ、単刀直入に申しますと。星平さんはこのままだと、裁判に負けます」
「私、負けるんですか?」
「確実に負けますね。向こうは、星平さんのSNS投稿をスクショしているでしょうし」
「スクショですか……」
スクショとは、スクリーンショットのことだ。携帯によって動作方法は異なるが、電源ボタンと音量小ボタンを同時に押すとできるケースが多い。
「明智の投稿、僕も見ました。法的措置と名誉毀損で訴えるということは、星平さんの投稿を証拠として、残しているのではないかと。
あの投稿は、名誉毀損と著作権侵害の証拠として、打って付けですから」
確かに、明智を批判した投稿のスクショを裁判に持ち込まれれば、勝ち目はないだろう。
「裁判となると現時点では、星平さんの方が不利ですね。
そもそも向こうはパクリを否定してるので、事実無根で押し通されれば、それが通る可能性が高いです」
そう言って、健太は拳に力を込める。手の甲には、薄緑色の血管が浮かび上がり、ぴくぴくと波打つ。
健太の話を聞くなり、なんて軽率な真似をしてしまったのかと、紀子は改めて後悔する。
「やっぱり、難しいですよね」
「まぁ、現時点ではの話ですけど。でも僕は、星平さんの作品の第一ファンとして、あの漫画家のことは許せませんけどね」
健太からそう言われ、紀子は目をぱちくりさせる。
「健太さんって、私の第一ファンだったんですか?」
ふと紀子は、小説投稿の度にコメントをくれた読者のことを思い出す。やはり、あの人が健太なのだろうか。
「僕のこと、もしかして覚えていません?星平さんとは、確かにお会いしたことはないです。でも、インターネット上では、何度も会っていますよ」
「インターネットで、ですか。もしかして……」
「僕、毎回あなたの小説にコメントを入れていたはずですけど」
健太からそう言われ、紀子は確信する。やはり、毎回コメントをくれた、あの彼だ。
「もしかして、もさお君?」
紀子がそう伝えると、健太は悪戯っぽく笑った。
あれは、紀子が小説投稿サイトに作品を投稿していた頃の話だ。
連日のように作品を投稿していた頃、決まって「もさお君」という男性から毎度コメントが届いた。
紀子が投稿していた小説投稿サイトには、ユーザーがコメントを自由に入れることができる。もさお君と名乗る人物からは、紀子が作品を投稿する度に、好意的なコメントが届く。
もさお君って一体、何者だろうか。話を更新すると、その日のうちに必ずコメントが届くし。小説も、1話ごとに「お気に入り」へ登録してくれる。
もさお君は、なぜ自分の作品に興味を持ってくれるのだろう。ふと紀子は、謎のコメンテーター「もさお君」のことで、胸がいっぱいになる。
もさお君も、小説を書いているだろうか。アカウントをチェックしに行くと、そこには長々と「もさおの日記」が書き綴られていた。
もさお君
もさお君は、エッセイでも小説でもなく、小説投稿サイトでブログを書いてばかりいる様子だ。
投稿の内容は、「今日は、会社で上司に叱られました。ちょっと落ち込んだから、アイスを買ってみることに。当たりが出たので、『今日はいい日』とします」といった感じで、どれも大したオチがない。
これは、ただの自己満日記ではないか。なぜブログサービスではなく、小説投稿サイトにブログを綴っているのだろう。うーん、謎だ。
もさお君はもしかすると、一風変わった男性なのかもしれない。深く関わると面倒そうだ。
紀子は、もさお君のコメントに対し「いつも愛読ありがとうございます。嬉しいです」と、当たり障りのない返信を続けていた。
まさか、あの「もさお君」が、こんなにイケメンだったなんて。紀子の開いた口が塞がらない。
「あのう、なんで『もさお君』って名前だったんですか?」
「もさおは、飼っている犬の名前です。僕、柴犬を飼っていて。犬の名前は、妹が名付けました。
僕は、小説を読むのが好きなんです。でも、小説投稿サイトの作者にコメントするにはアカウントが必要で……。だから、犬の名前をつけてみました」
そういって、健太は「や、やっぱり変ですかね?」と首を傾げた。
「いや、全然変な名前じゃないです」
紀子は、慌てて否定する。犬の名前なら、仕方ない。変な名前だと思ったのは確かだが、今はそんなことに突っ込んでいる暇はない。
健太の話によると、小説投稿サイトのアカウントを作成したのも、作者にコメントを送りたいという気持ちからだったそうだ。
小説投稿サイトにブログを綴っていたのは、せっかくアカウントを作ったので、どうせならと、自分の日記を綴ろうと思ったらしい。
いい人そうだけど、ちょっぴり不思議な人かもしれない。
「現時点では、漫画のスクショとともにSNSへ批判を投稿した星平さんの方が、訴えられる要素が満載ですね」
「あの時の行動は、軽率だったと反省しています。でも、相手の漫画をスクショしないと、どう類似してるかわからないじゃないかと思ってつい……」
「絶対ダメです。著作権のあるコンテンツをスクショして投稿するのは、著作権侵害にあたりますから」
健太は、釘を刺すように言い放つ。
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
著作権侵害の罰金も払えないし、もうどうすればいいのかわからない。紀子は、すっかり涙目だ。
「もしよければ、僕と一緒に戦いませんか」
「はぁ?」
紀子は、すっとんきょうな声をあげた。すでに健太からは、こちらの方が不利と言われてるのに。ここから、どうやって巻き返すんだろう。
「僕は今、弁護士として働いています。僕なら、星平さんの作品も、明智の作品もくまなくチェックしていますし。
類似ポイントも、きちんと把握しています。だからこそ、裁判で似通った箇所をきちんと明示できるかと。
もちろん既にスクショで名誉毀損、著作権侵害の証拠は掴まれている恐れがあるので、その点は受け入れざるを得ないでしょう。
ただ、星平さんが明智ユリアを著作権の侵害として訴えた場合、それが裁判で認められれば、逆転勝訴も夢ではありません」
「本当ですか」
鼻息を荒げる紀子に、健太は諭すような口調でこう答えた。
「もちろん、僕の頑張り次第ではありますけどね。
そもそも著作権侵害で訴えるには、まず3つのポイントが重要になりまして。そこを、徹底的に抑え、裁判に向けて資料を用意すれば……。逆転勝訴、狙えるかもしれません」
健太は、不適な笑みを浮かべている。なにか策があるのだろうか。
「3つのポイントって、何ですか?」
紀子は、ごくりと唾を飲み込む。
「1つめは、キャラクターそのものと、登場人物の相関関係ですね。これらが同じだったりすると、パクリ要素が高まるかと。
2つめはセリフの言い回しで、3つめはストーリー展開や、構成、世界観の類似いったところでしょうか」
「そうなんですね……。勉強になります。その3つの要素が全部同じだと、どうなっちゃうんですか?」
弁護士を名乗る健太は、流暢に説明をし始める。盗作トラブルに関する知識も、かなり詳しそうだ。
「すべての要素が似通った場合、パクリではなく、盗作になってしまうかもしれませんね」
淡々と落ち着いた口調で健太は、紀子に説明する。ひととおり説明を終えると、健太は紀子をじっと見つめる。大きな瞳に、思わず吸い込まれそうだ。
「あのう、星来さん。ひとつお願いがあるのですか」
「何ですか?」
「メニュー、頼んでもいいですかね……」
そういえば、ファミレスに来てからメニューをまだ頼んでいない。店内を見渡すと、ウエイターの口元が四角く歪んでいる。私たちが何も頼まないから、気になっているのだろう。
「わ、忘れてました。すみません。メニュー、選んでください」
紀子はそう言って、メニューが掲示されるタッチパネルを健太に渡す。
「すいません。僕、つい仕事に関することだと我を忘れちゃって、状況を読まずに説明とか勝手に始めちゃうんです……」
健太は申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げた。
「大丈夫です。私も、思い立ったら暴走しがちなんで」
「えっ。そうなんですか?大人しそうに見えるのに。でも、そういえば。星平さんも、勢い余って漫画のスクショをSNSで投稿されちゃってますしね。となると、僕と同じタイプですか」
健太の目尻に、クシャッと皺が寄る。笑うと整った目鼻立ちが顔が崩れ、可愛らしい印象だ。
「星平さん、何頼みますか?僕はドリンクバーと、パフェにします」
「じゃあ私は、ドリアとドリンクバーにします」
しっかりしてそうに見えて、甘党なんだ。引き出しとギャップの多い人だなと、紀子はつくづく思う。
「さて、先程までパクリに該当するポイントを説明しましたが……。
僕自身、実は作品を参考にすること自体は、そう悪くないと思っているんです。
たとえば、作品への尊敬を込めて、あえて作中の至るところにオマージュを散りばめていくという方法であれば、逆に作者から喜ばれたり、大きな評価に繋がる可能性もありますしね。
星来さんは、新世紀エヴァンゲリオンって作品をご存知ですか?」
「知っていますよ。あれだけ有名な作品なら……」
紀子の目が、左右に泳ぐ。作品を知っているとは言ったものの、実は漫画や映像で見たことは一度もない。
知ったかぶりで答えても、健太は勘も鋭そうだしすぐにバレそうだ。
でも私が知らないと言えば、健太が作品の説明をし始めるだろう。そうなると、彼も大変だ。作品を知っていることにして、とりあえず話を進めようと紀子は企てた。
「星平さんは、新世紀エヴァンゲリオンの監督をした庵野秀明が、ウルトラマンシリーズの大ファンだったのは知っていますか?」
「それは知らないです」
そんなマニアックな 蘊蓄を、なぜ知っているのだろう。漫画やアニメのオタクなのか、それとも本作のマニアだろうか。紀子は、首を捻った。
「実は双方のファンの間で、新世紀エヴァンゲリオンの作品には、ウルトラマン的な要素がオマージュされているという噂もあるんです」
健太は、得意気な表情で答えた。息が、やや乱れている。もしかすると健太は、新世紀エヴァンゲリオンか、またはウルトラマンの熱心なファンなのかもしれない。
「えっ。でも、作品のイメージが全然違いますよね」
「ですよね。まぁ、あくまで作品の随所に、要素が散りばめられているという話です。
たとえば、新世紀エヴァンゲリオンに登場するミサトが持つ携帯の着信音、ご存知です?」
「そこまでしっかり作品をチェックしていないので、わからないです」
紀子は横に、ぶるぶると首を振った。紀子の様子を見るなり、健太はぷっとなるのを堪える。もしかすると、知ったかぶりが既にバレているかもしれない。
「実はファンの間で、ミサトの着信音にウルトラマンの防衛組織・科学特捜隊の呼び出し音が使われているという一説もあるんですよ」
「えっ、そうなんですか」
「新世紀エヴァンゲリオンの作品には、ウルトラマンへの愛と、リスペクトが感じられます。
その思いがあるからこそ、あえてオリジナリティのある作品に、ウルトラマン要素を盛り込ませていった……。
作品をそっくりそのまま真似るのではなく、オリジナリティのある作品の中で『好きな作品の、オマージュを盛り込んでいく』という形であれば、作者からも喜ばれるかもしれませんね」
「確かに、作品への愛が感じられる参考の仕方なら、作者も嬉しい気がします」
「星平さん。誰かの作品を参考にする時に、一番大切なのって、なんだと思います?」
「作品への愛と、尊敬ですか?」
すると、健太は自信たっぷりにこう答えた。
「正解です。作品への愛、作者へのリスペクトがあるかどうか。ここが重要なポイントですね。
そもそも作者へのリスペクトがあれば、相手を傷つけるような真似の仕方はしません。
作者や、作品のファンを喜ばせようと、試行錯誤を重ねて、尊敬や思いを作品に反映するのではないでしょうか?」
なるほど。そういえば、自分が明智の漫画を見て憤慨した時も、作品への冒涜を感じたからなのかもしれない。
明智の漫画は、キャラクターの名前はそっくりそのまま、ストーリーの構成も模倣された状態だった。にも関わらず、小説で表現したかった心理描写に関しては、雑に扱われていた。
作品はシリアスな展開が続くものなのに、イラストはギャグ漫画調にデフォルメされたもので、所々に不要なお笑い要素が盛り込まれていたのも許せなかった。
おまけに、読者に伝えたい軸である「テーマ」が消され、全体的に面白おかしくストーリーをアレンジされていたことも、悔しい。読者に伝えたいテーマこそ、小説の醍醐味だというのに。原作をしっちゃかめっちゃかに、掻き回された気分だ。
明智の漫画には、作品へのリスペクト、愛が感じられない。だから、自分は怒ったのだろうか。
「まぁ、エヴァンゲリオンは、キャラクター設定も、漫画がもつ世界観もオリジナリティが高いですからね。
ウルトラマン要素が入っていなくても、ヒットは間違いなかったと思います」
「私も、そう思います。エヴァンゲリオンは、本当に素晴らしい作品でしたよね」
紀子は声を震わせた。この話題は、まだ続くのだろうか。知ったかぶりで会話を続けるのも、そろそろ終わりにしたい。
「エヴァンゲリオン以外にも、他作へのオマージュを込めて作られたものは、実はたくさんあるんです。
そもそもオリジナリティのある作品を新たに作るのって、難しいんですよ。世の中には、すでに数多くの作品が世に送り出されていますし」
健太からそう言われるなり、紀子はハッとする。もしかして、私が明智をパクリと言い続けていることも、彼女や出版社を訴えようとしていることも。本当は、すべて間違っているのではないだろうか。
他の作品を参考にして、オリジナリティを作るのが当たり前に蔓延している業界なら、訴えたところで暖簾に腕押しだろう。
「あと、僕から星平さんに伝えなければならないことがあります。
裁判でパクリを訴えたとしても、明智や出版社に逃げられる可能性は大いにあるというのは、覚悟しておいてください。
明智ユリアの作品には、星平さんの小説にはなかったギャグ要素、ラブシーンも含まれています。その部分を突かれて『これは、オリジナル作品です』と言われたら、逃げ切れるかどうか……。
もちろん、僕は全力で立ち向かうつもりですけどね」
健太の説明によると、どんなに作品が似通っていても、オリジナル要素が盛り込まれることで、これは盗作やパクリではないと、シラを切られる可能性があるそうだ。
結局、私だけが訴えられるのか。仕掛けてきたのは、向こうなのに。紀子は眩暈がした。
「ドリンク、何飲みますか?注いできますよ」
健太は、紀子に優しく声をかける。そういえば、ドリンクバー頼んでいたっけ。
「お気遣い、ありがとうございます。じゃあ、メロンソーダをひとつください」
「承知しました」
そう言うなり、健太はすっとドリンクバーへ向かった。気遣いのできて、なんていい人なのだろうか。
健太は席につくなり、エメラルドグリーンのグラスを紀子に差し出す。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
紀子は、グラスに口をそっとつける。甘いメロンの香りが、ほんのりと優しい。口に含むと、しゅわしゅわと泡が喉に溶け込んでいく。
「メロンソーダ、好きなんですか?」
「メロンというより、炭酸ドリンクが好きなんです」
紀子は、炭酸のしゅわっとした爽快感が好きだ。刺激と酸味が、疲れを惑わしてくれる。
「メロンソーダ、僕も好きですよ。美味しいですよね」
そう言って、健太はコーラを口に含む。健太も、自分と同じ炭酸好きなのかもしれない。
しばらくすると、ウェイターが、紀子の前に「おまたせしました」と、ドリアを差し出す。紀子は、ドリアを一口頬張る。
口にドリアを入れた途端、チーズとミートソースの酸味が絡み合い、絶妙なハーモニーを醸し出す。うん、美味しい。
ドリアをもぐもぐと頬張る紀子に、健太は震える声で、ぽつりぽつりと話をし始めた。
「僕は、怒っています。明智の漫画には、星平さんが伝えたいテーマも、想いも全て消えていました。
キャラクターの名前、ストーリー構成は似通っているのに、心理描写がごっそり抜けている。おまけに、随所に稚拙な表現も見受けられましたし。原作への冒涜ですよ、あの作品は」
健太の肩が、わなわなと震えている。穏やかな紳士だと思っていたけど、怒る人なんだ。
「あのう。健太さん。今日のデート……、いや会合って、お金かかるんですか?」
「今日はオフ会みたいなものですから、お金かかりませんよ。食事代は奢ります。
僕の弁護士相談料ですが、初回40分のみ無料ですし。契約すると着手金として、50万ほどかかりますけどね」
「えっ。そんなにお金かかるんですか」
紀子は、甲高い声を上げた。
「その他にも、裁判が上手くすすめば成功報酬が必要です。あくまでこれは、僕に依頼した場合の話になりますけれども。
裁判が上手くいけば、成功報酬として10万円~20万位ほど費用がかかるケースが多いです。成果がなければ、0円で済みますけどね。
まぁ、裁判の内容にもよりますけど。全体で約30万円~150万円程度は予算を見てもらえると助かります」
そんなにお金がかかるなんて。どうやら、弁護士との契約には自分が思っている以上に、莫大な費用がかかるようだ。弁護士を雇うのは無理だろうか。
「私、貯金ないです。弁護士、雇えません」
「星平さん、SNSで情報をこっそり拝借したんですけど。編集プロダクションで働いていませんでしたっけ?」
「それが、あの炎上騒動のせいで、会社に行くのが気まずくて。今は、お休みをもらってます」
「星平さんも、色々大変だったんですね……」
暫くしたのち、ウェイターが健太の元にプリンアラモードを差し出した。プリンの上には、生クリームとさくらんぼ、桃が乗っている。美味しそうだ。紀子は、ごくりと唾をのみ込んだ。
「星平さん、パフェ食べましょうよ。美味しいですよ」
健太はそう言って、フォークで桃を刺し、「紀子さん、どうぞ」と声をかける。
咄嗟に紀子は、「えっ」と声をあげる。いくらなんでも、初対面なのに距離が近すぎるではないか。紀子は申し訳なさそうに、「い、いや。それはちょっと」と答えた。
「あっ。ごめんなさい。なんか、物欲しそうに見えたので……」
健太は、ポリポリと頭を掻いた。
「そういえば、紀子さんは初対面でしたよね。馴れ馴れしくて、ごめんなさい……」
健太は、申し訳なさそうに謝った。おそらく健太は、普段から近くに女性がいるのだろう。女性とは、仲睦まじくデザートを食べ合う関係なのかもしれない。
健太はイケメンで誠実そうな風貌だし、おそらくシングル(彼女なし)ではないだろうと、紀子は悟った。
「いいです。気にしないでください。私、男性に慣れてないから、健太さんが食べかけのパフェを渡してきたことに動揺してしまいました」
「そうなんですね。ごめんなさい。僕もすっかり、出過ぎてしまいました」
「こちらこそ、慌ててすみません」
紀子がぺこりと謝ると、健太がすっと顔を近づけて、ニヤッと微笑む。健太の首筋から、ほんのりとジャスミンの香りがする。
香水、つけるんだ。やっぱり、女の影がする。私たちのやり取りを見て、浮気を疑われても困るし。紀子は、とっさに顔を退けた。
「さっきは、急に弁護士費用の話をしてしまい、申し訳ありませんでした。驚かせてしまい、ごめんなさい。
僕が弁護士費用として、きちんとお金を取るのは、仕事だからです。普段はお金と条件で契約を取り交わしますが、星平さんに関しては、後払いで構いません。
そもそも今回星平さんにメールしたのは、あなたを応援したいと思ったから。推しの小説家だからです」
「私が、小説家?」
紀子は、目を丸くして驚いた。
「はい。小説を書き、投稿してファンを獲得していますから。僕にとっては小説家です。ただ、プロとなるとそこから『お金を稼ぐ』というプロセスが必要になりますけどね」
健太にそう言われ、紀子はしどろもどろになる。私が小説家、か。小説家を目指していた頃は確かにあったけど、いざとなると照れくさいかも。紀子の頬が、ぽっと紅く染まる。
「今回は、僕が考案した『推しの小説家を応援するぞキャンペーン』ということで、お金は成功報酬込みで10万円に割引します。
もちろん、後払いで構いません。まっ、利息は数パーセント取りますけどね」
「利息、取るんだ」
「お金の契約をきちんと行うのが、プロですから」
健太は、そう言って紀子の手をギュッと握った。ごつごつと大きくて、温かい手。男の人の手って、こんなにあったかいんだ。
「料金は後払いで、いいですか。後で、必ず返しますから」
「利息付きで問題なければ、いつでもいいですよ」
健太は、ニコッと笑みを浮かべる。どうしよう。借金だけは、どんなにお金に困ってもしないと決めていたのに。
健太によると、弁護士と契約を結ぶには、契約書にサインをする必要があるらしい。緊張してペンを持つ手が震える紀子に対し、健太が「大丈夫ですか?」といってそっと手を添える。
「わーっ!何するんですか!」
紀子は、とっさに健太の手を振り払う。紀子の心臓はバクバクと動き、動揺して止まらない。
「あっ。ごめんなさい。僕、癖でつい余計なことをしてしまうんです……。そうですよね。男性に慣れていないとおっしゃっていましたよね。失礼しました」
健太は、頭をボリボリと掻いた。彼と一緒だと、なぜか調子が狂う。紀子はすぐ契約を終わらせなきゃと思い、そそくさとサインを交わす。
「契約、ありがとうございます。星平さん、共に戦いましょう。僕が最後まで、徹底サポートします」
健太の白い歯が、キラリと瞬いた。
【続く】
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