4才の娘、人生初のイエローカードを受け取る
親バカだが、我ながら娘の歯は小さくて整っていると思う。
娘の白くて美しい歯を守るには、娘が1人で歯磨きできるまで、親である私がサポートしなければならない。そう考える度に、私はふぅと重い溜息をつく。
4歳の娘は、歯磨きと歯科検診が大嫌いなのだ。
◇
私の住む街では、子ども向けの歯科検診を定期的に開催している。歯科検診が開催される度に、私は顔を顰める娘の小さな手を、引っ張る。娘はイヤーーと泣き喚く。
最終的に、娘を抱き抱えるか、もしくは引きずるように連れていく。娘の手を引っ張ると、ずしりとした重みを感じる。体重も増え、体力も増した分、連れていくのはますます困難になっていく。
物分かりが良くなれば、もう少し楽になるのかもしれないけれど。うちの娘は発達の特性上、そこに到達するまでに時間もかかりそうだ。もしかしたら、このまま何も変わらないかもしれない。これから先も、ずっと。周りで大人しく検診を受ける子どもを見るなり、鉛のようなため息をつく。
「おもちゃ(玩具)がもらえるから」
「一瞬で終わるから、大丈夫」
歯科検診に参加すると、フッ化物の塗布、小さな玩具がもらえる。玩具で釣ろうとしたことは、何度もあるけれども。すでに4才になった娘は、玩具や気休めの言葉如きで靡かない。白衣の女性を見るなり、顔がみるみる強張っていく。
歯医者さんから「口の中を見せてください」と言われた娘は、すぐにそっぽを向く。無理矢理歯医者さんの方へ顔を向けようとすると、「ウギャーーー!」と泣いて大暴れ。ここから、私の地獄が始まる。
普段は、歯科助手さんと私で協力し合い、娘の体を抑える。時にはタオルで、全身をぐるぐるに巻いて固定することもしばしば。
娘は、歯科検診になると体全身で目一杯抵抗しようとする。検診をスムーズに進めるためにも、動かないように力ずくで全身を抑えなければならない。今日は日曜日だったので、夫のサポートも借りることができたのは有り難い。
「歯垢、3〜4日分溜まっていますね。娘さん、歯磨きしていますか?」
歯科検診を終えると、やれやれといった様子で歯科医は答えた。ああ、やっぱり汚れが綺麗に取れていなかったんだ。心当たりはある。歯磨きをしても、歯科検診のように暴れるので、上手く磨けないのだ。歯医者さんからそう言われ、私は思わず狼狽える。
娘は、歯磨きが大嫌い。歯ブラシを口に突っ込もうとしても、娘はその度に口をギュッと閉める。無理矢理歯ブラシを突っ込もうともすれば、娘の目から涙が溢れる。
「歯磨き、してはいるんですけど……」
もちろん、歯磨きを決してサボっている訳じゃないけれど。でもいくら大人がそう思っていても、本人が拒絶しているとなす術がないのである。
娘が歯磨きを拒絶する度に、私は口の中へ歯ブラシをなんとか押し込もうとする。結局のところ、のれんに筆押しでしかなかった。いつも磨けるのは、前歯付近のみ。奥まで歯ブラシを届けることができず、私は途方に暮れる。
◇
最近では、歯磨きの後にお口の中をケアできる子ども用のマウススプレーを購入した。
歯ブラシで奥の方を磨けないなら、スプレーに頼ってみてはどうだろうか。そう思った私は、歯磨きが上手くできない時に、娘の口の奥に向かってシュッとスプレーをひと吹き。
歯医者さんから「汚れが取れていない」と指摘されて、ようやく気づく。結局歯ブラシじゃないと、きちんと汚れが取れないのだろうと。
そもそもパッケージに「ハミガキあとに、おくちのケア」って書いてあるじゃないか。おそらく、歯磨きをする前提で仕上げとして使用する商品なのだろう。
「今から歯磨き指導しますので、こちらのカードを後ろの方へ渡してください」
歯科医から、一枚の黄色い紙を渡された。紙の上には「イエローカード」と書かれている。どうやら、歯の健康状態や磨き方に問題があった場合に渡されるものらしい。
イエローカードって、サッカーの世界ではファウルをした時に渡されるカードだったはず。
1枚だけなら処分に繋がらないものの、あともう一枚増えると退場の上、次の試合には出られない。
今度の検診、これは引っかかっていられないぞ……。歯科医からイエローカードを渡されるなり、私はみるみる青ざめる。歯磨き指導では、次こそ引っかからないように、困っていることは何でも質問してみることにした。
まず1番聞きたいこと。それは、歯磨きを嫌がる娘に歯磨きをする方法である。なんだか、ちょっぴり早口言葉みたい。
◇
歯科助手の方からは、「子どもが泣いていても、歯磨きミッションを完了させるコツ」についてレクチャーを受けた。
話によると、人差し指で上唇、中指で下唇を抑え、もう片方の手で磨けばミッションが無事完了するらしい。
淡々と説明を行う歯科助手から歯磨きをされ、「ウワーッ」と泣きながら耐える娘。子どもの歯磨きを終わらせるには、テクニック的な部分の他にも「子どもが泣いていても、気にせずに歯磨きをやり切る強い意志」が必要なのかも。
私はどうも娘が可愛いあまり、泣いていると可哀想で手が止まってしまう。けれど、子どもの将来を思うのであれば目先の姿より「その先」を見据えて動くことが大切なのかもしれないと悟った。
歯磨きの仕方は、インターネットでも調べられるかもしれない。けれど、目の前で実践してもらうと、細かい指の使い方まで学ぶことができる。検診や歯医者へ足を運び、直接プロの専門家へ相談することは改めて大切だとつくづく思う。
歯科助手から歯磨きの方法を学んだ私は、今晩無事にミッションを遂行できるのだろうか。ただ今、時計は13:30。夜の歯磨きに向けて、私は今からドキドキしていた。
◇
この日は、夕方から娘の美容院にも出掛けていた。ベビーカーを使わず、初めて名古屋の街を闊歩する。疲れ果ててしまったのか、ご飯を食べている最中に爆睡。どうやら、歯磨きはお預けの様子だ。
歯医者さんによると、本当は朝晩歯磨きをするのがベストらしい。夜の歯磨きはダメだった分、朝頑張ろう。
さあ、娘は嫌がらずに歯磨きをしてくれるのであろうか。時計は今、7:00。娘は爆睡中。私は歯ブラシを片手に抱え、ドキドキの朝を迎える。
【完】