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読書好きで片付け嫌いな夫と、本の断捨離はできるのか?

夫は片付けられない男だ。若い頃は汚部屋に住んでいたらしい。かつてはお掃除のプロに頼んだこともあったようだ。我が家では夫の私物エリアはいつも雑然とものがあふれている。

会社のデスクの写真を見たら、書類が何層にも山積みとなり雪崩を起こし、そこだけ泥棒が入ったかのようだった。辛うじて見えている約15センチ四方の隙間で仕事をしているというので、恥ずかしくないのか、と聞くと、全然恥ずかしくないという。
「だってシャーロック・ホームズも、こんなもんだよ」

夫は読書家でもある。主な日本文学は小学生の時に大体読んだそうだ。中学生になると好きなジャンルが確立しはじめ、ミステリー、SF、ファンタジー小説を主に好んでいる。アガサ・クリスティー、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、ローレンス・ブロック、L ・M・ビジョルド、オースン・スコット・カード、上橋菜穂子…。

シャーロック・ホームズ・シリーズはもちろん全巻読んでいる。夫いわく、夫のデスクとホームズの机は似たようなもの、とのことだ。読書量に比例して、うんちくは増え、本は蓄積されていく。読んだ本はずっと取っておきたいらしい。


自分は「片付け」にハマり、真剣に取り組んでいる。そろそろ本に手をつけたいところだった。乱雑に本が山積みになっている和室の本棚、パズルのように押し込まれた本で隙間もない書斎の本棚、そして押入れの底のダンボールで眠る大量の文庫本は、ストレスのもとだ。しかし、我が家にある本の8割は夫のものなのだ。さて、どうしたものか。

もちろん夫に片付ける気配はない。普段目にする機会の多い和室の本棚は、それ自体が容量オーバーだが、加えて、つい最近まで本棚の前の畳に雑然と直置きした荷物で隠れてしまっていた。その有り様を見ても、
「うち、キレイだね。片付けるところないね」
という人だ。まあ、「片付いている」という概念は人それぞれなのだから、仕方ないが…。

同居人がいる場合の「片付け」では、自分の考えを相手に押し付けてはいけない。片付けの達人たちが、皆同様に言うことだ。その点は、「片付け」はモノとの向き合いであり、モノを通して自分と向き合う個人的な作業なのだから、と自分も理解している。だから、我が家の「片付け」は私一人で担当しているというわけだ。

本の断捨離はたいして進まないだろうと半ば諦めていた。でも少しだけでも改善したい。こうして、開始する旨だけ宣言して、取り掛かったのだった。


和室の本棚の左半分、そこは自分のエリアだから問題ない。自分の本を全て取り出し、拭き掃除。本を取捨選択しながら、何もない棚を眺めた。

その本棚は、一部を壁に垂直にし、全体を上から見るとL字に設置していた。壁の長さ等の事情から、その方が収納スペースを広く確保できたからだ。だが、ふと、垂直に置いた出っ張り部分を無くし、全てを壁に沿って平行に置きたくなった。収納スペースは減るが、本も減らす予定だから大丈夫だ。

配置を変えてみると、当然ながら、本棚に凹凸がなくなり、窓からより多くの光が入るようになり、部屋は広く明るくなった。そこで、黙って見ていた夫が、突然口を開いた。
「すっきりしたね。なぜもっと早くこうしなかったんだろうね。慣れって恐ろしいね」
いや、お前が言うな、と思ったが、18年くらい、自分も気付かなかったし、発想もなかった。やはり見慣れている環境は感覚を狂わせるのかもしれない。


でも、いいことがわかった。夫は「片付いたらすっきりする」という感覚は持っているようだ。

さらに進展もあり、書斎の本棚が気になるから、片付けてもいいようなことを言い出したのだ。

「片付け」は一人が始めると、同居人にも伝染していくもの。片付けの達人たちが、皆同様に言うことだ。思いがけなかったが、心のどこかでは期待していた展開だった。

本は重いし作業は疲れるだろうから、と手伝いを申し出ると、
「片付けたいのは書類の方。本については片付けるとこないし」
確かに、本棚の一角は税金がらみや保険関係など重要そうな書類で埋まっていた。

書類か…、本じゃなくて…。やはり本を片付ける気はなさそうだ。全てが期待通りではないが、何かを片付けようと思っただけでも良いことだ。

夫は書類を一人で片付け始め1日で作業を終わらせた。思い切って大量に処分したようだ。それにしても早い。早すぎる。もしかしたら、本当に重要な書類も捨ててしまったのかもしれない。とはいえ、本棚にがらんとしたスペースが生まれたのだ。夫は片付けられない男だが、やればできる男だった。


自分の方は、片付けスランプに陥っていた。一度読んだ本も、読んでいない本も、まだ読むかもしれないと思えてくるのだ。それに、最近では積読も意味があると言われているではないか。そもそも本は捨てなくてもいいものなのかもしれない。心のどこかで、チャンスがあれば、夫に本を捨てさせようと思っていた自分に気づき、少し反省した。

書類の処分で本棚にもスペースもできたし、あふれている本をそこに移せば少しは改善はできそうだ。夫には、頑張ったね、もう無理しなくて良いよ、という趣旨のことを伝えたのだった。

ところが、夫はなぜか、本の取捨選択に入ったのだ。


書類を大量に捨てたことで、捨てることに拍車がかかってきたそうだ。「片付けハイ」だ。これも片付けの達人たちが言っていたことかもしれない。でも、もはや自分の方が考えが少し変わっていたし、ここまでは予想していなかった。

書斎の本棚、和室の本棚と順に片付けていく夫。
「空間に対して、モノが多すぎるのは事実。多すぎるものは減らすしかない。それだけだ」
まるで、数年来「片付け」をしてきたかような、よくわかってる風なことまでいい始めた。


最後は押し入れのダンボールだ。それは、重い段ボールを3つ退かさなければ辿り着けない押し入れの奥の底に沈んでいた。そう簡単には取り出せないし、よっぽどの用事がなければ取り出すことはない。つまり、ただ単に保管しているだけのものだった。

そこには夫の古い文庫本がびっしりと詰め込まれていた。中学生の時に読んだのかもしれないアガサ・クリスティー、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークたちも収まっている。かなり変色したのだろう。茶色く乾燥したそれらは、まるで古文書のようだ。

本以外の、何か得体の知れないものが出てきそうだから、自分は触るのを躊躇した。夫はそれらを手にとって、パラパラとめくり、懐かしんでいるように見えた。夫にとっては保管することに意味がある、思い出の本なのかもしれない。

「これは汚い。もう読むこともなさそうだ」
夫は、あっさりと段ボールごと捨てることにしたのだった。


結局、二人合わせて約400冊の本を手放した。でも、手放した本の数など、もはや問題ではない。夫は片付けられる男に変わったのだ。きっと、「片付け」を通して、夫は夫なりに自分と向き合い始めたのだろう。

「は?別に自分と向き合ってない。僕はモノを捨てただけ」
片付けられる男にはなったが、片付けの達人たちの言葉を聞かされるのは好きではないらしい。

各本棚は本があふれることなく、並べられるようになった。どちらかというと自分のエリアの方が若干雑然としているくらいだ。

「君は片付け本ばかり読んで、本を増やして、意味なくない?」
確かに自分の積読には片付け本もあるから否定はしない。でも肯定もしない。
意味はあるはずだ。

夫の積読はやはり
ミステリー、SF、ファンタジー小説


最後までお読みいただき、ありがとうございました📕

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