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対話のコミュニティメンバーが"書いた"noteまとめ

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対話のコミュニティメンバーが"書いた"noteで、メンバー同士で読んでもらいたいものはこのマガジンに入れていきます。ハッシュタグ #対コミ書くこと会 をつけて下さい
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記事一覧

迷っているうちに1日が終わる不安を友達のnoteが一瞬で解消してくれた話

11月に入ってから、毎日noteを書いてます。ここ何カ月か、「毎日書きます!」と宣言しては途中で離脱する……を繰り返していたけれど、なんとなく順調。 でも! ここからがヤバい。なぜなら、明日あさっては参加者エントリー200人超えのなかなかに大きなイベントが待っている。 すっごい楽しみだけど、これ始まったら、わーっと時間がすぎていくヤツ。きっと、大興奮でnoteを書くの忘れるのよ、きっと。そして何日も経ってから「あ……」って思い出す。キ・ケ・ン! これはね、もう早めに書

SNS発信もやりたいことを実現させるのも鮮度が大事

タイトルの通り。 朝からそんなことを思った。 忘れないように、と今急いで書いている。 ここ数日、noteに書きたいことがあったのに、なんかうまくまとまらないなとか思っていたらnoteに書きたい!!と思っていた熱量が下がってきてしまった。なんてこった。 あんなにこれはnoteに残しておきたい、と思っていたのに。なんだか残念な気持ちと、なんで熱量が下がったのか?????と考えてみたら 「うまくまとまらない」→ 「うまくまとまらないとたくさんの人に読んでもらえない」→ 「た

「私は何をどう届けたいんだろ?」の問いの答えは1年3か月後にひょいと現れた

肩書きが定まらない。 それはここ数年、ふんわりと悩んできたことだ。 別に肩書きなんてどうだっていいじゃんとも思う。 肩書が欲しいなら名乗ればいい。 「ライターは名乗ったその日からライターです」と言われて、フリーライターになった25歳の冬からそうやって生きてきたわけだし。 その一方で、もう少しわかりやすくならんものかという思いが捨てられない。初めましての人と話すときに、ちょっと困る。 紙媒体もWEBも、出版も広告もやるフリーランスのライターで編集者で、たまたま夫の両親の介

四半世紀前にもらったバトンを手渡した夜

「今年はライターにチャレンジしてみたいなーと思ってて…」 「よし、今日から名乗ろう!」 「いいんですか?」 「いいんです!」 中野駅から徒歩5分の居酒屋「笑い上戸」。ギリギリまで近所のレンタル会議室でオンライン会議に参加していたので数分遅刻して、席についた途端に適当なことを言い始めてしまった。乾杯ぐらいはしていたかな。飲み始めと同時ぐらいに「いいじゃん、いいじゃん、名乗っちゃいなよ~~~」と、ライター業に興味がある女の子たちの背中を押しまくる。どーん。 いいんですか? い

あたまのなかのモヤモヤを、手を動かして書き出す。

昨日、特養に入所している母親と面会した。 母は、2、3日でいいから家に帰って自由に過ごしたいと言う。 母は要介護4で、自宅に帰るには介護タクシーから介助を手伝ってくれるヘルパーさん、車椅子をレンタル?などたくさんの人に協力してもらわないと実現できない。 何より、母は車椅子を嫌い、リハビリもせずほぼ寝たきりで2年ほど過ごしている。まず、母の体が心配で自宅に帰す許可を出せないのだ。 頑固な母は、帰れないとわかると無口になってしまう。 わたしも、一緒に面会に付き合ってくれたお

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ピアノ・レッスン

30年以上、趣味でピアノを弾いている。ピアノの音が好き、音が響いている中に身をおいていることも好き。 何かをコツコツ積み上げることが得意とは言えない私がなぜ、ピアノを弾くことだけ、こんなに続いているのか。それについてたまに考えると、必ず30年近く習っているO先生の存在にいきつく。この先生でなければ、レッスンもピアノを弾くことも続けていないと思う。 これらは全部、今までのレッスンで自分の演奏に対してもらった言葉。音の出し方や演奏の速さなどに対して言われているのに、私はその時

今年も『鎮魂』のために

早朝、突然ものすごい恐怖感に襲われた。おっきな恐怖感に覆い被されたようになり、「こわい、こわい」って口に出していたら、突然身体がボンっと跳ねた。 そのとき、思い出した。 今日、1月17日だ。 このときまで、私はこの日が1月17日だと忘れていた。 私は忘れていたけれど、私の身体と、 身体に刻まれた記憶は忘れていなかった。 その後とにかく身体が重たく、横になっていた。 やばいな。熱出るパターンかな。 そんなことをぼんやり考えていたら、意識がすーっと遠くなり 再び眠っていた

食好きなわたしが考える、令和の和食は何が展示されるのだろう?(特別展「和食」に行ってみた)

2月中頃の日曜日、東京・上野の国立科学博物館で開催されている「特別展『和食 ~日本の自然、人々の知恵~』」に遊びにいきました。 今回のnoteは、「令和の和食って、なにが展示されるようになるのだろう?」ということについて、私が考えたことを記します。 ※撮影可能だった場所の画像を載せています。これから足を運ばれる方はご注意ください。 🔸特別展、見応えがあってめちゃくちゃ楽しかった お昼ごはんを食べたら、「夜ごはんは何を食べようかな」と考えるくらい、食べることと料理を作る

社会人になって自炊にもやもやするわたしが、ある本を読んで、自炊の「こうしなければ」から解放された話

自分のために料理をしたいけど、自炊ができない自分を責めてしまう。 こんな感情を持つわたしが、「自炊」と「ケア」って関係あるの?と気になり、「自分のために料理を作る 自炊からはじまる『ケア』の話」を読んでみることにしました。 今回のnoteでは、こんなことを書いています。 ①自炊に大事なのは「自分で選んだ食事に納得できていること」である。 ②自分の中にある「自炊ができない自分を責めてしまう」行動の中に、「will(こうありたい)」「must(こうしなければならない)」が含

続けられると思っていなかった「10年日記」がとうとう2冊めをむかえた話

日記書いていますか?日記という言葉にどんなイメージありますか? 日記書いている人、どのくらいいるのかな。SNSが日記代わりになっている人もいるだろうし、日記は宿題以外やったこともないという人もいるだろうし。 かくいう私も、宿題の日記とかはちゃんとやっていた気があまりしません。 今書いている10年日記も始めたきっかけは当時住んでいた自宅の近くにあった書店でたまたま売っていたから、です。 「10年書けたらかっこいいな」くらいの気持ちで買いました。 なので、10年以上続けてら

ベッド上の大切な人に駆け寄る前に知っておきたいこと

そう知ったのは昨年5月。車椅子の友人と沖縄旅行に遊びに行くため、「起き上がり介助」と「車椅子の移乗」を習いに行ったときのことです。 教えてくれたのは訪問介護事業所リバーサイド・ヴィラの雨澤慎悟さん。以前、介護技術研修会を見学に行ったとき、雨澤さんに介助実演してもらったときの感動が忘れられず、どうしても短期間で介助を覚えたい事情を話し、相談したところ、特訓の指南役を快く引き受けてくれたのです。 特訓につぐ、特訓! その合間の休憩時間に「ちょと別のことをやってみましょうか」と

よれよれだけど、底をついた

やや深い疲れとちょっと長めの落ち込みだった。 「だった」というのはなんとなく底をついた感じがあるからで、この今の感じを書き記しておこうと思う。 あとで自分がこれを見返して、助けになるのかどうか分からないけれど、なんでもかんでもすぐ忘れてしまう。忘れてもいいこともあるけれど、できればこれは次に活かしたい。 暑さがとてもきびしい夏でした。 大きな予定をあまり入れず、家時間や近場を楽しんで、なんとか生き延びて残暑と呼ばれる季節になった頃かな。 通常モードで流れる仕事に加えて、2

冬至を区切りに

 数年前から冬至に区切りを感じるようになった。 何か特別にやることを決めているわけではなく、 年によって、気が向いたらかぼちゃと柚子を生活にとりいれるくらい。 今年もまた区切りにしたい。と思ったので、書き残しておこう。 自分のやること・テンポと周りの流れ・テンポの違いに対応できなかった、折り合いをつけられなかったのだと思う。 いや、できるよ。やってきたじゃないと言う自分もいるけれど、 ずっとそのテンポではやっていけなかった。 もう、しょうがなかった。 一度流れを止めてみ

未来にゆっくり伝える味噌

子どもの頃、8月になると、父が運転する車に着替えやお土産を乗せて、家族で佐渡島へ向かった。 島の海沿いの町に父の実家があった。 父方の祖父と伯父夫婦が住んでいた。毎年8月の数日だけ、祖父と伯父伯母に会える。一緒に暮らせる。私はその8月の数日が大好きだった。 毎日の食事は祖父と伯父夫婦が用意してくれていた。 祖父がその日に漁で獲ってきた魚。伯父が早朝市場で買ってきてくれたイカ。 そして、伯母が毎年仕込んでいた味噌でつくる味噌汁。 「麹だけは酒蔵で分けてもろうたけど、大豆