【ご報告】双極性障害Ⅱ型。一生障害とともに生きていくことになった話。
こんにちは〜!
みきてぃです!お久しぶりですね…!
みきてぃは、なんとか生きています。
唐突ですが、私は先日、「双極性障害Ⅱ型」と診断されました。
今日はそのお話を少し。
ところで、双極性障害って何?
皆さんは「双極性障害」という病気(障害)を知っていますか?
いわゆる躁鬱病(そううつ病)と呼ばれているものです。
双極性障害は、脳の病気です。国からは障害者手帳が発行されており、制度的には「障害」という扱いですね。
双極性障害というのは、本当〜〜〜に生きづらい障害です。
簡単に言うと、躁状態(元気すぎて無敵フィーバー)と鬱状態(死にたい何もできない苦しい)を一生繰り返す病気です。
でも、ぱっと見は元気だし普通だしどう見ても健常者です。(本当に危機的な鬱の時は誰にも会わないし、会ったとしても元気なように振る舞っているので。)
だから、本人のしんどさのわりに、周りからの理解は得られにくいところが厄介なところ。
双極性障害ってどんな病気?詳しく知りたい方はググってみてください。
↓
ご心配をおかけしましたが、なんとか生きてますの報告
双極性障害をここでカミングアウトするかはかなり悩みましたが、この病気(というか鬱)によって(主にお仕事などで)ご迷惑をおかけした人もいたり、純粋にみきてぃを心配してくれている人もいたりしたので。
日頃お世話になっている人たちへ、とりあえず生きてるよっていう生存報告と、
自分自身が生きてる証を文章で残そうと思ったのと、
鬱状態でご心配をおかけした人たちには、今は薬で療養中です(とても前向き)というご報告をしようと思った、次第です。
この病気のこと、自分の鬱状態のこと、うまく話せる自信も今はまだないので、文章にまとめました。
頑張って書いたものの、思いのままに書いているし終始自分語りなので記事としては読みづらいかも。けれど、これがありのままなので読んでもらえたら嬉しいです。
勇気を振り絞って書いたよ
あとね、私にとって、自分が病人(障害者)であると公言するのはとっても勇気がいることでした。
でも、双極性障害で苦しんでいる人たちには、ひとりじゃないよって伝えたいし、健常な人たちには、双極性障害のことを少しでも知ってほしい。
ていうか、もうこれを機に、「みきてぃはこういう人間です」という自己開示も思い切ってすることにした。
そういう想いもあって、この記事を公開することにしました。
今日は世界双極性障害デーだってさ
ちなみに、本日(3月30日)は、世界双極性障害デーらしいです。
3月30日は、双極性障害を患っていた画家ゴッホの誕生日ということで、制定されたようです。(これを書いてからも公開する勇気がなかなか出ず、公開日はとっくに過ぎてしまいましたが…!)
それでは、今回も1万字越えの大作になりましたが、ながいながい独り言だとでも思って読んでもらえると嬉しいです。
では本編へどうぞ!
26年間の生きづらさの正体は双極性障害だった
ではここから、私の生きづらさ=双極性障害についてお話ししていきます。
あまりにも死にたいので病院に行った
今月(3月)で抑うつ診断から1年が経ち、先日、双極性障害Ⅱ型と診断されました。
今年2月にコロナ陽性で隔離されてからというもの、身体は元気になっても心がどんどん鬱になっていくことに恐怖を感じていました。
お仕事もできなくなり、人に会うエネルギーもなく、あまりにも生活に支障が出たため精神科を受診。
受診するまでの1ヶ月間(予約が全然取れず1ヶ月待った)、希死念慮があり毎日死にたいけど死にたくたないけど死にたい…の狭間で苦しい、誰にも相談できない(血縁関係者は頼れる人いない)、孤独でただただ生き地獄な日々をやり過ごしていました。
コロナの後遺症かな?仕事の不安感やプレッシャーかな?失恋のショックか?どのみち、やっぱり私はメンタル弱いな気合いと根性と努力が足りねぇ。などと考えていましたが、全然そんな単純な話ではなかったです。
思っていたよりも深刻な結果でした…。
診断名を告げられた日
自分が障害者(病人)であると、突然医師に明かされたら、どんな気持ちになりますか?
私は、診断を聞かされたその瞬間は、悲しい気持ちよりも安心感で涙がこぼれました。「やっとこの生きづらさを解決できるんだ…もっと楽に生きててもいいんだ…」と思えたからです。
こんな心境でした。あまりにホッとして、先生の前で大号泣した…。
先生は淡々と説明してくれました。医学的な根拠をもとにお話を聞けて、すごくすごく心が軽くなりました。やっと、(適切な治療を行うことで)気分の浮き沈みの激しさから解放される(かもしれない)と思うと、未来に希望がもてたのです。
…と同時に、絶望感も襲ってきました。
今まで散々苦しんできたのに、まだこれからも死ぬまでずっと苦しみながら生きていかなければならないなんて過酷すぎる。それなら死んでしまったほうが良いのではないか。なぜ私がこの病気を発症して、こんなに苦しい人生を歩まねばならないのか。という絶望です。
生きづらさを抱えて生きてきた26年間
noteにも過去記事がありますが、私は1年前に抑うつを発症しています。
実はそれ以外にも、これまで26年間、うつと超元気(いわゆる躁状態)を繰り返しては、悲しい苦しい思いを沢山してきました。
躁のときにあれこれ手を出したことが、いきなり鬱になって未完で終わって周りに迷惑をかけたり、信用を失ったり。躁のときに自分で組んだ無茶苦茶なスケジュールに、鬱の自分が対応しきれずキャパオーバーになって潰れてしまったり。ただ診断されてなかっただけで、かなりの生きづらさがありました。
それでも、
躁のときにギッチギチにスケジュールを詰め込んで(あふれてたくらい)、鬱期がきて余裕がなくなって苦しんで、授業も行けなくなって単位を落としまくってましたからね(大学時代)。
当然、先生や周囲からの評判は良くないわけです。
その結果、どんどん自分で自分を「もっとがんばらないと」「もっと認めてもらえるように努力しないと」「もっと結果を出さないと」と追い詰めていた。
ついでにもうちょい大学時代の話
学年が上がるにつれて、同級生たちがどんどん成長してなにかしらの結果を残して、何者かのポジションを獲得していって…それなのに、私は躁鬱を繰り返して、ひとつのことをまともに成し遂げやできない。
いつも全部中途半端。
精神的な不調で各種活動や授業に参加できない、バイトも入れない、みたいな日がだんだん増えてきて、結果を残すどころか周りからの信用を失っていくばかり。そんなちっぽけでダメダメな自分が嫌になって、ますます自分を嫌いなっていく負のループに陥ってしまっていた。
メンタル不調(今考えたらどう考えても鬱)が原因で、大好きだったバンド活動もうまくいかなくなったりして。仲間たちだけがぐんぐん前に進んで行ってて、悲しかったの、今でも覚えてるし後悔してる(どうしようもなかったけれど)。
そんなこんなでも、大学を4年で卒業できたのは本当に奇跡だと思ってます…。
そういえば大学時代の健康診断で、身体は元気なのにいつもメンタルチェックの欄だけびっしりチェックがついていた。ついにある時、お医者さんから「君は心がピンチだからカウンセリングを受けなさい」と言われて、大学のカウンセリングを受けていたのだけれど、(今思えば)躁と鬱の波が激しい自分を受け入れられなくて、どんどん苦しくなるだけだったな。
あの時、病院に行けていたら…今の主治医と出会えていたら…とも思うけれど、双極性障害は長いスパンで躁と鬱を見なければ診断する術がなく、診断までにそもそも長い年月がかかるので、どの道、耐えるしかなかったのかも。(初めて病院に行ってから双極性障害と診断されるまで、10年以上かかるとかはザラらしい。だから私はむしろ早いほうだった。)
とにかく、今思えば、よく生き延びたよなぁ、と。
「死ぬしかないのか?」から「うまく生きるには?」へ
だから、今回ちゃんと診断がおりて、適切な治療を受けられることになって、これからは後ろ向きに悩む(もう死ぬしかない、みたいな)のではなくて前向きに悩める(どうやって上手く自分と付き合っていくか)、それが嬉しかったです。
もう本当に打つ手がなくて、ずっと出口の見えない暗いトンネルを、手探りで歩いていたようなものだったから。
生きづらい人は勇気を出して病院へ行ってみてほしいな
私は、今回の病院と先生に出会ってとても心が救われました。
もし今、少しでも生きづらさや生きることへの苦しさを感じていてる人がいるなら、勇気を出して病院(精神科)に行ってみてほしい。
私は結局4件目で今の病院と出会って、今回の診断がおりたし、今回の先生は、めちゃくちゃ丁寧に話を聞いてくれて、今まででいちばん信頼できるし頼りたいなと思えた先生だった。
(これまで鬱になる度に毎回違う病院へ行っていた。先生が合わないとか診断が適当だなみたいなところも正直あったので、毎回転々としてた…)
(だから通院先選びは慎重にしたほうがいいけれど、まず第一歩として然るべき専門機関に頼ることは大事だと思った)
私は最初、精神科ってすごく怖いイメージ(ただの偏見)があって、でも鬱のときの私には誰も「一緒に来て!」って言えるような頼れる人もいなくて、ひとりぼっちで未知の世界に(しかもただでさえ精神しんどいのに)行くのはものすごく不安で怖いし勇気が必要でした。
でも、勇気を出して行ってみたら、フツーの内科と大して変わらなかったです(だいたいどこもそうだった)。ただ、あくまでもじっくり話を聞いてもらえる場所ではない(結局病院なので薬物療法がメイン)。けれど、ちゃんと困り感を自分で先生に伝えられたら、適切な治療を受けられて、生きやすくなる可能性があるので、行ってみてほしいし、自分に合う先生に出会うまで諦めないでほしいです。
双極性障害とは?
ではここから、双極性障害ってなんなん?って話をしていきますね。
厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_bipolar.html
双極性障害というのは、ざっくり言うと脳の病気。ホルモンシステムのバグ的なものと私は理解している。一応国の制度的には、病気というよりも「障害」という扱いらしい(障害者手帳が出てるみたい)。
日本では0.4~0.7%の人が発症しているそう。(ちなみに、うつ病の発症率は約10%、発達障害は児童期で約6.5%とかそれくらいだったはず)。
よくある病気(障害)といえばそうだけれど、通常のうつ病よりはレアともいえる。
いわゆる躁鬱病
双極性障害はいわゆる躁鬱病と呼ばれているものです。俗にいう、気分の波が激しいってやつ。
躁はプラスの、鬱はマイナスの気分。その落差が大きい波を何度も(永遠に)繰り返してる病気(障害)ですね。
躁状態とは?
通常、人は美味しいものを食べたら幸せとか、楽しいことしたら幸せとか、何かプラスの出来事があったらプラスの気分になりますよね。それは普通です。
双極性障害の躁は、何か決定的な出来事がなくても、ある日突然、気分がめちゃくちゃ上がります。本当に何の前触れもないです。別人かな?レベルです。
いきなり、「私はなんでもできる」という万能感が出てきたり、次から次へと新しいアイデアが湧き出てきたりします。
周りの人からすれば(もちろん自分自身から見てもですが)、行動的で元気で明るくて活発で社交的でチャレンジ精神や好奇心が旺盛で、スピード感があって…こんな人を見ると、「素敵だな」「キラキラしてるな」って思います。
そのキラキラしてるハイな自分が、躁状態の自分です。
躁状態では、ハッピーホルモン(アドレナリンとかいうもの?)がいきなりドバドバ溢れ出るから、とても行動的だし元気だし溌剌としてて、自分にはなんでもできる!って本気で思い込んでる。スーパー無敵モード。マリオのスター状態。まさに、寝んでもいける、ってやつ。
うつ状態とは?
うつ状態は、世間でもよく知られている鬱病とほぼ同じ症状。ただし、躁鬱病のうつは鬱病とは全く異なる仕組みらしくて、処方されるお薬も真逆くらい違うものらしい。詳しくは不勉強なので、これから勉強していくつもり。
とりあえず鬱になると、訳もなく涙が出たり手が震えたりして常に死にたい消えたい生きるの苦しいでも生きたい(だから実際に死にはしない)みたいな混沌とした負のエネルギーに苦しみもがいてる。食う寝る以外なにもできない、本当に。食べられるのはまだマシかも。
躁状態は鬱より厄介
鬱状態であれば、誰がどう見ても、危機感を覚えます。「死にたい」と本気で言い、何もないのに泣いてるなんて、どう考えてもおかしいからです。健全ではないからです。躁鬱の患者のほとんどが、病院に行くのは鬱のときです。
かたや躁状態。周りも自分も、「すごいね」とプラスの感情は抱いたとしても、まさか病的な状態、本人にとって危機的状態だとはつゆにも思いません。病気かな?なんて疑う余地もありません。
本人も周りも、躁状態の自分が本来の自分だと思っているからです。
でも双極性障害の躁状態は、本当は健全ではないのです。気分が上がりすぎているから、いろんなミスやトラブルに巻き込まれたり、鬱状態に下がったときの落差が激しくてその差に死にたくなるほど苦しめられるからです。
双極性障害の人は、本来は気分を上げすぎてはいけない(気分を安定させなければいけない)のです。
双極性障害にはⅠ型とⅡ型がある
ちなみに、双極性障害にはⅠ型とⅡ型があります。
両方とも、鬱状態は同じ。違うのは躁状態の上がり方。
Ⅰ型は、気分の上がりが、より激しいタイプ。生活に困ってても散財してしまう、喧嘩をふっかけるなどして人間関係で大きくトラブルになる、とにかく家族や友人が心配するレベル、人生崩壊寸前レベルになるほどハイな状態までいくらしい。(まだ詳しくは理解していないけれど。)
私はⅡ型。Ⅱ型の躁状態は、いわゆる軽躁というもの。「軽」と名がついているからしんどくないかといえば、全くそんなことはない。むしろ、自分にも周りからも誰にも気づいてもらえない、ただの気分の波、みたいな感じでスルーされてしまうところに、この病気(Ⅱ型)の恐ろしさがあると思っている。
軽躁といっても、気分の上がりは本人でも自覚できるほどガッツリ上がる。連日寝なくても元気で、人見知りなのに誰彼かまわず話しかけまくる、いろんなことに手を出して結局どれも完遂せずに終わる(たいてい、やり遂げる前に鬱になるので)、など。
双極性障害(躁鬱病)のしんどさ
躁鬱の苦しさは、経験した人にしか分からないと思います。26年間、生きづらさしかなかった。幼き頃、物心ついた頃から、もうすでに感情の波に振り回されて(というより基本は鬱ベースだけど)常に地獄の底を這うように生きてきた人間です。
それでも私は、自分は病名もつかない、みんなと同じ健常者なのだと思うと、余計につらかった。
病気と診断されてる人も世の中には居て、彼らと自分を同じにして簡単に「躁鬱」だとか「鬱」だとか名乗るのは、本当の病気の人にあまりにも失礼だなって思って、誰かに言えもしなかったし、自分を疑うこともできなかった。「自称鬱」はただの逃げや甘えだと、自分の中ではそう思ってたから。
「自分の努力がまだ足りてないんだ」「自分の能力がダメなんだ」「甘えすぎ、もっと頑張れよ」ってどんどん自分を自分で追い込んでいってた。
みんなが普通にできることが私はできない。
みんなが平然としていることが私にとってはものすごく苦痛。
そんな26年間でした。
心から生きることを手放しで喜べたことなんて一瞬もない。ずっと苦しかったの一言に尽きる。
今これを書くにあたって、昔のことを思い出しているのだけれど、それだけでも涙が出てきます。
障害は「治すもの」ではなく「上手に付き合っていくもの」
双極性障害は、治るものではないという心づもりでいます。
お医者さんに断言されたわけじゃないし、薬の効き方にもよるのだろうけれど。私は、まだこの生き方しか知らないので、「治る」ってイメージがピンとこない。
薬はいつか飲まなくてよくなりますか?
とお医者さんに聞いたけれど、あまり期待はできなさそうな答えでした。
完治は期待できないなーと思った。
期待して完治しなかったときの絶望でまた鬱になって死にたくなるの、目に見えてるので…。期待はしてない。少しでも生きやすくなればそれでいい。
そして双極性障害は一般的に、再発率も高く期間も長いといわれている病気でもあるのです。治療には根気が必要そうです。
私は特別支援学校で教員として働いていたとき、いろんな障害や特性を抱えた子どもたちと出会ってきました。
そのとき「障害は治すものではなく上手に付き合っていくもの」だと実感しました。
毎日決まった時間にお薬を飲む。心が落ち着くルーティンをやる。落ち着いて過ごせる場所で過ごす。それで少しでも生きやすくなるなら、この子にはそれらが必要なんですと、前向きに話してくれた保護者の方もいて、薬も上手に障害と付き合っていく工夫のひとつなんだなと思った。
薬に対する怖さと不安
今、私もお薬を処方され始めていて、正直お薬って漠然と怖いイメージがあって。薬がなきゃ元気に生きられないなんて、なんか不安だなって。依存とか副作用とか誤診とか、怖い話もよく聞く。(←かなり昔から躁鬱の気があるなとは思っていたので、一時期情報をネットで調べまくってた。ネット上でよくある投薬の経過の発信、マイナスなものが多く目についてしまったのだ…)
でもお医者さんいわく、「高血圧の人が血圧下げる薬を飲むのと同じ」「糖尿病の人が薬を飲むのと同じ」だと。たしかに、それで生きやすくなるなら、飲んだほうがいいよなぁ。
追記
診断された次の日にこの文章を書いて、2週間後の今、書き直しているのですが、薬を2週間飲んでみて、すごく生きやすくなりました。鬱状態の改善(目標値まではまだまだだけれど)、気分の波に冷静に対応できる、など。波の予測もたてられるようになって、それだけでもずいぶん楽です。薬すごすぎる。(3月30日)
さらに追記
診断された日から1ヶ月半。実はこのnoteを公開するまでの間に、過呼吸で救急搬送されたことがあり、それ以来、ほぼ毎日胸の苦しさ、息苦しさに悩まされています。それでも、頓服を服薬し始めてからは随分マシになってきたので、やはりお薬の効果はあるのだなと実感しているところです。今となっては、どの薬も手放せなくなってしまいました。(4月29日)
生きやすく生きるために、薬とともに生きていく
薬の服薬は自己決定する必要があって、少し悩んだのだけれど、「薬で楽になるなら、楽になったらいいと思うよ」とお医者さんからおすすめされ、そちらに従ってみることに。
私は特別支援学校で、お薬で生きやすくなっている子どもたちの事例を、たくさん見てきました(もちろん行動療法などもあるけれど)。障害は、一生、なくなるものじゃない。ただ、なくすことはできないけれど、障害による生きづらさを楽にすることはできるのです。
私は一生、双極性障害とともに生きていく
私はこれから一生、双極性障害とともに生きていかなければなりません。死なない限りは、ずっとです。
なんでこんな苦しんでまで、まだ生き続けたいのだろう。今すぐ消えちゃれば、楽になれるのに。何度も何度も、というか毎日。そんなふうに思っています。
それでも私は、やっぱり生きていたいのです。
死ぬのが怖いというのも事実です。
でもね、私、やっぱり、もっと元気で、これからもまだしばらくは生きていたい。
楽しく歌ったり、踊ったり、美味しいもの食べたり、旅したり、大好きな人たちと笑って過ごしたり。そういう宝物みたいな思い出たちがあるから、まだまだ、そういう平凡だけど美しい日々を味わっていたいのだと思います。まだやりきれてなくて後悔してることもたくさんある。わくわくすることやりたいことが、100個じゃ余裕で足りないくらいあるから、ぜんぶ実現してから死にたいとも思っています。
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余談
「鬱の自分を認められない自分」の話
躁状態の自分を自分でもすごく評価しているし、周りの人も評価してくれる。初対面が躁状態の私だった人が、鬱状態の私を見ると、「なんで?」ってなります。私自身も、自分に対して「なんで?」ってなってます。
まずそもそも自分自身がね、躁の自分は好きだし認められるけれど、鬱の自分は嫌いだし認められないのですよね。
「障害もぜんぶまるごと受け入れてほしかった」(でもそれは我儘なのかもしれない)話
躁状態を評価してくれてた人が、鬱状態の自分を知って冷めて離れていく。それってめちゃくちゃつらいです。
私にとっては、「人生には波があるのに、いいとき(躁)だけを見て私という人間を評価され、悪くなったら(鬱になったら)評価を落とされる」みたいな経験が、なきにしもあらずで。
相手がどうでもいい人ならいいかもしれない。でも大好きな人たちにそんなふうに見られちゃうとすごく悲しかった。プラスのときもマイナスのときもある自分、そんな自分でも、そこ(マイナス)だけを見ないで、波のある自分もまるごと受け入れてほしかったんだよね、きっと。
本当は、他者からのマイナスな評価なんて気にしなければいいし、自分が自分を認められてればいいだけなのだけれどね。まずは自分が自分をまるごと受け入れてあげることだなぁ。と。他者は自分の写し鏡なので、自分が「こんな自分なんて…」って思っていたら、他者からもそういうふうに思われるんだと思う。
それでも、そんな私を好きでいてくれている人たちへの感謝が溢れてとまらない
ちょっと話が逸れたけれど、気分の波がありすぎてしんどいこと、それは自分の意志や努力ではコントロールできないこと、同じ双極性障害の人にならきっとすごく共感してもらえると思うけれど、そうではない人にとっては理解し難い、理解はできても共感はできない感覚なのだと思う。
これって仕方ないことなので、もう今は他人(特に双極じゃない人)に「理解してほしい」「共感してほしい」とかは思わないです。「無」です。無。
ただ、こういう(私みたいな)人もいるし、躁鬱を本人の価値や魅力がないことには繋げてほしくないというわがままな気持ちを知っててほしいな、とは少しは思うし、そうならないように私は私なりにがんばるし、
逆に双極性障害の自分を受け入れて、障害とか関係なしに人としての価値を認めて魅力を感じて、そばに居たいからそばに居てくれているという人たちには本当に感謝してもしきれません。
そんな人たちが多からずともこの世に存在しているというのは、私にとってめちゃくちゃ生きる糧になってます。各位の皆様、ありがとう。ぜったい、いつか恩を返せる人間になるし、せめてそれまでは生きようと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
躁鬱で苦しい時期に助けてくれた方々へ
いつか元気になって、「みんなありがとう!大感謝祭」をするのが夢です。
時間はかかると思いますが、助けてくれた恩は一生忘れません。
いつか、なんらかの形でお礼させてください。
彼らがこの記事を読む機会があるかは分かりませんが、この感謝の気持ちが、少しでも届いていたらいいな…。
そして元気になったら、私も、誰かの元気になれるような人になりたいです。
私は、助けてくれた人たちへの恩返しの気持ちも込めて、せめてこれからも精一杯生きようと思います。
おしまい。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました!