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毒にも薬にもならなくても。
わたしね、毎日同じ景色を見てるうちに、あることを想像してたの。
同じ景色ってのは、駅までの道なんだけど、途中に木々がたくさん植えてある歩道があって、晴れた日にはそこに木漏れ日が落ちて。
その歩道を通るひとたちの頭や肩に、光が漏れては影がさして、また光が漏れて。
それがね、波みたいに揺らめいて、すごくきれいだった。
毎朝、きれいだなぁって思ってた。
その内ね、勝手に、ああこれは浄化の光だなぁっ
大丈夫なんだっていうことを言いたくなった。
今日、ひさしぶりに、言葉が落ちてきた。
突然、言葉が落ちてくる、ことがある。
最近はあまりなかったけれど、時々ある。
街をあるいているとき、電車に乗っているとき、ひとりでいるとき。
それはたぶん上の方から落ちてくる。
上空から、落ちてくる。
徐々にわたしの頭上に近付いてくる。
そのままわたしの頭を、のどを、胸を通り抜けて、わたしのまんなかに落ちてくる。
それは、なんというか、全体的にまるく
この土日の話、そして「他者、入ってこれたのだなぁ」と感じた話
最近いろいろなことが一気に起きすぎてよくわからないことになっている。
新しい友人が何人かできた。
その友人たちと埼玉の山を登ることになって、気づいたらこの前の土曜日、本当に登っていた。
山頂でそれぞれがにぎってきたおにぎりを交換しあった。
レジャーシートの上にはタッパーに入ったたまごやきやウインナー、塩むすびに合うものをと持ってきてくれた佃煮が並べられた。
そのときに友人が持ち運べる
わからない、ことが多いなかで大丈夫なのだろうと思えたのは
言葉やまなざしに生かされてきた。
あの人がくれた強い言葉も、
わたしを揺さぶるためにあの立体駐車場で発せられた言葉(としたたかにぶつけられた肩)も、
「あなたはあなたの中にあるものを見せてくれたらいい」という慈愛に満ちた言葉も、
渋谷のロッテリアで、"ここではある程度すべての事柄が許されているのだ"と感じさせてくれたあのまなざしも、
「ひとに触ることができる人だよね」とわたしの知らないわたしを