わからない、ことが多いなかで大丈夫なのだろうと思えたのは
言葉やまなざしに生かされてきた。
あの人がくれた強い言葉も、
わたしを揺さぶるためにあの立体駐車場で発せられた言葉(としたたかにぶつけられた肩)も、
「あなたはあなたの中にあるものを見せてくれたらいい」という慈愛に満ちた言葉も、
渋谷のロッテリアで、"ここではある程度すべての事柄が許されているのだ"と感じさせてくれたあのまなざしも、
「ひとに触ることができる人だよね」とわたしの知らないわたしを教えてくれた言葉も、
「明るさのなかに暗さがあって、でもその暗さの奥に明るさが見えて、だからいいんだ」と言ってくれたひとのまなざしと言葉も、
ほんのひと時交差したひとが、真剣に向き合ってくれたことが、どこかに残り続ける。
それが、ふとした瞬間にひとりでに思い出される。
しあわせな気持ちになったりもする。
しあわせとは程遠い場所へ連れて行かれたりもする。
10月頃から「芝居をもっかいやろう。舞台に立とう。そのために手足を動かそう、発信もしよう」と動き出してみたものの、
わからない、ことが多すぎて、
変わる途中のじぶんに戸惑ったりもして、
そのなかで言葉とあの時のまなざしは変わらないままずっと残り続けてくれた。
ふとした瞬間に浮上してきた。
言葉やまなざしを交わしたあの時間を共有できたのだから、大丈夫なのだろうと思えた。
わからない、ことが多すぎる。
それでもやるだけなので、そんななかで言葉やまなざしに、それを共有することができたという事実に生かされてきたので、
だからわたしも言葉を選び、繊細に、触れるようにまなざすことを続けます。
まわりまわって、誰かが「大丈夫なのだろう」と思える日につながったりするといい。
書いているうちに今年の意思表明みたくなったので、今年絶対やることも書いておく。
・2本以上の舞台出演
・朗読・声を使った作品への参画
・広い畳の部屋に布団を敷いて、すきな友人たちとこころゆくまで雑魚寝
まだまだ増やしていくので、一緒にも増やしていきたいので、よろしくお願いします。
photo by アベハルカ
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