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読書感想文がマジで嫌いだった話


懐かしさ

小学生の夏休み、自由研究とか絵のコンクールみたいなのに強制提出とか色々あったけど一番嫌いだったのは読書感想文だった。

自由研究と絵を描いたのはよく覚えてる。

メダカの卵をベネッセの付録の顕微鏡で見て、写真を撮ろうとしたけどダメだったから図にしてまとめたり、カブトムシの生態研究みたいなのを始めて最終的に近くの川で遊んでた。

馬の絵もよく覚えてる。馬は色鉛筆で塗って、その他の草むらや柵、背景の空や山は絵の具で一生懸命に塗った。
あれで絵を描くのは割と好きになれたと思ってる。

小説を書いてみよう!みたいな授業の時は、友達と複数人でやっていいと言われたけど1人で書き上げた。

しかし読書感想文は違った。

読書感想文なんてわからない

小学生の頃は本を読むことは嫌いではなかったし、面白いと思った本は何回も図書室で借りて読んでた。

主に小学生向けの小説とか怖い話で、特に妖界ナビ・ルナが好きだった。


まあ、この話は関係ないのだが

本を読むのが嫌いではないので、読書感想文の「読書」の部分は問題なかった「感想」の部分が問題だった。

どうやって書けばいいのかわからなかったのだ

感想文の書き方なんて教えてもらったことないし、読んだこともなかった。

パソコンも家にはあったが、用途はポケモンのGTSを使う、それか記憶もあいまいなレベルのよくわかんないゲームをやるためだった。


分からない時はどうするか、俺は親に聞く。

絵の具の使い方とか塗り方を最初に教えてくれたのは親だ、書写系統も教えてくれたのだ、当たり前のように親に聞いた。

覚えている限りだと

句読点の位置に気を付ける、段落は2つか3つに分けて書く、「です・ます」で語尾は統一する、

とかだ。

そして実際に書いて見せた後、書き直せ、と言われる。


頭の中ぐーるぐる

書き直すのは当たり前だったと思う。恐らく内容は取っ散らかっていただろうし、つまり何が言いたい?と思う文章だとか、「感じたことが2つあります」と書いたのに「○○と感じた。」みたいな終わり方をする文章が2つ以上あったのだ

昔よりマシであろう今の自分でも、何が言いたいのかわからないよな、と感じる文章を書いているのだからなおさらだろう。

当時の自分には、使い方のわかっていない道具をいくつも渡されて、「これで何かしてください」みたいな感じだ。

それに、「感想文」なのだから自分の思ったことや感じたことを書けばいいと言われ、本当にそのまま書いていたのだからもう終わり、

俺の頭の中は昔から変わらずに、常に頭の中で何かを考えていて、連想ゲームみたいな状態になっている。

つまり、何も考えずに書いていたら話は逸れていくのだ。

こうして何度も何度も書き直して、修正して、となると子供の俺は嫌になる。

「もう書きたくないからこれでいい」

この後の親の行動は2つだ。

諦めて放り投げ、「じゃあそれでいけば」となって怒るか

キレて「書いてやるからそれを写せ」と言って8割ぐらい感想文を書かれる。

親が悪い!とまではいかないがもっとマシな方法があったと思っている。

最終的に

こんな出来事があったから感想文が苦手になったし、感想を書いてくださいって言われるとどうしよう…ってなることが多かった。

多分今も無理だね。ただこれ書いてる時に読書感想文読んでみたいなって思ったから、読書感想文を読んだ感想をそのうち書きたいと思いました!!


この本が読書感想文にあった記憶がある


個人的にですが、読書感想文が嫌い、とか書き方わからない、って子には読書感想文の書き方の本とかを見せてあげるのが一番だと思います。

実際に読んで、理解できる、こんな風に書けばいいのか!ってなった本が一番になりますね。


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