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【ASD育児】メダカと発達障害

生き物ってすごいな…。

この記事はそんなつぶやきから、ASD(自閉スペクトラム症)の家族に想いをつなげてみます←得意のぶっ飛んだ思考であることをご了承ください


なぜメダカにハマったのか

40歳間近になって生き物を飼うことにハマってます。

小さい頃は犬を飼ってましたが、興味がなく…。

キッカケは子育てでしょうか。


何かを育てるというのは、ノウハウに沿って必要なものを与えていくわけではないのだとわかったからですね。

育てる相手に合った環境をいかに察知して、整えられるか。

もっと言えば、育てる相手が相手らしくのびのびと成長していくための環境を考えていくことの楽しさを知ったからなんです。

試行錯誤の過程がたまらないですよね!

↑ 子どもの療育に精通している方なら、療育と同じじゃん!と思ってくださったかと。エ?思い違い??


このボトルアクアリウム、ヤバイです。

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眺めてて癒される、心がスーッと落ち着く、そんなメンタルコントロールの側面もあるんですが、小さな生態系をどのように維持していくかが面白い!!!


物事には深まっていくと全てに通じるような本質にぶつかることってあると思うんです。

そういうのを実感できるのが、私、めっちゃ好きみたいです。


いい環境を作るために

ボトルアクアリウムを維持するための最低条件ってあるんですよね。

私が作りたい小さな生態系は、光、水草、生き物、底床(砂)、酸素と二酸化炭素(週1の水換え)があればできます。

うまく水質を安定させることができると、水が澄んで、コケも生えにくかったりするそうです。


なんかね、とても簡単そうで単純なようで、その環境を整えたからっていつも同じ状況にならないし、いろんな要因が絡み合って、微調整が必要で。

なんでもそうなんでしょうけど、私は今までそういうことを意識して生きてこなかったなぁーって、メダカを眺めながら思うんです。

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↑ メダカよりも隣の子どもヒメタニシをツマツマ中のミナミヌマエビにフォーカスしてますが


環境の影響は大きい

メダカを育てながら思うんですよ。

メダカは生きていきたいという本能に従って、食べ物を食べ、環境に適応しながら過ごしていて。

でも体の強さの個体差だけでなく、生まれてからの環境、つまりメダカそのものの要因と環境要因で生きていけるか決まってしまう。

その中でメダカの努力って、生き続けるための要因にどれだけ影響を与えているんだろうって考えてしまいます。


例えば、私はメダカを屋外と屋内で育ててきて感じたんですけど、屋外の方が寒暖差もあるし、天敵がやってきたりもするし、生きていく環境は厳しいんですね。

屋内は寒暖差も少なく、過ごしやすいので長生きします。

でも屋内でぬくぬく生きてきたメダカは、屋外に出すとその環境の厳しさについてこられない子もいて。

ここは個体差も関係して、強ければ生き抜けるのでしょうね。


どんなにメダカが頑張って生きようとしても、どんな環境にいるかの方が影響力が大きいように思います。

強いメダカだったらどこでも適応できるんでしょうけど、それでもよくない環境で生き延びるのは大変ですよね。


メダカを「人」に置き換えてみたら

人に置き換えるとちょっと虚しく思ってしまう私は、努力が大切と思って人一倍努力しようと思って生きてきたからでしょうか。

そして努力は実ると期待もしてきました。

時には期待が大きすぎて、期待通りに動けなかった自分を責めたりね。

でも私の努力よりも現実に大きな影響を与えているものってたくさんあるんだろうな。


メダカを見ながらこんなことに頭を悩ませてしまうのは、子育てを通して、自分の価値観とか世の中を見るフィルターに違和感が出てきたり、自分自身と向き合う機会をもらったからだと思います。

それに時代は急激な変化をしていることを肌で感じているから。


人の考えも感じ方も様々で、いろんな生き方があるんだけれど、結局はボトルアクアリウムのように大きな世界の中で生きている生体の一つなんだと思います。

そう考えると長男や次男の嫌う学校なんて絶対的でも何でもなくて、本当にちっぽけだと思う。

なのに、学校以外の選択肢が見つけられないだなんて。

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時代は変わっても生きる本質は変わらない

全然違う物事でも、深く深く知っていくとどこかでつながる、なんてことは多いと思います。

物事の本質はそうなんだ。

時代はどんどん変わっていくけれど、本質は変わらない、そう思っています。

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合わせるのが苦手な我が子たち

我が家の子どもたちはASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けています。

世の中に過剰適応してきた私が一生懸命この社会に適応するスキルを教えようとしても、なびかないし合わせてこない彼らは、実は本質をよくわかっていると思うことがあります。

三男なんて、ASDに軽度知的障害の診断までついていますが、言葉でのやりとりが苦手なだけで、物の本質は意外と何となく知り得ているからすごいと思うんですよね。

生きる知恵は、世の中にまみれて社会的な基準でしか語れない私よりもあるように感じてしまう。


それは例えば自分の食べたいものがハッキリしていること(出されたものを食べるという受け身は存在しない。食べる時間と食べたいものは本人の中でいつもハッキリしている)に驚かされるから。←もうすぐ4歳の三男

こちらが設定した時間や食べ物じゃなくて、自分が摂取したいものをしっかりと選んでくる。

しかも言葉が出ないのに、的確に伝えてくる空気感がすごい(いつも何で私に伝わるんだろうと思う)。

そして腹時計に忠実で、自分のタイミングではないと受け付けない。

人が集まっている場所では絶対に食べず(幼稚園ではうまくやっているみたいだけど)、自分の空間を大切にする。←コロナ時代にはより大切ね!

私なんて出されたら食べるし、時間も場所も関係ないもの・・・トホホ(ま、どこでも生きていける自信あるけどね!)。



この三男、最近ではお風呂の浴槽も一人ではないと入れなくなった。

みんな先に上がって、そうっと浴室をのぞくとようやくチャポンと入って、くつろいでいるの。

危ないからドアのそばで小さくドアを開けて見ているんだけど、とても落ち着いていて、彼はちゃんと自分のクールダウン方法を知っているんだなって感心する。

1年前は気持ちの切り替えが必要になると、いつも私はドライブに誘われたっけ。

車のキーを見せられて車まで連れていかれ車を走らせると、外を眺めながら気持ちを落ち着けていたり、切り替えているんです。

そんな姿を見て、本能でわかっているってすごいなと思ったものです。

そしてそのドライブで私まで気持ちの切り替えができてしまったという・・・。

空間を変えるって大きいですよね。

自然とわかっている三男、ホントにすごい。


「学校に行かない」選択をした長男も達観しているところがある。

「オレはすごいよりもありがとうの方が好きなんだ。」という長男の言葉に、学校という場所は「すごい」を推奨する場所かもしれないと思ってハッとしたのを覚えています。

心優しい長男には酷だったんだろうな。

そんな彼は安心できる家での生活の中で、着々と生きるスキルを身につけているんです。

頭でっかちになるよりもよっぽど生き抜く力になりそうな気がしています。

生きる力や仕事につながるスキルが学べる「場」が欲しいと思っているのは私だけで、この子たちは意外と自分で身につけられるタイプなのかもしれないと思ってしまう。

だから「合わせる」ことがナンセンスなのかもしれない、彼らには。

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究極に自立している

ASDな彼らが社会とつながるには、通訳や理解者が必要だと思う場面は多くあります。

価値観や考え方がまるで違うというのはとても実感していて。

周りとうまくやっていこう、楽しく時間を過ごそう、という気持ちが優先されなかったり、そもそも大切に思っていなかったりするだけで、ひとりの人間としてはむしろ卓越していると感じる。

さらに「能ある鷹は爪を隠す」タイプで、自分にある能力を決して見せないし、人のために使う気もさらさらない感じ。

だけどひといちばい物事を深く捉え、感じ、考えている。

省エネで常に余裕を持ち、危機管理に優れていて、無理なことには初めから首を突っ込まない。

能力以上に生きようなんて思っていない。

着実に一つ一つを積み重ねていく力を持っているけれど、スピードはそれぞれ。

次に進む一歩のタイミングさえ、ちゃんと自分で持っていて、周りに振り回されない力がある。

やらない選択がうまい(今ではない、というのも繊細にキャッチしている)。

でも自分がやらなければ誰かがやらねばならず、結局それは危機管理につながっているのだから、理にかなっているんだと思う。


彼らを見ているとすごいな、と心から思うのだけれど、相互的なやり取りを楽しむためには私が設定や声かけを工夫する必要がある。

私は自然に家族でいる時間を楽しみたいと思っているだけなのだけれど、自然には難しい。


「一緒にいてもひとり」という本があって。

それは確かアスペルガー の夫と暮らしている妻の感覚がそのままタイトルになっているのだと思うけれど、まさにそんな感じ。

5人家族だけれど、私はひとりなんだな。

ただ、ASDはグラデーションで個人差があって、夫は薄いか人一倍の努力をしてくれているかだと思うんですね(人知れず苦しんでいる人だから)。

一緒に暮らしてきて、たくさん言葉にして伝えてきて、夫は感じ、考えて、今は寄り添ってくれるようになりました(寄り添いスキル獲得!)。

理解できれば広がっていく、そんな可能性も感じるASD。


また大切なことのほとんどを私は彼らから学んでいると思います。

見えないもの、特に本質を捉える力は本当に凄いと思うから。

(定型発達の人の考えたルールや暗黙には気づかないことも多いけれど、わかっても自分とは違うとシャットアウトできる彼らは賢い)


影響の受けやすい私は完全にそれに飲み込まれております・・・。

物事の本質を知りたくて、毎日思考を巡らせているけれど、彼らにはかなわないもんなぁ。

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みかんのバランスライフ
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