思考グセが分かる、たった一つの問い
お久しぶりのnoteです。
近年、自責思考やポジティブシンキングがいいと、流行り言葉のようにSNSを中心によく見かけるようになりました。
もしかしたら、読者の方の中にも、それらを身につけようと頑張っている方がいるかもしれませんね。変化を求める、その向上心はとても素敵だと思います。
でも、やってみて、息苦しさやしんどさを覚えている人も少なくないのではないでしょうか。
■考え方の矯正は、自己否定と表裏一体
考え方や受け止め方を矯正するのは、ちょっとやそっとの努力ではできるものではありません。その理由は、それらのものが各々の人格に紐づいているからです。
育ってきた環境や身を置いている状況などこれまでの人生の中で、さまざまな体験をし、価値観や思考プロセスを身につけてきています。人格は、そうしたものが集合して形成されたもの。一人ひとり性格はもちろん、考え方や物事に対する受け止め方が異なるのも、皆それぞれに通ってきた道が違うからでもあります。
世の中で「良い」と言われているものを取り入れようとする向上心は、より理想的な自分を求める向上心の高さの表れでもあり、それ自体は歓迎していいものです。しかし、見方を変えれば、『今の自分』を否定するものにもなりえます。
自責思考やポジティブシンキングは、生きるうえで自分を助けてくれるものになることは違いありませんが、むやみに取り入れるのは得策ではありません。むしろ、今の自分を客観的に知ったうえで、自責思考やポジティブシンキングなどの考え方を取り入れたほうが有効的に働いてくれます。
■思考グセを知る、たった一つの問い
「自分の考え方のクセはわかっている」「思考パターンを十分把握している」と思う方も、まずはぜひチャレンジしてみてください。
とある平日の朝。
仕事に(学校)に向かう途中、進行方向にある信号が点滅しています。
「これを渡れば、遅刻しないで済みそう」
しかし、渡ろうとした寸前で赤になってしまいました。
さて、あなたが最初に思い浮かんだのは、どんなことですか?
■その答えが、あなたの基本の思考プロセス
人は、とっさのときほど、無意識レベルで物事を受け止め、判断し、考えます。このように、『思考』」という一つの動作のなかにも実は段階があるのです。そして、この突発的な場面での考え方(思考プロセス)が、そのまま、何気ない日常の中での判断基準として機能しています。
通常、私たちは「これはしっかり考えなければ!」と思うときほど、理性が働き、何を取捨選択するのかを自分なりに意識的にコントロールしています。それを自覚しているかどうかは別にして、です。
ところが、とっさの場面では、そうもいきません。瞬間的に判断せねば、場合によっては命が脅かされるかもしれないのですから、理性が働く隙がないのです。それと同様の状態が、日常生活でも起こっています。
私たちは、一日に3万5000回も物事を取捨選択(判断)しているといわれています。たった24時間のうちに、こんなにも何かを「する/しない」を選んでいるなんて、脳って働き者!
ですが、実際は、その回数の大半が無意識・無自覚のレベルでおこなわれています。もしも毎回、意識的あるいは自覚的に判断を繰り返していれば、私たちの脳は、極度の疲労でとっくに活動を止めてしまっているかもしれません。そうなると、本当に判断が必要なときに困ってしまいます。
そうならないために、普段は無意識・無自覚の状態で瞬間的に判断するようになっているわけです。そのときの判断基準となっているのが、価値観や思考パターン。
そこで、前出の問いの答えです。
信号につかまって「ツイてないな」と腹立たしく思う人、反対に「これは、今日は慎重に過ごせという啓示かも」と穏やかに受け止める人。何をどう思ったか、考えたかは、人によってさまざまでしょう。
そして、その後に何を考えたか? 大切なのは、実はここです。
「ツイてないな。今日の晩は、早めに就寝しよう」と思えた人は、何かしらの困難に直面しても、まず自分にできることから考えられる人。
他方で「ツイてない。〇〇だったからだ」と状況や環境、あるいは誰かのせいにした人は、無意識レベルで他責思考が染みついている状態。
天啓だと思えた人は、無意識レベルでポジティブ思考だといえます。
■他責思考の善悪を論じる前に考えたいこと
巷では「他責思考は良くない」と言われていますが、一概に悪とはいえません。なぜなら、他責思考の根本にあるのは、自己肯定感の低さ以外にも、「もう傷つきたくない」という一種の自己防衛だからです。自己防衛を別の角度から見ると、自己保身になります。
主観的に見たら、自己防衛。他者視点からは自己保身。どちらも同じもので、その心理状態にある人は、たくさん傷ついてきた経験を持っています。
人は、生きていれば、大なり小なり傷つくことはあります。その責任の所在は別にして。その傷が癒えていないままだと、「また傷つきたくない」との思いが強くなりやすく、自分を正当化するために、自分の以外のところで『傷つけた(不幸にした)原因』を見つけようとします。
他責思考は、たしかに自分の非を認めない思考グセなので、多くの人に迷惑をかけます。何より、『今の自分』を正とするために、今の自分でつかめる以上の幸せやチャンスなどから縁遠くなります。ですから、他責思考よりは自責思考のほうがいいといわれるわけですが……。
しかし、傷が癒えていないにもかかわらず、自責思考を身につけようとしても、実際は相当な苦難を強いられます。
自責思考は、自分で自分を否定するフェーズを乗り越えたうえで、自分の外側にあるものの存在や意味を許し、受け止め、次に備える考え方だからです。
他責思考────なかでも、自己防衛本能が強い人にとって、自分を一旦否定するという行為は、治っていない傷口に塩とわさびとカラシをぐりぐりと塗りたくるようなもの。そんなのに耐えられないから、他責という手段で自分の傷口が広がらないようにしているわけです。
つまり、自己防衛本能から他責思考になっている人は、自責思考を取り入れることは、自傷行為に等しい。まずやることは、自分を癒し、傷口を治すことです。自責思考を身につけるのはそれからですよ。焦らずいきましょう。
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