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積ん読は未来への希望【好きになってしまいました。】本語り#03

本好きであれば、必ずあるであろう、積ん読。「私の場合は縦に並べず横に並べるので、実際は並べ読だなあ」などと余計なことを考えた。「並べ読」派の人、多い気がする。

本を読めば読むほど探究心はどんどん高まり、読みたい本が増殖していく。不思議な現象だ。むしろ、1冊よめば数冊増えているような気さえする。
私の場合、本を購入しているのはもちろん、常に図書館で本を借りている。近所の図書館で上限10冊を常に借りるのはもちろん、隣の市の図書館の本も10冊、加えて県立図書館の本が5冊くらいは鎮座している。ここまでで合計25冊程度が「期限まで読み切れる?ほら、早く読みなよ」とプレッシャーをかけてくる。
購入本は………多分20冊くらい?………数えてみたら30冊はあった。
つまり、50冊以上の本が常に読まれるのを待っているらしい。
どうりで購入した本が一向に読み進められないわけだ。

本に限らず、何でもかんでも「後で見る」機能を使ってしまう。YouTubeも常に200本近くを登録しているし、Amazon Primeもウォッチリストには10本以上ある。
ドラマを常に10本くらいは観ているので、アマプラには到底追いつかないのだが、「いつか観たい」と思ってついポチポチと「後で見る」を押してしまう。

到底読みきれないし、観きれないことは内心分かっているはずなのに、なぜなのだろう。
「いつ読むんだ?」「いつ見るんだ?」とプレッシャーをかけられ続けるのは、楽しみが多いが、ストレスもかかっているというのが正直なところである。
三浦しをんさんは、エッセイ『好きになってしまいました。』でこのように書かれている。

しかしまあ、積みあがる本とは希望なのだとも言える。「明日も生きて、これらの本のなかから一冊読みたいな」とか、「知らなかったことをまだまだ知りたいな」とか、自分自身や未来への希望の象徴なのだ。このペースで行くと、とてもすべてを読みきれないまま死ぬにちがいないんですけどね。

それでも、人々が積みあげつづける未読の本の山は、「たとえやり残したことがあったとしても、希望を胸に生きたこと自体が尊いのである」という事実の表れなのだと私は思う。

希望の塔ーーーなぜ、ひとは積ん読するのか?
『好きになってしまいました。』三浦しをん

なるほど、これは「未来への希望」であったか。それならば納得。
これからも大いに積み上げようではないか。

そう言えば、noteには「後で見る」機能がない。あると良いのにな〜とずっと思っている。
「ふぅ、noteまで読みたいリストがたまってしまったら、それこそ大変だ。逆に良かった」と自分を納得させつつ、一応調べてみた。
どうやら、「マガジン」を作成して登録すれば同等の機能として使えるようだ。「非公開」設定にすれば、自分だけが楽しめる。

なんと!できてしまうじゃないか!知ってしまったら、やらずにはいられない。よし、さらに増やそうではないか。「未来への希望」を。
毎日積み上げられる「希望の塔」。
死ぬ時までにどこまで高くなるだろうか。崩れないように、大切に積み上げていきたい。

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Mii
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