善悪という概念を超えた世界とは
”善悪”という概念は
赤ちゃんにも
動物にもありません。
あまりにも自然に
しかも気付かない内に
いつのまにか身に付けている
この”善悪”という概念が
実は私たちの心を
不自由にさせています。
なぜならこの善悪
という二元論は
フレキシビリティから
遠ざける概念だからです。
フレキシビリティとは
順応性や柔軟性を
意味します。
あらゆるものが
変化し続けていく
諸行無常の世界で
生きている私たちにとって
フレキシビリティが
欠如するということは
自然の摂理から外れた
とても不自然な状態です。
しあわせに
生きていくためには
致命的と言えます😰
さらに善悪という
ラベルを付けた瞬間に
それらは二分され
和解したり
共存することが
難しくなります。
正に戦争が
その最たるものです😓
誰もしあわせに
なれないばかりか
しあわせからは
どんどん遠ざかっていきます。
あらゆる争いごとは
この善悪の概念
によって成立し
これまで長い歴史の中で
ひたすら世界を
分断し続けてきました。
善悪を別の言葉で
言い換えるなら
正しいか
正しくないか
ということになります。
正しいことは善であり
正しくないことは悪である
というよりに。
そしていつしか私たちは
知らず知らずの内に
正しく生きよう
正しくあらねば
善人でいよう
そうやって自分に
呪いをかけていきます😱
やがて自分でかけた
この呪いによって
楽しいか心地よいか
ということよりも
正しいか正しくないか
あるいは善いか悪いか
で判断したり
選択したりするように
なっていくのです😓
立場が違えば
見方を変えれば
視点を上げれば
善は悪となり
悪も善となるにも関わらず、、、
正しさも然りです。
私も若い頃には
この善悪の呪いによって
沢山痛い目に遭ってきました😭
今思えばそれも
必要な経験だったと思います。
だからこそ分かったこと
気づいたことが
沢山あるからです。
大切なのは
善いか悪いか
正しいか正しくないかではなく
自分にとって楽しいか否か
心地よいか否か
ただそれだけです。
相手は関係ありません。
そして成長と共に
俯瞰力が身についていき
視座が高くなっていけば
もはやそこに広がるのは
善悪を超えた
善いは悪いであり
悪いは善いである
つまり何でもありの
ニュートラルで
自由な世界です。
これからやってくる
新しい時代は
正にそんな世界です。
自分を善悪の概念から
解き放ち
共に自由な世界で
もっともっと
しあわせになっていきましょう。