三浦綾子『塩狩峠』の裏話 ... を私が知ってるのは、母が初代秘書だったから!
夏といえば「◯◯文庫の100冊」シリーズ!!
文庫本100冊の表紙がずらっと並ぶのを見るのは、本好きだった小さいみぎわちゃん(私)にとってトキメキでした。夏休み前の暑い空気、書店に入るとクーラーの冷たい風、入り口近くに並べられたたくさんの表紙、今年はどれを読んでみようかしらと眺めるときの気持ち…懐かしい思い出です。
「夏の100冊」が大好きだった理由はもう一つあって、三浦綾子『塩狩峠』と『氷点』がいつも100冊に入っていたからです。
今年も新潮文庫の100冊に『塩狩峠』が選ばれているようで、嬉しく!ヘッダー画像は新潮文庫websiteのスクリーンショットです。新潮文庫さま、ありがとうございます。
綾子おばちゃんが「祖母との思い出」をくれた
三浦綾子さんは私にとっておばあちゃんのような存在でした。
私の祖父母は体が弱かったんです。「おじいちゃんおばあちゃんとの思い出」があまり作れなかった私にとって、誕生日ごとにお祝いとカードをくださり、クリスマスにはプレゼントを送ってくださり、北海道を訪ねると「今日は孫を連れてきた」と意気揚々と外食に連れて行ってくれる三浦綾子さんと夫の三浦光世さんがこころの祖父母でした。おふたりのお陰で祖父母にかわいがってもらう、という体験ができたんです。今はふたりとも他界していて、良いニュースがあっても報告できないことを時々寂しく思います。
私がリクルートに勤めて数年で綾子おばちゃんは他界してしまったので、綾子おばちゃんは音楽家としての私をご覧になったことがありません。光世おじちゃんは、アマチュア時代の私のコンサートを見てくださったことがあって、ずっとずっとずっとそれを誇りに思ってくれていました。一度でいいから、綾子おばちゃんにも見てほしかったなあと思います。
綾子おばちゃんは普段の言葉にも重みがあるかただったのです。今の私の挑戦を見たら、なんと言葉をかけたくれただろうなあ … 相談できるなら相談してみたかったものだなあ、とNYのカフェでぽつりと思ったりします。
母が秘書として三浦家の居間で見ていた素敵なストーリー
さて、本題。
綾子おばちゃん・光世おじちゃんとなぜそんなに親しかったかというと、私の母が綾子おばちゃんの初代秘書だったからです。綾子おば他界後は、光世おじちゃんの秘書になり、日本と世界の各地の講演旅行を調整したり同行したり、綾子おばちゃんのメッセージが世界に伝わるよう影で支えていたのが私の母です。
去年2022年は三浦綾子生誕100年だったので、私は母をけしかけましてnoteにブログを開設してもらいました。そこに、塩狩峠の誕生前秘話が記されています。
塩狩峠は話が「できすぎて」いて、三浦綾子の創作なのではないか、と言われることがあるそうですが、このブログで分かるように本当に「実話」に基づいたお話なのです。
まさに、秘書しか知らないであろうエピソード。母にブログを始めてもらってよかった、とこの記事が出来た時に強く思いました。是非お読みになってみてください。
身内贔屓で恐縮ですが、私はこの記事も好きです。私と綾子おばちゃんの思い出も引用してくれています。他にも母が秘書として毎日三浦家の居間にいたからこそ語れるエピソードがたくさんありますので、是非フォローを。
綾子おばちゃんの本は、小説だけでなくエッセイや自伝がすばらしく、私のオススメは自伝3冊セットのうちこちら。ご自身の人生も小説のようです。
エッセイに時々出てくる秘書の裕子ちゃんというのが母で、私や妹たちの名前も時々実名で出てきますので「みぎわちゃん」を見つけたら、おっ!と思っください笑。
家内制手工業で、母と父と、新しい思い出作り
母のブログ、文章は母が書き、編集は私がしました。以前『じゃらん』の編集デスクだった私にとって2000文字くらいの編集は得意だし楽しいんです笑。貴重な写真数々をスキャンするのは父の担当で「これって家内制手工業だな」と産業革命の歴史で習った単語を思い出しました笑!
開設後、光栄なことに母への講演依頼が更に増えまして笑、ブログ更新がままならないほど忙しくなってしまったため、最新の記事がすでに1年前のものとなっていますが、ご了承いただければ幸いです。
母はもう70代ですので、好きなことをやるのが一番だと思うのです。元気で走り回れるうちに講演をどんどんガンガンやってもらって笑、家から出るのが面倒だな〜となってからでも文章は書けますからね笑。父と母と3人で一生懸命記事を作り上げるのは凄く楽しかったので、またやりたいのですが、母にやる時間があるかどうか笑。
私は母自身の人生についても記事にしてほしいと頼んでいるのですが、どうにも「元秘書として綾子さんのメッセージを世界に」のパッションが強すぎて、綾子おばちゃんの記事が多いのです笑。なので、母の人生については私が取材して曲にすることにしました。米国の2つの財団がそのプランを支援してくれて、来月2023年8月と来年2024年1月に1ヶ月ずつ、快適なスタジオ+シェフによる3食の提供つきという素晴らしい環境で作曲をさせていただけることになりました。2024-2025年ごろの完成・発表を目指しています。日本でも発表したいな!!
話があちこちに行き過ぎた!笑 みなさま、是非happy reading summerをお迎えください!
新潮文庫さんの夏の100冊が1つ1つ紹介されている無料冊子(kindle)はこちらから!
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