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あなたの落とした斧は金の斧?銀の斧?正直者なら?のお話ではない これから


あなたの落とした斧は「金の斧」なのか「銀の斧」なのか、
さあ、どっち?!

そんな問いかけ自体が、根本からもう変わっていくような、そんな時代に差し掛かっているように思う今日この頃。
今までの正解ありきの学校教育、学問のあり方を今一度考えてみたいと思いました。

今回はそんなことを記事にして書いてみました。
読んでいただけると嬉しいです。



答えのある学問と答えのない学問


私たちが学問に向き合うとき、その性質を大きく二つに分けることができるのではないでしょうか。一つは「答えのある学問」、もう一つは「答えのない学問」です。この二つの学問はそれぞれが独自の役割を果たしながら、人間社会の発展に寄与してきました。しかし、現代において私たちは「答えのある学問」への依存が強まり、「答えのない学問」の重要性が見過ごされがちです。それによるリスクとは何か、またこの二つの学問をどのように共存させるべきかを考えてみたいと思います。

答えのある学問とは

「答えのある学問」とは、自然科学や工学、数学のように、明確な法則や理論を見出すことを目的とした学問を指します。これらの学問は、物事の仕組みや原理を解き明かし、それを応用することで人々の生活をより便利で快適にしてきました。例えば、ニュートンが見出した重力の法則や、エジソンの電球の発明など、これらは「正解」を探し当てることで社会に大きな変革をもたらしました。

こうした学問の成果によって、私たちは飛行機で空を飛び、インターネットを通じて世界中の人と繋がることができます。「答えのある学問」が築いた知識の積み重ねは、現代社会の基盤そのものと言っても過言ではありません。

しかし、「答えのある学問」がもたらす正解に過度に依存することは、ある種の危険をはらんでいます。正解があることに安心感を覚えるあまり、正解を外れた選択肢や異なる視点を排除してしまう可能性があるからです。何が正しく、何が間違っているのかを明確にしようとするあまり、私たちの思考が固定化され、多様な価値観や柔軟な発想を失う恐れがあります。


答えのない学問とは

一方で、「答えのない学問」とは、人文学や哲学、芸術、倫理学などを含む領域を指します。これらの学問は、一つの正解を目指すのではなく、多様な解釈や価値観を尊重しながら、人間や社会について深く考えることを目的としています。例えば、「幸せとは何か」や「美とは何か」といった問いに対して、万人に共通する明確な答えを出すことはできません。それどころか、答えは時代や文化、個人によって異なり、その多様性そのものがこの学問の価値を形作っています。

この「答えのない学問」は、正解がないからこそ私たちに問いかけ続け、新しい価値を生み出す力を持っています。それは、答えを出すことよりも、問い続けることに意味がある学問です。この世界で私たちが大切にすべきなのは、ただ答えを求めるのではなく、自分自身の視点や価値観を持って問いに向き合うことではないでしょうか。


正解への依存を超えて

ここで、「答えのある学問」と「答えのない学問」の関係を考える上で、イソップ物語の「金の斧、銀の斧」の話が示唆するものに注目したいと思います。

湖に斧を落としてしまった木こりが、水の精に「あなたが落としたのは金の斧ですか?銀の斧ですか?」と尋ねられる場面。木こりは「いいえ、私が落としたのは普通の鉄の斧です」と正直に答えます。その結果、水の精は木こりの正直さを称え、金の斧、銀の斧、そして鉄の斧のすべてを授けました。この物語は一見すると正直さの大切さを説く話ですが、それ以上に重要な問いを含んでいます。それは、「自分が本当に必要としているものを見極める力とは何か」ということです。

「金の斧」や「銀の斧」は、いわば「答えのある学問」が与える明確な正解を象徴しています。一方で、木こりが求めた「鉄の斧」は、「答えのない学問」において自分自身で選び取った答えを表しているのではないでしょうか。金や銀の斧は確かに美しく魅力的ですが、木こりが本当に必要だったのは、それらではなく、自分の手に馴染む鉄の斧だったのです。

現代社会では、私たちはしばしば「金の斧」や「銀の斧」、つまり絶対的な正解に目を奪われがちです。しかし、本当に重要なのは、自分自身にとって必要な「鉄の斧」を選び取り、それをどう使いこなしていくかということです。


答えのある学問と答えのない学問の共存

結局のところ、「答えのある学問」と「答えのない学問」は対立するものではなく、互いに補い合う存在です。「答えのある学問」が提供する合理性や便利さは、私たちの生活を支えます。一方で、「答えのない学問」が私たちに問いかける曖昧さや多様性は、人生の意味や深い喜びを見つけるための力を与えてくれます。

大切なのは、これら二つの学問をどのように調和させるかです。正解がある場面では「答えのある学問」の知識を活用し、不確かな領域では「答えのない学問」の問いを受け入れる。そのバランスを保つことで、私たちはより豊かで多様性に満ちた社会を築いていけるでしょう。

正解に依存することなく、問い続け、自分自身の「鉄の斧」を選び取ること。その姿勢こそが、複雑な時代を生き抜く鍵となるのではないでしょうか。


あなたの「鉄の斧」とはどんなものでしょうか?


ここまで読んで下さり、ありがとうございます!




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