知っていたと思っていた人を本当は知らなかったというお話
知っていたと思っていた人を
本当は知らなかったことに気づかされることがある。
古いアルバムを見つけた時のことだ。
昔々、家族だった人の写真だ。
ぶ厚い布張りアルバムの白黒写真、2冊分。
黄ばんだページの埃の匂いにむせながら、めくりながら、驚いた。私の大叔母(母の父の妹)が写っている。彼女が50代、私が生まれてくる前の写真だ。
やまのちゃん
私達姉妹はそう呼んでいた。
山下のおばあちゃんだから、やまのちゃん。
夫に先立たれた60代から83歳で亡くなるまで、私達家族4人と2世帯で暮らしていたやまのちゃんは、いつも一緒にいる「おばあちゃん」だった。
特に何という用事なく、やまのちゃんがお裁縫をしている隣に寝そべって宿題をしたり、オヤツをねだったりしたこと。やまのちゃんの作ってくれるチマキやさつま芋の天ぷらが大好きだったこと。
二つの世界大戦を生き延びた人。
明治生まれのすっと背筋が伸びた人。
真夏以外、和服でない姿を見たことがない人。自分でも和服を仕立てていたやまのちゃんから洗い張り、髪ゆいさんという言葉も教わった。
一緒に過ごした二十数年間、
やまのちゃんについて私が直接知っていたことは、これがすべてで、これで全部だと思っていた。
それ以前のやまのちゃんについて聞いていたのは、結婚を2度していたこと。2度目の結婚で、ある会社を設立した人の後妻となったこと。
自分の子供に恵まれなかったからか、
その分私達姉妹を可愛がってくれた、いつでも甘えさせてくれたおばあちゃん。感情を露わにしたり怒ったりしたところを見たことのない、穏やかな人。亡くなるまで、自分の身の回りのことは全部自分でこなしていた人。
記憶の引き出しにしまってあった、そんなやまのちゃんになぜ今、起こされたのかというと、
写真に写っているのが「私の知らない」やまのちゃんだったからだ。
断っておくが、50枚近い写真は、かなりツマラナイ写真だ。どれも正装のおじさんが40人ばかり、お座敷か庭園にずらり並んだ集合写真。(白黒ということだけではなく)花も景色もあるものか、笑顔だって見つけるのが難しい、色気のない写真。
でも本来、集合写真というものは、そういうもの。写っている関係者以外には意味がない。特に目を止める理由もない。
ただ、今回は違った。
その異様さが私の目を引いた。
どうしてかって?
どの写真も、紅一点が「やまのちゃん」なのだ。
白黒だから、注意して見ないとわからないけど
写っている女性は「やまのちゃん」だけなのだ。
何度も確かめた。
何枚もある写真に写っている年配のおじさん達40数人にもそれぞれ伴侶がいたはずなのに、なぜ1人も写っていなかったのか。女性は写真の真ん中に写っているやまのちゃんだけ、というのはどういうわけか?
地味な和服に、化粧気のない(白粉なし)姿で、夫にちんまり寄り添っている上品な奥様、やまのちゃんには、表情らしきものが見つからない。ニコリともしていない。
どうした、やまのちゃん
何してるの、やまのちゃん
今、ここにやまのちゃんがいたら、
私、絶対聞いていたと思う。
この時、何考えていたのって。
夫の隣に、狭い肩を縮めるようにして写っているあなたの立場は、役目は、その時の気持は?
わからない。
聞ける人は誰も残っていないし、
70年近く前の写真に耳を傾ける物好き、
私くらいかもしれないけれど。
写真は、私を立ち止まらせる。
そして気づかせる。
私は何も見ていなかったということを。
そんなことを考えながら、
もう一度、写真を見た。
人生を象徴する1枚の写真を選べと言われたら、どうしようと。
(そもそもそんな写真あるのかと思いつつ)
私なら、どんな1枚になるのかと。
それは誰にとって、いつ、どんな思いを伝えるものになるのかと。
黄ばんだアルバムを閉じながら考えた。
このアルバムを開く人が、
果たしてまた誰かいるのだろうか、とも。