人生が100秒だったら: 35秒目
ウットリの自家発電
何年か前、イヌ語翻訳機(ネコ語版もあるとか)というものが話題になったが、人間の幼児語にも翻訳して欲しいものがある。
本人に覚えはないのだが、私も幼児の頃「わけわからん語」を発していた(らしい)。
母いわく
機嫌がいい時に決まって取るポーズと発する言葉?歌?があったという。机や椅子なんかの角につかまって(ちょっとつま先立ち)と〜くを見つめながら、歌うのよね。
なんて?
「ありぼ〜こりん🎵、い〜きま〜るちゃん🎵、やくりち〜て🎵」って。
なんじゃそれ?
メロディも、リズムも、その時々の気分次第。
語順もばらばら、起承転結ももちろん無し。
(まだ読み書きもままならぬ年齢ゆえ)
ただただ、情感たっぷりに歌い上げる。
時に朗々と。時に切々と。何にそんなに心揺さぶられていたのかわからんが、
聞かされる方は、わけわからん。
もと歌の無い、映像の無い、幼児版ひとりカラオケ、とでも言おうか。今となっては再生しようも無いけれど、大人には見えないドラマを見ながら、ひとり激しくウットリしていたとしか言いようが無い。
もう忘却の彼方になってしまったけれど、
この年頃、幼児のウットリ力、たまらんものがあったなぁ。
色鉛筆の折れた芯を集めてはウットリ。
作ったそばから崩れてしまう砂場のお城に
ウットリ。
その砂を牛乳瓶に入れて作ったコーヒー牛乳もどきを並べて見てはウットリ。
お風呂に浸かり過ぎてふやけた指のシワに
ウットリ。
、、1日中ウットリしてた(できてた)なぁ。
後年、読み書きができるようになると、
児童文学や少女漫画などからウットリに油を注がれることになるのだけれど、もっと幼い、この頃のウットリは純粋だったなぁ。自家発電だったなぁ。
そう言えばその少し後、
小公子や小公女、トム・ソーヤー、リボンの騎士などからストーリーを頂戴して、架空のお友達を何人も作って(はべらせて)一緒に暮らしていた時代もあったっけ。
賑やかだったなぁ。大家族だったなぁ。
あの頃のお友達、みんなどこへ行ったのだろう?
幼稚園〜小学校とだんだん世間が広がっていく過程で、「あれ、こんなはずじゃなかった?」体験が増えていく過程で、自力でウットリする力を手放していくのかもしれない。
そっか、だから大人はお酒を飲むのか、
ギャンブルするのか、
ドラッグに走るのか?
(怖くなって来たので、この辺で止めておきます。)
さあて、人生の後半戦。
もっとウットリした方がいいなぁと思う今日この頃。近くで見本を示してくれる孫も無し、鍛えるべきは、自家発電ウットリ力(りょく)。
今日も夕焼け、綺麗だったし。
初心に戻ります。