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おじいちゃんが写したかったもの

祖父は写真に凝っていた。
昭和の初め、日本ではまだ珍しかったライカで撮った写真を自宅の暗室で現像するほどだった。唯一の趣味だったと思う。

決して饒舌とは言えなかったが、真面目で仕事一筋。そして筋金入りのマイホームパパだったと母から聞いている。毎日会社から一直線に帰宅。判で押したように定時に帰って、家族で食卓を囲んでいた。休日には当時庶民の憧れの的だったデパート、帰りは家族全員でお食事という「お出かけ」も欠かさなかったと。

祖父母にとって私の母は、結婚して10年以上待ちに待って諦めかけたころ授かった目の中に入れても痛くないほどの愛娘だったから、その母の最初の子で、彼らにとって初孫である私はたいそう可愛がってもらった。世田谷に住んでいたから「世田谷のおじいちゃん」。私達姉妹はそう呼んでいた。

そんなおじいちゃんが撮ってくれた私の写真がたくさん残っている。布張りのアルバムに貼られたその写真をもう何度眺めたことだろう。どれも白黒、手焼きの写真。何度見ても変わることはない。当たり前な話。
実際、写真が変わったらおかしい。
と、思っていた。

でも、ある日気がついた。
写真が変わらなくても、変わるものがあることに。

これまで何度も見たおじいちゃんの写真がある日、私には違って見えた。正しく言うとおじいちゃんが写真を撮った当時の「想い」が見えた。

「私の子供の頃」の写真だと思っていた、あの連作。
おじいちゃんは愛娘の伴侶となった婿、私の父を中心に撮っていたのだ。あれは娘の夫となった男が、「家族の一員になっていく」記録だったのだ。愛する娘のもとにやってきた1人の見知らぬ男が夫になり、父親になり、家族になっていく様子を残したのだ。残したかったのだ。

それは望みであり、そうあって欲しいという「祈り」だったのではないか。「おじいちゃんの思い」がカタチになったもの、それが「おじいちゃんの写真」だったのだ。

祈りは写真に写る。言葉で語れなかったものを写真は語る。
そしてそれは見る者の心の用意ができた時に聞こえてくる。何年かかっても。そのことに気づいた。

今、ここにおじいちゃんがいたら、聞いてみたい。
おじいちゃん、あなたの祈りは叶いましたか?

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