ミドリ
健康で文化的な最低限度の生活
前日に決めた時刻通りに起きることが、どれほど気持ちのいいことか。 私は、朝のその目覚めた一瞬にその日の全てをかけていると言っても過言ではない。その一瞬、今何時?にかかっているのだ。 そういう私は最近二度寝を繰り返していた。 陽の昇るのが遅いおかげで、目覚めの太陽光を浴びることができない。いつも通りの時刻に目覚めても、外はまだ暗い。 そりゃ寝るよね。 まだ夜じゃん!と勝手に判断して遺伝子レベルで強制二度寝に突入する。 これはいけない、と思ったんだよ。そして、色々試した結果一番
あなた、バナナ食べてますか。 私は毎日食べるんですけれど。 これには訳があって。 やっぱり人間は、腸の調子を整えてホルモンバランスを安定させる必要があるという。バナナは有効らしい。その文句にまんまと乗せられて毎日せっせかせっせかバナナを食ってるわけですよ。 そしたらどうです?毎日が結構ハッピー。 もちろん生きていればストレスの溜まる出来事にはよく出くわすし、痛い思いも苦しい思いもするよ最近は寒い思いが辛いかも。 そんな時にだって、何故か平穏な心でいられるんだ。 あとはさ
高校生の頃までは、それはもうずっと気持ちが殺伐としていた。その気持ちを反映するように部屋は汚いベッドは授業プリントだらけ宿題は提出期限に間に合った試しがない、みたいな生活を送っていた。 もちろん、部活でも上手くいかなかった。 私はとにかく我が強くて、でも自分に自信が無いタイプの人間だった。根暗で誰に相談することも無く(家族との会話も避けるようになっていた)、頭の中でぐるぐる思考して結論出なくてもう駄目だーとなっていた。 部活の同期とは喧嘩ばっかりだったし、ハブられてたし、悔
🍁 秋が秒すぎる。秋らしいものたちが季節に置いてかれている。 通勤途中の銀杏並木は黄色く色付いてきた。足を止めて写真を撮る。少し時間が緩まったような、心が軽くなるような気がする。 私は、この季節の変化をいつまでも楽しむことが出来るだろうか。社会人一年目の秋は、もう二度とやって来ない。二年目、三年目はきっとどんどんと薄まっていく。社会人として生きる自覚は2分の1、3分の1になって行くんだろうか。 私は、いつもデジタルカメラを持ち歩くようにしている。正直、置いてってもいいかな、
犬飼いたい。一緒にお散歩に行きたい。遊びたい。私の子供心をずっとくすぐって欲しい。 今までの人生、ずっと猫派で生きてきた。猫様は可愛い。猫様は正義。 ただ、よくよく考えてみよう。私は、猫様のような気品高きお方の近くにいると、緊張しちゃうかもしれない。私が幼稚であることを露呈するみたく、猫様は私の溺愛ぶりを冷ややかな目で見てくるかもしれない。 そんなの耐えられない!!私は確かに猫の気取ったところも大好きだけど、実際に同じ屋根の下暮らすとなったらちょっと寂しくなっちゃうかもしれ
疲れることが人生の営みだと思うし、疲れは私にとってやり甲斐となり心を満たしてくれる。 私は、働かない人生にはきっと飽き飽きしてしまうよ。 だから、今日もよく頑張って働いた。仕事に夢中になれる、というのは良い事だ。 しかしながら、連日の長時間労働のおかげで、趣味の時間を疎かにしてしまっている。 私の今月の目標である毎日1冊の読書を達成し損ねている。週末に2冊ずつ読んで挽回しようと思う。 そういう意味では、休日も好きだ。休む時間も必要だ。 明日は、ジムに行って読書をして部屋を片
どう考えたって、ラーメンは正義だ。そうだ、正しいはずなんだ。脂質糖質カロリーの全ては私に味方してくれる大切なエネルギーなんだ。 ただ、私は口元の吹出物をいじりながら、少し悲しい気持ちになったりする。 ご褒美として、ラーメンに味玉をトッピングした。今日はくたくたに疲れたんだ。残業代で稼いだ分はトッピングで消費しなければならない。それが経済を回すということだ。 博多豚骨の、バリカタ麺のバリカタ味玉。味は控えめで、机上の調味料で味変を楽しむ。やっぱり疲れたときには濃い味が染み渡る
中華が好きです。好きすぎて無意識に昼ごはんに選んじゃうから、そろそろ禁止にすべきです。私は何も考えずに生きると週に3回中華食べちゃいます。 なぜ好き? もともと、母の作る中華は好んでいなかった。麻婆豆腐も野菜炒めも八宝菜も、全部にちくわが入ってた。全部同じ味がする気がした。 転機は、中国系の友人に出会ったこと。私の住んでいた街には思っていたよりもたくさんの中華屋があった。友人は各地方の料理をきちんと説明してくれた。私は北の方の料理が好きだと思った。大皿で出てくる辛ーい料理が
小説の一節より。主人公へのいじめに加担する少年の供述を要約する。 私は、とある自己啓発本を読んだ。これも要約する。 先にあげた小説の場合、勇気を出して相手をぶん殴ることが努力なのか。虐められ主人公の我慢は美として認められないのか。 結局は強いひとがする努力は美しいが、立場の弱い人がする努力は悪あがきに過ぎないんじゃないか。 弱いとか強いとか、上とか下とか、人間にはないかもしれないけど、概念は確実にある。弱いものがいなければ、強いものの中から弱いものが選び抜かれてしまう。大
ごみをかき集めて捨てておく場所。 思考のもやもやを捨てる場所を見つけた。それは流行りもとうに去ったやもしれない(いや、私が勝手にそう思って使うのを止めていただけなのだが)、ChatGPTだ。 ここ数日試してみて、心がいくらか軽くなっている気がする。 実際に何を話しているのか。 強い気持ちが現れたら、とりあえず書くことにしている。まず文字にする。それだけで心がいくらか整理できる。 優しい言葉と共に、質問を投げかけてくれることがある。 例えば、「疲れた」「お仕事お疲れ様です。
初めて1人で長旅ドライブした。 帰りは予定を見誤って4時間運転する羽目になった。早く帰って寝たい、という一心で帰ってきた。ただいま。おかえり。 ついに、念願の雲海が、、、いえ、叶いませんでした。 どうも運が付いてないらしい。11月がピークとの噂を聞き付け無理矢理予定を組んで行ったが、ダメだった。 ただ、区内じゃお目にかかれないような満点の星空や、静かな夜景を目の当たりにすることが出来た。 ガードレールのすぐ向こうには鹿がいたし、イタチ的なものと追いかけっこしたし、街灯がな
火の通りはレアな牛挽肉が、生きたまま私の口に届けられる。新雪を踏みしめるかの如く、穢れを付与していく感覚。 このパティは限りなく無垢な生命の塊であった。 卵の黄身は外の空気を欲するように弾け、チーズはだくだくと流れ出し、はたまたベーコンからは豚の脂が染み出る。 私は流動的なこれらを止めることは出来ない。口の周りや手にはどんどんとそれがまとわりついていく。 私は、ハンバーガーを食べながら、ハンバーガーに食べられているような感覚に陥った。 早く始末しなければ、私がやられる。
みんなーーー聞いてくれ。 私は最近、朝二度寝する癖がついてしまったのだ。 だからといって遅刻しているわけじゃないのだけど、十分な睡眠をとっていても二度寝しちゃうんだ。 これはまずい、と思って何をしたか。 念じた。 何を念じたかって? 明日のお昼は絶対に中華食べる! とな。 今日目が覚めたら真っ先に、中華!って出てきた。ありがとう中華。私の生きる糧になってくれて。 さて、そんな私ですが、仕事の事情で狙っていた中華屋には行けなかった。でも、どうしてももうなんでもいいから中
雲海を見てみたい、と思い始めたのはいつのことだったか。 絶景、と呼ばれるものを追い求めて、雲海、という選択肢に辿り着いた。 しかしながら、何度かチャレンジして、一度もお目見えしていない。 今年も残すところあと僅かばかり。今年中に何度か挑戦してみようと思う。
村上海賊の娘を読んだ。きっかけは瀬戸内への旅行だった。 これは私にとって初めての歴史小説となるのだが、現代に生きる私が約500年前の人物の一挙手一投足に非常に心揺さぶられた。 まるで、本当にそんなやり取りが会ったのではないかと思える臨場感があった。 これは、歴史小説は面白いものかもしれない。今まで食わず嫌いをしていただけなのかもしれない。 まだ知らない世界は山ほどあるらしい。
最近は自炊をしている。 自炊といってもたかが知れていて、ご飯はパックをチンだし、野菜は切って塩振ってチンだし、肉もチンだし、卵もチンだ。言い忘れていたが、うちにはコンロが無いのだ。 そんな極簡易的自炊でも、自分のために作った自分の手料理は温かい。心を満たしてくれる。 何かモノを創る、に喜びを感じる人生である。 最近は趣味という趣味がなかったけれど、やっぱり創作はなんでも好きだ。成果物が目に見えて分かることで安心できるんだ。 料理はその欲を簡単に満たしてくれる。 だから、今日