君たち全員まぶしい②
大通りが、こんなに賑わっているのは珍しい。
さんさパレード出発地点から約1キロ離れた、ここ、モスビル前にも多くの屋台が出店しており、大勢の人が思い思いの祭りの過ごし方をしている。
DJブースがあり、音楽を聴きながら、お酒を交わす人々。洋楽のPVのワンシーンのようだ。洒落てるなあ。去年もDJなんていたっけ。知らぬ間に、さんさ踊りも進化している。
モスビル前の屋台は、定番の粉物やかき氷もあるが、台湾名物のダージーパイという名前のフライドチキンや、モヒートなど、ちょっとおしゃれなものが多い、と私は体感している。とりあえず、喉が渇いたので、ベリーとミントのソーダを頼む。「アルコールは入ってますか?」と念の為訊ねると、「入ってないですよ。入れますか?」と聞かれた。帰りの足がなくなるし、お酒が弱いため、あわてて、「結構です」と答える。
ラズベリーがゴロゴロ入った酸っぱいソーダを片手に、県庁市役所方面へ歩いていく。さらに人の密度が高くなり、ムンとした湿気に酔いそうになるが、せめて、さんさパレードは見なくては、と負けじと歩く。
大通りには、あらゆる思い出がある。
中学生の頃、友人と通ったカラオケ館。中学2年生の頃、同じクラスになった友人に誘われて以来、私はカラオケが好きになった。高校の部活でも、職場の忘年会でも、現職の飲み会でも、マイクを持つことに躊躇はなく、人前で歌える勇気があるってすごいことだ、と他人事のように思う。中学生の頃カラオケで歌った曲は、体に染み付き、今でも歌えるものだ。
社会人2年目の冬、マッチングアプリで知り合った人と待ち合わせしたローソン。彼の方が先に着いていて、「行きますか」と後ろから声をかけられた。前髪を分けて、スーツをピシッと着こなし、かっこいいっていうのが第一印象だった。仕事終わりに飲みにいくなんて、今はそうそうないが、当時は、都会っぽいなあ、と半分浮かれていた。彼は岩手を離れたが、今は元気だろうか。
盛岡城跡公園が見えてきた。屋台がいちばん集まる場所で、高校生くらいのカップルの溜まり場となっている。提灯が至る所に灯り、祭りらしい、ノスタルジックな雰囲気が最も強いブースだ。
数年前、自分に最も自信がなかった時期。仕事を辞め、これからどうしていけばいいか迷っていた時期。当時好きな人と、初めて手を繋いだ場所だ。春の空気が感じられる頃、ベンチに腰掛け、天気の良さに、気持ちいいね、など高齢夫婦のようなやり取りをしていたら、突然、しかし、そういう流れになることが決まっていたかのような、ごくごく自然に、手を繋いだのだ。盛岡の風景を見下ろしながら、当たり前のように手を繋いだ時を、どうしても思い出してしまう。
ここには思い出が多すぎる。なんとなく、岩手にいて、なんとなく増えていった思い出は、時々私を寂しくさせる。楽しかった、単純なあの頃には戻れない、とか、なんで素直になれなかったのだろう、とか。未練と後悔が多いまちで、これからも生きていくのか。途方に暮れる。
ここで生きていかなければならない、という使命感も、責任感も、ない。今の自分にしかできないことも、ない。ただ、今やりたいことは、私が住んでいるまち、思い出がこびりついているまちを、ドラマのように仕立てることだ。ドラマは都会だけで生まれるものではないはず。片隅にも生活はあって、そこから広がるストーリーがあってもいい。ここでドラマを生み出す人になりたい。些細なことも、ドラマの種になるのだ。
だから、今日、ここに来たのだろう。ひとりなのに。人混みもお祭りも嫌いなのに。種を集めにきた。もう少し、ここにいよう。もう少し歩いて、さんさ踊りをこの目で焼き付けてから、家に帰ろう。
人の流れに乗っかり、城跡公園前の横断歩道を渡る。エスポワールいわての前を横切り、裁判所前の十字路に辿り着くと、さんさ踊りのパレードが通る大きな道が見えてくる。パレードを間近で見ようと、多くの人が立ち並ぶ。さすがメインブース。
人と人の合間から、ひょこっと顔を出して、ようやくパレードが見えた。
蒸し暑い中、まるで泳ぐように、滑らかに動きながら、太鼓を担いで叩き、笛を吹き、踊り子は踊る。暑さも、疲れも感じさせず、このパレードを心から楽しんでいる。さっこらー、ちょいわやっせー、と威勢の良い掛け声。頭につけた、思い思いの花飾り。てかてかの笑顔。笑顔。どこを切り取っても、笑顔。笑顔が眩しい。
パレードに見入っている人々も、目を輝かせ、夏に思いを馳せている。蒸し蒸しする。様々な匂いが混じり合う。クラクラする。その感動の眼差しが、眩しい。
ここにいる人、全員、眩しい。全員主役の顔をして、夏を満喫して、眩しい。
こんな日常が戻ってきて、よかった。夏に齧りつける夏が来てよかった。綺麗な浴衣を着ることができてよかった。思いっきり踊れる場面が再び訪れてよかった。楽しいことを、うんと楽しめるようになって、よかった。
相変わらず捻くれ者の私は、眩しい人たちを横目に、帰路へ向かう。帰り道、適当に見つけた屋台で焼き鳥を買い、家で食べることにした。家に着くと、クーラーが心地よく効いた部屋で、霜降り明星せいやとアレン様のコラボ動画を見ながら、焼き鳥を平らげた。お祭りの後に見る動画として相応しいかどうかはさておき、せいやの聞き上手なところや、ポッと出るワードのセンスが、やっぱり、好きだなあ、と思った。
あの場にいた、眩しい人たちは、明日からまた、学校に通ったり、職場へ向かったり、勉強に躓いたり、仕事のミスにへこんだり、片思いの人とうまくいかず泣いたりする。ただ、また、あんな風に特別な出来事のために生活を送る。私もそのひとりである。夏は過ぎるが、楽しいことはまたすぐやってくる。眩しい人たちの生活は続く。