(ハル) いつの時代も、出会いたい私たち
はじめに
(ハル)1996年公開
主演 深津絵里 内野聖陽
オンラインで知り合った男女の恋愛ストーリー。
東京で営業の仕事をしているハル(内野聖陽)と、盛岡で職を転々としているほし(深津絵里)。ネットがなければ出会わないふたりが、パソコン通信を通じて仲を深めていく。
パソコン通信の会話を字幕で表現し、本作品の半分は字幕で物語が進んでいく、当時かなり挑戦的な演出・脚本だったに違いない。
画面いっぱいの文字を追いかけるのが退屈にならず、作品に夢中になれたのは、深津絵里の美しさはもちろん、約30年前のオンラインでのやりとりってこんな感じだったんだなあと歴史に触れることができたからだろう。
「ワロタ」「草」「乙」「それな」などのネットスラングは存在せず、今よりも丁寧な口調で繰り広げられるチャット。
顔文字が使われる場面があるが、ハルは当初イマイチピンときていなかったようだ。
物語の序盤、チャット内は映画の話で盛り上がっている。今で言うと「お前らが最近涙腺崩壊した映画挙げてけwwwww」みたいな出だしになるのだろうか。よく考えると、会ったこともないのに「お前ら」とか、上から目線なの、随分と生意気だな。会ったことないから、そんなことできるのか。
パソコン通信と、盛岡、東京、それぞれの風景が交差し、30年前の空気を感じることができる作品だ。そして、岩手県で暮らす女性として、気になる点がいくつかあったので、深掘りしていきたい。登場人物に関しての感想は、今回は割愛します。だから、みんなも観て。男女関係なく、都会住み、地方住み問わず、全員!
①30年前は、ぺったんこセダンが主流だった?
ほしは車を所有している。盛岡に住む人は、男女問わず、車持ちが多いんじゃないかな。
ほしの愛車は、白のセダン車。
岩手県民を代表して一言。岩手の女子でセダンは少数派です。
少なくとも、私の周りにはいない。
大抵は、タントやラパンあたりの軽自動車を選ぶ。最近はハスラーも人気だ。車にこだわりがあったり、家庭を持っている女性は、アルファードなどのミニバンを所有することもあるが、若い女性には少ない。独身であれば、軽で賄える。
ほしは24歳前後。独身。実家暮らし。(物語の途中で一人暮らしを始めるけど)
ここで、疑問が生まれる。
30年前は、若い女の子も、セダンを乗り回していたのだろうか?
気になって仕方ない私は、風呂上がりの父に直撃インタビューした。生まれも育ちも岩手の父、きっと一昔前の車事情について詳しいはず。
父の答えはこうだ。
「みんなこういう車に乗ってた」
解決!ベストアンサー、いただきました。
今ほど、かわいくておしゃれな軽自動車がなかったのだ。ほしが、車マニアで、渋いセンスをしていた、とは違うようだ。
余談だが、初代愛車のミラジーノを修理に出した際、台車としてシルバーのカローラに乗っていたことがある。実家の前に停めていたら、近所のじいさんに、「これ、お嬢の車か?」とびっくりされた。意外だと思われたんだろう。
かっこいい車ではあったが、らしくない、といえばらしくない。カローラが似合う人間になるには、心身ともに大人にならないといけない。
30年の変化って、大きいなあと気付かされる。映画って資料集だ。だから面白い。
②家賃4万8000円。高い?安い?
ほしが初めて一人暮らしをする際に決めた物件は、盛岡で4万8000円だった。
間取り、立地、築年数で、この家賃相場がどうか決まるが、単身用アパートで4万8000円以内に収めることは、そこまで難しくないはず。
最低条件を挙げると、バス・トイレ別、室内洗濯置、駐車場敷地内にあり、くらいだろうか。
余談だが、個人的な物件探しの条件として、ふた部屋は欲しい。2Kか、1LD K。部屋干しをするときに、広々使えると便利なのだ。そして、日当たりの良さ。日当たりがいいと、冬場でも日中は暖房いらずである。最後に、2階以上。なぜ2階以上がいいのかというと、ベランダで黄昏るなどしたいから。「結婚できない男」の影響を大いに受けている。
話を戻します。映画で観た限りだと、ワンルーム、1Kではないのかな、と推測する。(間違ってたらごめんなさい)
友人を複数人招いてピザパーティーをやっていたから、そこまで狭い印象はなかった。内装は、「神田川」のような年季の入った和室のアパートではなく、築浅のようであった。
盛岡で、2K、ないしは1LDKで築浅で4万8000円は、安い。
東京に住む、ほしの妹もそのように感想を述べていた。
立地にもよるが、スーモで調べたところ、上記の条件で絞ると、大体5〜6万はする。
上記のデータは、岩手県のみでなく、日本全体における賃貸の推移について記載している。
バブル景気で一気に家賃は高くなり、バブル崩壊・リーマンショックなどあったが、緩やかに上がっていった。
何が言いたいかというと・・・ほしは、割といいところに住んでいる。(ずっこけるようなオチ!)
映画だから、変に貧乏を際立たせる演出もしっくりこないと思うけどね。
思えばほしって、実家住まいの頃から、自炊したり、食べた食器をすぐ片付けたり、たくさんの本を読んだり・・・丁寧な生活をしてるって印象。
仕事の忙しさに身を任せているわけではなく、自分の生活リズムを、いかなる時も崩さない。
そんな、丁寧な暮らしに合う、物件ではあると感じた。
③ほし、めちゃくちゃミーハー説
ほしって、田舎でひっそり暮らしている、地味な女の子なのかな、と思っていた。序盤では。
しかし、実は彼女、めちゃくちゃミーハーなのでは?と感じる場面がいくつかあった。港区女子もびっくり。
まず1つ目。ほしは、スポーツジムに通っている。ジムには、ランニングマシンがずらりと並んであり、ボクシングもできるスペースも併設されている。
ここで、再度父に直撃。当時の女子って、ジムに通うのって珍しかった?
父の回答は、
「あんまりいなかったんじゃないか」
ベストアンサー、いただきました。
新しいもの好きな人が通うイメージだったのこと。
現在でこそ、エニタイムやチョコザップなどのスポーツジムが盛岡市内でも増えてきており、「運動好き」「ダイエット」だけでなく「自分磨き」のために利用する女性が盛岡でも珍しくない。
余談ですが、私、半年間のみ、ボクシングジムに通っていたオモロイ経歴あり。(ボクシングジムの方がエニタイムより安かった。そして当時は、激安ジムチョコザップは盛岡に存在しなかった)
2つ目。ほしはパソコンを所有している。パソコンがないと、この物語は始まらない。
しかし、1996年のインターネット普及率はたった3.3%。ほしは全国的に見て、かなりの少数派だったことになる。
今でいう、VRゴーグル所有者みたいな位置付けなのだろうか・・・VRゴーグルが、これ以上浸透する世の中も、あまり考えにくいけど。
相当新しいもの好きでないと、パソコンには手を出さない。
そして、1996年は「インターネット元年」と呼ばれている。
この年から、パソコンが家庭に広まっていくわけだが、1996年当時のパソコンの平均価格は、243,000円。デスクトップ:ノートパソコンの割合は、65:35。
(「昔はパソコン高かったよな・・・」は正解!パソコンの平均価格推移を追いかける。 より)
今よりも高価だったのだ。
ほしの妹もパソコン通信をしているのだが、始めたきっかけは「お姉ちゃんの真似」。つまり、ほしは、昔からミーハー気質で、新しいことに挑戦するタイプであることが伺える。
先ほど、ほしの第一印象を「ひっそり生きている女の子」と話したが、それは私の先入観にすぎないのだと思う。
深津絵里主演の映画で「悪人」(2010年公開)という名作がある。
深津絵里は、佐賀県の田舎町で、スーツ販売店のスタッフとして働く女性を演じている。出会い系サイトで他県に住む男性と知り合うのだが、深津絵里演じる女性が、キラキラ、はつらつ、というよりか、地味に、静かに、暮らしている描写が印象的だった。シリアスは作風の影響もあるだろうけど。
だから、「悪人」の時の深津絵里のイメージを、引きずってしまっていたのである。
一方で、ほしはというと。
上記でも述べたように、ミーハーである。休日は、友人たちとカラオケに行くこともあるし、パソコン通信でチャットを使いこなしたりする。
そして、ほしって、めちゃくちゃおしゃれなんですよ。深津絵里が美人だからそう見えるだけでは?とお思いだろうが、かなりセンスがいい。
東北出張に訪れるハルと、沿線のある地点でハルが乗る新幹線を待つほし。
お互い、ビデオカメラを撮影して、相手の存在を確認する、丁寧に切り取られた一瞬は、この物語の名シーンと言える。
ほしは「赤いワンピースを着て、ハンカチ振ります」とメッセージを送り、実際に着てきたのは、鮮やかな真っ赤のワンピース。リップも赤で揃え、シルバーのピアスが控えめに光る。目を引くけど、派手すぎず、ほしにピッタリだ。
ラストシーンでは、ほしがハルに会いに東京へ向かう。その時のヘアスタイルが、もうね、超ー可愛い。
普段は、髪をおろすか、一つに束ねることが多いが、この時は高い位置にハーフアップにしていた。
これが、ものすごく似合っていたし、ようやく会えると内心はしゃいでいる、淡い気持ちがよく表現できていた。いつもより気合い入っている、でもやりすぎない。
27歳も、同じヘアスタイルに挑戦したくなってしまう。若作りが過ぎるかな。
終わりに
この物語は、ハルとほしが「はじめまして」と対面するシーンで締めくくられている。
はじめて顔を合わせる瞬間って、心臓が飛び出そうになる。実体験です。
マッチングアプリで、何人かの男性と知り合ってきた。
一度会っただけで終わった人もいれば、数回一緒に出かけたり、ラインのやり取りを続けた人もいた。お付き合いした人もいた。
どんな人とも、最初は、約束をすっぽかしたくなるほどの緊張が押し寄せる。人見知りが無理するもんじゃない、と自己嫌悪に陥る。
しかし、それでも会ってしまうのだ。
期待とか、不安とか、これから見える景色が変わってしまう可能性とか、そういったものは、パソコン通信でも、マッチングアプリでも、変わらないんじゃないかな、と思った。
約30年で、生活スタイルはガラリと変わった。好きな時に、スマホ一つで連絡が取り合える。遠くに住んでいる人と、繋がることができる。
あと30年後は、どんな風に変化するだろう。これ以上の文明の発達は、想像し難い。
しかし、出会い方、恋愛の仕方が変わっても、誰かと出会う時に味わう気持ちは、ずっと変わらない。
簡単に繋がりが持てる時代に、賛否両論あるだろうが、私は大いに賛成だ。
恋愛に限らず、趣味や仕事のネットワークができることは、誰かの生活を照らしている。
私は、noteがあってよかったなあと切実に思う。
こんな長い話、じっくり聞いてくれる人ってそうそういないだろうし。
だから、この映画を鑑賞した人、してない人も、ぜひ感想を教えて欲しいです。
感想の数だけ、出会いがあるから。