感覚の鮮度から分かる「合わない人」
どんなことでも回数を重ねるごとに、物事や相手が自分と合うか合わないかの感覚が素早く判断できるようになっていく。
簡単にいってしまえば“経験からの感覚”といったことになるのだろうが、これは『自分と向き合う』ことを始めて、より分かりやすく鮮度が上がったように思う。
たとえばマッチングアプリで新しく人と繋がろうとしている時、これまでは惰性で2.3度会って相手のことを知ろうとしていたところが、メッセージと電話のやりとりだけで合わないことが分かり、疲れる人に間違えて会いに行くことがなくなった。
メッセージをしている段階で、決して偉そうな言葉をかけられたわけではなくとも、なぜか強いプライドを感じる人や、使う言葉の表現に違和感を感じる人がいたりする。
ほかには距離感の縮め方が下手くそな人、触れてほしくない部分へ無断で踏み込んで来る人などは特に嫌悪してしまう。そういった人ほど面白いくらいに無自覚な人が多くてつい笑ってしまう。
また、過去の自分がそういった側面を持っていたがゆえに、このまま仲良くなっていくとマイナスな感情が発生源となる「依存されそうな人」などがなんとなく分かってしまい、早めにピリオドを打ちたくなる。
纏う空気感や話し方、メッセージ間のキャッチボールのズレや物事の伝え方、ゆとりのなさなど、
そういった相手の言動が自分の心に何かマイナスの感覚を刺す度に、会話を続けたいと思わなくなり、結果短期間で離れることが増えた。
合わないということが会うよりも先に分かるのは、とても楽でありがたいことだ。
自分の心に忠実に動き始めてから、「許せないものへの怒り」や「自分が哀しくなる事柄」がはっきりと分かり、遠ざけるべき環境や人を敏感に察知することができるようになった。
そのおかげで、無駄に自分を擦り減らしてしまうことが減った。それがとても嬉しい。
自分を疲弊させる山に登ろうとしていたところを早めに引き返せるようになったみたいだ。まだ登り始めの段階なら、時間が経ってからとはエネルギーの消耗と疲弊度が違う。
だが一方で、自分の中にも密かに抱えている内面の問題を相手が客観的に見せてくれているパターンというのもあって、
その場合は、自分の認め難い深い問題点を分かりやすく見せつけてくれたことと、それに気付くきっかけを教えてくれたことに意味があったなと捉え、新たに『自分』と向き合う材料にさせて頂く。
そうすることでたとえ相手の問題点に見えたことでさえ「残念」や「嫌な性格だな」と、評価をする側だけで終わるのでなく、先の自分にとってのプラスとして変換することができることがある。(この辺りは、どちらなのかは自分で分かる)
そうしていくことで、人との繋がりから『自分の内面』へ還していくもの見えた時、一段と自分が自分のことを理解している気がするのだ。
自分と向き合う時間は、自分への理解度を上げるため必然的に他者との繋がり=人間関係を円滑にすることにも結びつき、またどんな人であれ『経験』といった場数を踏んだという事実はこれからの判断材料になるし、何よりも自分の人生を豊かにした一部に過ぎないのだから話のネタが増えたと笑い飛ばすことができる。
『自分』が健やかに確立されていく程、合う人と繋がっていける上合わない人は躊躇なくはじき飛ばせるようになっていく。
女はそうやってしたたかに生きていってやればいいと思った。
🔽恋愛をすることでより強く見えて来る「自分の醜い内面」について綴ったエピソードです。
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