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主人公・尚成がたどり着いた哲学が新鮮で強烈だった『生殖記』 | 読書日記

こんにちは、みちょブックスです。

今回は、朝井リョウさんの新作『生殖記』の読書日記です。

答えのない問題提起を投げかけてくる朝井リョウさんらしい素晴らしい小説でした。読み終わった後に咀嚼して感想をまとめるのに少し時間がかかりましたが、いまのぼくが思うところをまとめてみました。



拡大・発展・成長を前提とした社会にモヤモヤ

本作の主人公・尚成は同性愛者です。尚成の生殖機能が人格をもっているという設定で、その生殖機能が尚成の生活を観察し解説しながら物語が進んでいきます。

現代社会は資本主義や異性愛を主軸としていますが、いずれも拡大・発展・成長を目指しています。この現代社会の中で主人公・尚成は、社会や個人の拡大・発展・成長には「どうでもいいなぁ」と興味関心がなく、達観した目線で生き延びることに専念しています。

ぼく自身としては、拡大・発展・成長が幸せに繋がるわけではないし、気候変動などの環境問題もあるわけで、会社や社会は拡大・発展・成長しなくても良いと考えています。拡大・発展・成長を前提とした資本主義社会はいずれ限界がくることはわかりきっているのに、限界がくるまで続けようとしている社会に多少はうんざりしつつも、その資本主義のゲームにしっかりと組み込まれて普通にプレイしながら生きているし、さらには拡大・発展・成長に貢献できて嬉しいと感じる時もある。

「本気で〝地球のために、できること〟をヒトに問うのならば、回答は一つ。絶滅です。」という本書の記載はその通りだと思ってます。一方で、絶滅まではちょっとなぁ…と、仮に絶滅するボタンがあっても押す勇気や気概はなく中途半端な感じです。会社や社会が変わる画期的なアイデアも力もないので、進み続けるしかない資本主義を進めつつ、いまある生を真っ当に生きようとモヤモヤしながら生きている。そんな感じです。

しかも、この歪みに本当は皆気づいてはいる。ここがミソです。でも、本気で歪みを見直すには、世界中のヒトが一斉に拡大、発展、成長から手を離す必要がある。そんなこと現実的に不可能だということも、皆わかっている。その結果、この無理のあるレースから誰もイチ抜けしないよう、互いが互いを強く監視し合うようになる。

本当は皆、降りたいんじゃないのかな。人口も経済も何もかも〝今よりももっと〟を常に続けていかないといずれ立ち行かなくなるこの世界の仕組みから。未来永劫果たし続けられるわけがないと実は誰もがわかっている、この共同体の存続条件から。


モヤモヤした状態のまま拡大・発展・成長に寄与する

本書に記載の通り、ヒトの特性として、ヒトは理由もなく初期設定として共同体の拡大・発展・成長を目指している。ヒトが現代社会で拡大・発展・成長に寄与するのは3通りあります。

  • 1つ目は、子供を産んで育てていくこと。

  • 2つ目は、労働により会社を発展させていくこと。

  • 3つ目は、社会の成長や地球全体の改善に繋がる取り組みを行うこと。

ぼく自身の場合、1点目の子供については現在子供はいないのでスキップして、2点目・3点目に関連する労働について考えてみます。

ぼくが仕事で、特にマネジメント層の人たちと拡大・発展・成長を前提とした話をする時がありますが、そのたびにモヤがちょっとずつ溜まっていき、ある程度貯まるとモヤモヤしています。
ぼく自身としては、

  • 会社や社会は拡大・発展・成長しなくても良い。

  • 目の前に困っている人たちがたくさんいて、自分にはそれを改善できるアイデアと実行力があるから助けてあげる。

  • その人たちも喜んでくれて、自分も嬉しい。

というようなロジックで仕事をしています。このロジックで仕事をしていても、結果的には会社や経済の拡大・発展・成長には寄与しているので、「ビジネスを維持・拡大していきます」って自分の心に嘘はつかず表面的に言っています。

本書の尚成はどうかと言うと、拡大・発展・成長とは別次元で生きるために、拡大・発展・成長の社会で無心でお金を稼いで自分の世界に金銭、食糧、生活必需品等を調達している、という考え方です。

尚成は、職場という媒介を通して、異性愛個体と資本主義を主軸に常に拡大、発展、成長を目指し続ける巨大な共同体(世界)から、同性愛個体を主軸に自身の感覚をどの共同体にも上書きされずに生き延びることを重視する生息地(自宅)へと、金銭を調達し続けているのです。


ヒトは走り続ける理由が欲しい

また、別の重要なヒトの特性として「走り続ける理由が欲しい」というものがあります。

ヒトは、ただ今を生きることを続けていたら、何かを考える状態に入ってしまい、すぐに精神を病みがち。ちょうどいい目標や生きがいが欲しい、自分を人間や社会的動物であり続けるよう見張ってくれる監視カメラを欲しい、走っていたほうが楽ちん、という特性があります。
子供でも仕事でも社会貢献でも、それ以外でもなんでも、長い寿命の間にヒトが走り続けられる理由をずっと見つけ続けなければならないという大変な課題があります。

だって、滅多なことがない限り命を脅かされない環境にいて、そのうえで労働まで免除されてしまったら、そこに残るのはやたらと発達してしまったヒト特有の知能と思考だけ、じゃないですか。その条件で〝そこに生きている〟を続けていたら、結局〝何かを考える〟ゾーンに入ってしまって、そうなるとヒトって割とすぐに精神を病んじゃいますよね。

ヒトはむしろ、共同体感覚を見張ってくれる監視カメラを増やしていきたいのかもしれません。自分を〝人間〟や〝社会的動物〟から降りさせないようなストッパーを、一つでも多く欲しているのかもしれません。そうじゃないと、こうなっちゃうから。夜、便座にびったりとくっついちゃうから。仕事でも家庭でも社会貢献活動でも何でもいいから、自分を走り続けさせてくれるものが欲しいのかもしれないですね。

やっぱりね、走っていたほうが楽なんですよ。〝生産性がない人なんていません〟が素敵な言葉として響く世界では、拡大、発展、成長のレールから降りられないよう自分で自分を追い込んでいるほうが、むしろ健やかに生きることができるのでしょう。そういう意味では、次世代個体って一番有効な監視カメラですよね。育成しなければならない次世代個体がいる以上、親個体は走ることをやめるわけにはいきません。幼体のあの二つのつぶらな瞳こそ、共同体感覚に発破をかけてくれる超高性能のレンズなのです。


尚成がたどり着いた哲学が新鮮で強烈だった

ぼく自身はなんとなく折り合いをつけて、直接的には拡大・発展・成長に反対ながらも、間接的には仕事をしながら拡大・発展・成長に貢献して過ごしています。

本書で主人公・尚成がたどり着いた哲学が新鮮で強烈なものでした。
まずは、拡大・発展・成長のレールに乗らずに、ちょうど良い目標をこなし続ける。そのために、尚成は、徐々に難しいお菓子作りに挑戦しながら、ひたすら高カロリー食を作り摂取する。そして、カロリーを消費するためにトレーニングする。これをひたすら繰り返していくものでした。
さらに、こうやって時間を消費していく内に、テクノロジーが発展して生殖医療や体外発生が進めば、異性愛者にできて同性愛者にできないことがなくなっていく。そのような未来に向かっていくだけで尚成の幸福度は上がっていく。尚成自身の幸福度を〝異性愛個体から特権意識が引き剝がされる未来〟に司らせていると、自分が自身や社会の拡大・発展・成長をしようがしまいが関係なく、心身が時間的に前進することだけで純粋に幸福な状態になれるというものでした。

ぼく自身の例で考え直してみると、ロードバイクやトレーニングで、拡大・発展・成長とは別軸で、ちょうど良い目標をこなし続けていく。または、写真や読書でひたすらインプットしてアウトプットすることを繰り返していく。これらは、いまも実践してますし、それなりに達成感・幸福感を味わいながら、今後も時間を消費していけそうです。一方で、これだけでは、自分自身がどうなろうが時間が過ぎていくだけで純粋な幸福状態になるという境地までは辿り着けていません。その境地に辿り着けると無敵状態なんだろうなぁと思いまし、どうにかこうにかして見つけたいものです。

尚成、光に包まれた思いでした。時間をかけて高カロリー食を生成し、可能な限り摂取し、その分を消費するためひたすら身体を動かす。この繰り返しに終始していれば、種や共同体の貢献に繫がる拡大、発展、成長のレールに乗ることなく、かつ虚無に追いつかれない程度に〝次〟をこなしていくことができる。

今の尚成にとって、生きること、即ち心身が時間的に前進することは、異性愛個体から特権意識が引き剝がされる未来に近づくことと同義であり、その事実こそが尚成の幸福度を上昇させています。つまりこの幸福度は、尚成自身の生産性や共同体への貢献等からは完全に独立しているといえます。


さいごに

noteをご覧いただきまして、ありがとうございます。
ストーリーを語ることが苦手なわたしですが、今後とも面白いと思ってもらえるnoteを継続的に発信していきたいと思います。
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