お彼岸は忙しいという言い訳で何もできずに過ごしてしまった。時期はずれてしまうけど、別日にお墓参りには行く予定である。 暑い日々が続いていたと思ったら急に涼しくなった。 暑さ寒さも彼岸までと言う。 涼しくなるということかなとざっくりした意味合いしか考えたことがなかったので調べてみた。 一つ目の意味は想定通りである。 二つ目の意味には考えさせられるものがある。 私は乗り越える、という表現が苦手である。 私自身死別を乗り越えたかというと乗り越えてないし、耐性がついて気持ちと
当初、夫が亡くなったと同時に私自身の感覚を失った感じがした。夫とともに私の半分も死んだのかもしれない、もう元には戻れない、戻れなくてもいいと思って数年過ごしてきた。 最近、笑うことが増えた。愛想笑いじゃなくて、ちゃんと楽しいと思って過ごす自分が増えた。周りの言葉にも過度に傷ついたり、腹を立てたりすることもなくなった。 そんなとき、ふと夫が好きになってくれた私はこんな感じだったかもしれないなって感じを思い出した。 こんな感覚が生まれることはないだろうと思っていたから本当に不
死別前後では好きな曲、ドラマなど嗜好が変わった。 死別後は悲しい曲や死別につながる歌を聴いて共感したり、泣きたいときに涙を流すのに利用していた。最近は聴く頻度は減ってきたが一時期は何度も何度も聴いて過ごした。その中でも個人的に好きな曲を記録していく。 ・Lemon 米津玄師 米津玄師 Kenshi Yonezu - Lemon (youtube.com) ・ヒトツボシ KOH⁺ KOH⁺「ヒトツボシ」(映画『沈黙のパレード』Inspire Movie) - YouTub
お盆の時期がやってきました。 夫を亡くすまではお盆ということを特別意識したことはありませんでした。 子どもの頃は迎え火、送り火、お墓参りはしていました。他の準備は両親や祖父母が行っていました。特に帰省するということや出かけることもなかったので変わらない日常を過ごしてきました。 夫を亡くしてからはお盆は特別な日ですし、しんどいと感じるものでもあります。 初盆はお盆が嫌で仕方なかったです。お盆は帰省時期で周りは楽しそうにお盆期間のことを話すのについていけませんでした。そして初盆
先日私は誕生日を迎えた。 1年目は夫が若いままなのに、私だけ年を取るのが辛かった。去年の今頃は夫が祝ってくれたことを思い出していた。そして周りに祝われることが苦痛だった。何がめでたいんだって思っていた。 2年目はしんどいけど、年を取ることは寿命へ近づくことだと自分を励ました。それでも周りに祝ってもらうことは嫌だった。 3年目は実はあんまり記憶がない。落ち着かない気持ちがあったし、仕事はお休みをもらっていてボーッと過ごしていた気がする。祝われるのは少し耐性がついた。 4
織姫と彦星が一年に一度、天の川で会える日。 昔七夕の物語を知ったとき、一年に一度しか会えないなんてと思った。 今は一年に一度会えるなんて羨ましいと思う。 一年に一度でいいから会いたい。話せなくても、触れられなくてもいい、一目でいいから会いたい。ほんの少しでいい。何も伝えられないまま別れてしまうのはイヤだ。話したいことがいっぱいあるのに。 今年の七夕は一段と会いたくて仕方ない。どうか夢で会えますように。
どうしようもなく寂しく、会いたい。 ここしばらくは大分淡々と日常を過ごせるようになってきたと思っていたが波はあるようだ。 夫の死というものは何をしようと覆らない現実で、どうしようもないことだとわかっていても会いたいと願ってしまう。 夫と過ごした日々が愛おしくて、また過ごしたいと願ってしまう。 寂しさは紛らわすことはできるけど、今ある寂しさを埋めることができるのは夫という存在だけだろう。 せめて夢でいいから会いたい。
忙しさは時に気持ちを紛らわせてくれる。 時に気持ちを落ち込ませることもある。 時に身体を疲れさせて眠気をもたらしてくれることもある。 時にしんどくなるときがある。 最近、仕事が忙しい。 死別当初は仕事を頑張っていたつもりだが、今よりも全く業務をこなせていなかったと思う。それだけ仕事ができるようになったことをまずは褒めたい。 その反面忙しくて、日々の記憶が曖昧に感じて薄っぺらく感じる。 忙しくてもそのなかで楽しいことや幸せと思えることがあると違うのだろう。 ただ仕事をこなし
疲れていると思考がマイナスになりやすい。 死別直後は精神状態的にずっと緊迫しており、「頑張らなくちゃ」とだいぶエネルギーを使っていたし、「夫の分も生きなきゃ」と頑張っていた。でもある程度時間が経った頃、私は手続き関係が終わった頃だろうか・・・一気に疲れが来た。エネルギーが切れた。 そして段々と眠りが浅い日々が始まった。 眠れないけど、疲れはたまる。それでも動かなくちゃいけない。そうすると思考が鈍る。鈍った思考の中で考えるのは自責や後悔、死とは何かなど。考えてもどうにもなら
ここ最近気温が30℃前後まで上がり暑く、夏の訪れを感じている。毎年思うが、年々暑くなっているな。 このままだと7月8月は暑すぎて外で過ごすのは難しいなと思う。むしろ数年前に暑い中外を歩いて具合が悪くなった経験をしてから出かけないように注意している。 暑くなってくるとお供えしている花の持ちが悪くなるのが悩ましい。先日買ったひまわりも数日で萎れてしまった。 夏になるとお盆もあるな。死別する前は帰省時期なイメージであったが今は供養する時期である。お盆時期になると遠出した話や帰省
心を落ち着けるために安心できることや安心できるものを想像するときあたなは何を思い浮かべるだろう。 きれいな景色、大切な誰か、大好きな場所、動物・・・人それぞれ全く違うだろう。 私が思い浮かべるのは「夫の隣にいる私の姿」である。 夫でなく、夫の隣にいる私というのがポイントである。多分安心して過ごす私の姿を見るのが心穏やかになるのだろう。 今の私は安心と呼べる場所や気持ちが少ない。いつも漠然とした不安の中にいる。昔から不安感が強いほうではあった。しかし死別後はより強くなった気
誕生日おめでとう。 今日はあなたの誕生日。 花を渡すことなんてなかったけど、最近はこの時期はひまわりをお供えしている。なんとなくあなたのイメージに合っている気がするの。 どんな風に年を重ねただろうか。 目尻のシワは深くなっただろうか。 白髪は増えただろうか。 体力は衰えただろうか。 物事の考え方は少し丸くなっただろうか。 好きなものは変わっただろうか。 どんな風に一緒に時間を過ごしただろうか。 私はひとり年を重ね続けていくが写真の中のあなたはいつまでも若いまま。 時間が止
死別後は集中力も落ち、活字が読めなかった。 そのなかでも読みやすかった、読んでよかったものを記録。 ・コーヒーが冷めないうちに 川口俊和 とある喫茶店の物語。現在シリーズで4冊刊行されています(2024年6月時点)。映画化もされています。 ・もしものせかい ヨシタケシンスケ 絵本というと子どものイメージですが大人の心にも優しく寄り添ってくれました。そして「もしものせかい」に少しだけ心が救われました。 ・大切な人を亡くしたあなたに知っていてほしい5つのこと 井手敏郎 グリ
大切な人との時間は有限である。 いつ一緒に過ごせなくなるかわからない。当たり前に続くこともあるし、ある日突然会えなくなることもある。 突然大切な人を失った私としては、その時に言いたいことは伝える、感謝する、行きたい場所に行けるうちに行く、その日にできることはしておくっていうことが習慣化されている。当たり前かもしれないけど、以前よりもより意識している。 そして今の大切な習慣としては夫に線香やお花を供えることである。 信仰心が強いわけではないが、何かをしたい気持ちと少しでもあ
誰しもいつかは死がやってくる。 そう分かっていて、想像していても大切なひとがいなくなるというのは受け止めがたいものだった。そして死ぬとしてもお互い年老いていくものだと信じて疑わなかった。 年を重ねたらあなたはわがままなおじいさんになって周りに迷惑をかけそう。 年を重ねたらお前は静かに塗り絵をするおばあさんになって周りの人は助かるだろうね。 そんな話を笑いあってした夜もあった。 夢描いた将来は来ず、あなたは若いまま死んでしまった。 人生で知りたくなかった感情を問われたらこ
死別してから約3年。久しぶりに言葉をつづりたくなりnoteを始めてみた。 きっと書いては消してを繰り返すことはあると思う。そのなかでも今の気持ちを書いてみたくなった。 死別した当初とは時間も経過しており、感じ方も変わっている。ただ昔の自分を俯瞰してみれるようになったとも思う。 私は30歳のときに夫と死別している。 突然の出来事で現実味がなかった。そんな状態でも葬儀を執り行わなくてはいけなくて、やらなくてはいけないことに追われていた。冷静なつもりでいてパニック状態だった。そ