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原書購読:INITIATION『イニシエーション』英語


ELISABETH HAICH『INITIATION』


ELISABETH HAICH『INITIATION』

 このページは、エリザベス・ハイチ(1897~1994年)の『イニシエーション』の原書購読の紹介だ。(文字数10,558)
 
 言語:英語
 表題:INITIATION
 著者:ELISABETH HAICH
 出版社:AURORA PRESS
 発行年:1953年
 ページ:366
 金額:¥2,590円(2021年10月15日)
 読了:2023/11/09
 
 エリザベス・ハイチは、世界では有名だが、日本では知られていない。

 彼女はハンガリー出身のヨガ教師、彫刻家だ。だが神秘主義者としての方が知られていて、代表作『イニシエーション』は、世界17カ国に翻訳され、数百万部売れたと言う。伝記的な書き出しで、静かに始まり、幾つかの啓示の後、過去世物語が始まり、読者を惹き込む。

 圧巻なのは、エジプトのピラミッド起動シーンだろう。ハイライトだ。   

 これは地球霊界の修行場、シャンバラ・桃源郷が、エジプトにあった頃の話である。

 推定約10,000年前から約5,000年前のエジプトだが、アフリカがまだ緑だった頃の話である。歴史学・考古学的には立証されていないが、イグナティウス・ドネリーの『アトランティス、大洪水前の世界』にも、この空白の時代の、簡単な推定が書かれている。
 
 The state of society in the early days of Egypt approximated very closely to our modern civilization.
    『Atlantis The Antediluvian World』Ignatius Donnelly 1882 -p363
 
 エジプトの初期の社会状態は、我々の現代文明に非常に近かった。
                          -拙訳(邦訳なし)
 
 エジプトのピラミッドが、本来の機能を果たして、起動していた頃の話だ。ムーで始まったピラミッドは、アトランティスを経て、エジプトに伝わる。無論、これは伝説ではあるが、ピラミッドは本来の機能は、スターゲート、星辰の門だ。だから時空を超える。

 地球と他の星の文明を繋ぐ「どこでもドア」みたいな装置だが、人類の霊的進化を促すための儀式装置とも言える。機能の詳細設計までは不明だが、基本設計の推定はついている。

 過去世のエリザベス・ハイチは、とあるマスターの下で、指導を受け、修行を重ねていた。エジプトの全盛期の頃の話だ。歴史時代に入ってからのエジプトではない。この社会は、アトランティス直系で、我々が知るエジプトと異なる。(歴史時代のエジプトとは断絶がある)
 
 著者のエリザベス・ハイチは、過去世物語と断った上で、これらの話は歴史学的な、考古学的な検証に耐えられるものではないから、学問的な詮索は不要と語る。とはいえ、そこで語れる事柄は、これまで謎だった時代が、初めて明かされた形となる。
 
 正直、ここまで明確に、この時代を描写した本を読んだ事がない。この過去世物語は凄い。
 
 ただ霊的覚醒に有利な肉体、長頭族の話は、聞き流した。そんなものなくても、仏陀の悟りは宇宙の深淵にまで届いているので、特定の肉体で、悟りに差が付くとは考えていない。
 
 20世紀のエリザベス・ハイチも、心の修行をして、明確に過去世を見て、現生人類の肉体で、悟りを得ている。この人は善悪を分けて、カルマを分析でき、過去に地獄に堕ちた経験さえ語る。複数の転生輪廻について語っているが、全てあるカルマのせいで、そうなっている。
 
 一人の人間、一人の女性のカルマと転生を、一冊の本で、善悪を踏まえて、解き明かした事は本当に凄い。この人は、人類のマスターの弟子になれる資格がある。つまり、シャンバラで修行できる資格がある本物の霊能者だ。現代人で、こんな人がいたなんて、知らなかった。
 
 無論、四大聖人には及ばない。だが四大聖人の弟子にはなれる実力がある。

 この人は、ハンガリー出身だが、ドイツ思想、裏街道の最後の継承者かもしれない。

 すなわち、ヤーコブ・ベーメ、スェーデンボルグ、ルドルフ・シュタイナー、そしてエリザベス・ハイチという流れだ。能力的には、三人の前者たちより一段下かもしれないが、ここまで悟れれば、見事と言わざるを得ない。一般人が何回転生しても、こんな悟りには届かない。
 
 この本は、アマゾンで見つけた。英語で何かよい本がないかと探していた時、レビューを見て、購入を決めた。英語で本を探していたので、購入した時は気が付かなかったが、原書はドイツ語だった。予備知識なしで、何も知らないまま読み進めたが、途中で驚きに包み込まれた。
 
 前回紹介したシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』が霞む程だ。正直、『アウト・オン・ア・リム』は、やっと神秘の入口に立つぐらいだが、この本は本格的に、神秘の道を歩んでいる。『イニシエーション』というタイトルは伊達ではない。
 
 とりあえず、英語で読んでしまったが、日本語訳も出ていたので、そっちも読んだ。同じ内容だが、手っ取り早く内容を知りたい方は、先に日本語訳を読んでもよい。これは英語とかドイツ語が重要ではなくて、内容が重要だ。こういう事も存在すると、知った方がいい。


エリザベス・ハイチ『イニシエーション』


エリザベス・ハイチ『イニシエーション』

 言語:日本語
 表題:イニシエーション
 著者:エリザベス・ハイチ
 翻訳:紫上はとる
 出版社:ナチュラルスピリット
 発行年:2015/08/15
 ページ:701
 金額:¥3,278(2021年11月15日)
 読了:2023/11/10
 
 物語は、第二次世界大戦前夜から始まる。子供の頃のエリザベス・ハイチが語られる。幼少の頃から、家族に対して、独特の違和感を持っていたが、それも夢の啓示で、解き明かされて、社会性を得る。この場合、獲得された社会性は、一種の諦観であるが、それは仕方ない事だ。

 全ての人は、夢の世界から来る。すなわち、霊界から地上に生まれて来る。どんな人でも、その微かな霊界の記憶、夢の思いは残っている。子供の頃、やたらと走り回って、自由に飛び回る事を好むのは、この夢の世界、霊界の記憶に基づいている。自由への希求だ。
 
 もっと自由な筈だ。もっと何でもできる筈だという感覚だ。だけど、それができないから、子供は泣く。おかしいと感じている。そんな筈はないからと、大人に駄々をこねる。

 これは理由がない事ではないのだ。元々、大人の人格を持ち、あえてそれを放棄して、この世に生まれて来る事は、冒険である。最初、誰しも勇気と希望を持って生まれて来たのだ。だがそれも地上に生まれてから、霊的な自由を失った事を自覚するにつれて、変化する。
 
 それが大人になるという事であり、地上の人間としての自覚を得る。子供の頃であれば、まだ親が尋ねれば、生まれる前の記憶を話す可能性もあったが、成長するにつれて、それもなくなり、やがて完全に地上の人間となる。「もの」と「こと」の世界を泳ぐようになる。

 これはこれで一定の目的があり、意味がある事である。徹底的に霊的な目を塞がれて、肉の目でこの世界を見て、どう思うかという公案である。ある人は、完全に「もの」と「こと」の世界に埋没して、この世的な価値を追い求めるが、一定数そうでない人も現れる。
 
 エリザベス・ハイチの場合は、やや異なり、早い段階で、一定の社会性を得たが、霊的自由の希求を止めず、裡に秘めて、成長を続ける。これは、のちに霊的覚醒の萌芽となるが、一介の修行者としては、当然の行動と言える。静かに歩む者は、どこまでも遠くに行けるのだ。

 思春期を入ると、エリザベス・ハイチは、己の肉体が周囲にもたらす効果に、戸惑いを覚えたようである。これは奇妙だが、元々動物性が薄い人なので、修行者独特の感覚かもしれない。社会的には理解されず、変人という事で通る。またこの頃、勝手にヨガを始める。

 過去世の記憶が早くも出て来て、自分で何をやっているのか分からないが、全てヨガのポーズが取れるというもので、専門家が見て、初めて判明した。人から教わらず、勝手にヨガを習得していたというのは、生まれてからの時間と経験では説明ができない。前世の記憶だ。

 この頃から、過去世で縁があった人物たちと、今世でも出会い始め、相手に強い印象を残している。お互い初対面で、なぜそうなるのか分からないが、強い印象を与える。エリザベス・ハイチは、後に過去世リーディングで、その理由と縁を知る。全てカルマがある。

 だが時代は風雲急を告げ、第二次世界大戦が始まる。ハンガリーは、枢軸国側についているので、ナチス・ドイツ軍と共に、侵攻してくるソ連の赤軍を食い止める。この戦いの最中でも、過去世のリーディングはあり、霊的覚醒が促される。

 やがてエジプトの過去世が蘇るが、その前段階として、直近の過去世や、他の人の過去世が見え始めて、自分を中心に形成される縁の流れを把握する。全ては意味があり、意味がない事が一つもないという事を確信した時、エリザベス・ハイチは、カルマの核心に踏み込む。

 この時代のエジプトは、アトランティス文明の残滓と現代文明の始まりが混じり合った、中間的な時代である。そういう意味では、常識が異なるが、理解できない訳でもない。こういうイメージは皆も持っていた筈である。それが再現されているだけの話だ。

 ライオンという動物がいるが、霊的覚醒者は、これを手なずける事ができるという描写がある。仏陀も酔象をなだめたり、猛獣を手なずける事が多かった。動物の心が分かるというものだが、過去世のエリザベス・ハイチも、ライオンを手なずけて、戦車で駆っている。

 現代的に見たら、ただのサーカスでしかないかもしれないが、人間にはこういう力がある。
 
 最終的に、このライオンという動物が、エリザベス・ハイチに因果応報をもたらすが、それは修行者として、マスターの警告を無視して、道を踏み外したからである。
 
 修行の最終段階で、過去世のエリザベス・ハイチは、ピラミッドを起動させて、星辰の門を潜るが、認識の限界にぶちあたる。この人でも、完全な覚醒には至らず、イニシエーションの完全伝授までには至らなかった。そして高みからの転落である。

 (もしエリザベス・ハイチが、完全にイニシエーションを伝授されたら、彼女は人類のマスター、人類の教師になれる資格を得る事になる。これは人間の転生輪廻の目的、魂の霊的進化の目的でもある。無論、殆どの人はその土台さえ乗れないし、その存在さえ知らない) 
 
 その後は、長い時間を掛けて、エリザベス・ハイチは、這い上がって来る。確かに霊的絶頂、高みからの転落ではあったが、運命の螺旋階段を低い階層からゆっくりとやり直し、通常の人よりも不自由な人生を何度か過ごし、徐々に力を取り戻して行く。そう、全ては意味がある。
 
 エリザベス・ハイチは、20世紀に立った時、ここはどういう時代で、エジプトの過去世の時とどれだけ違うか、深く理解しているが、それでもヨガや彫刻を通じて、戦後も活動を続け、霊的世界の存在を訴え続け、全てに善悪があり、カルマが形成されている事を説く。

 エリザベス・ハイチは、21世紀の予言も残している。魚座の時代が終わり、水瓶座の時代が始まると述べている。これは占星術でも言われている事であるが、より詳しくその意味を語っている。最後の神が到来すると述べている。地球の文明が大きく転換すると述べている。

 この人は、宇宙人の話はしていないが、エジプトでアトランティスの話をした時に、他の星の文明を想定しているような話はしている。理解はしているのだろうと思われる。

 この人は、霊能者としては、大体の力は持っていると思われる。だから、他にも様々な面白い事を述べているが、ウォルト・ディズニーの話が、面白いかもしれない。

 現代の日本でもよく、「宮崎アニメとディズニーを見て育った」と言う人が多いかと思うが、かなり示唆的だと思っている。あれらは、白魔術に黒魔術を微妙に混ぜて作っている。隠し味はズバリ呪いだが、全体的に分からないようにしている。物語のスパイスだ。
 
 この調合具合がよいから、ディズニーがうけたというのが、エリザベス・ハイチの見解ではないだろうか。それは賛成である。ウォルト・ディズニーはかなり魔法が分かっているというのが、彼女の言葉だ。霊的に魔法が見えたようだ。テレビ画面から分かるそうだ。

 宮崎駿もそうだが、アニメにメッセージ性があり、一定の呪いをかけてくる。これは全体的な印象で、分からないように細工されているが、これらを見抜いて、彼の呪いから脱する事は困難である。殆どの人は、彼の魔法にかかってしまう。アニメというものは恐ろしい。
 
 薬の中に、微妙に毒が混じっているから、効果がある。だが毒は毒だ。薬で誤魔化しても、毒の効果はある。いくら表面的には素晴らしく見えても、どこかで馬脚は必ず現れる。
 
 それは彼の政治性について見れば分かる。かなり極端な思想を持っている。当方も、宮崎アニメから脱する事ができたのは、つい最近である。ウォルト・ディズニーは元々嫌いだったので、最初から回避していた。ただ宮崎アニメは、子供の頃から見ていたので、中々抜け出せなかった。何だかんだ魅了はされていた。だがこれも黒魔術が入っている。

 全体としては、仙人の世界だと思うが、下手すれば、水木しげるの妖怪の世界と通じている。霊界的には隣近所くらいだろう。自然に対する憧憬はよいと思うが、どこか合理的な思考を嫌い、文明否定に入る。環境問題もよく取り上げるが、これも日本の裏思想が入っている。

 日本の仏教には、天台本覚思想というものがあり、これがもの凄く浸透している。名前は知らなくても、その思想内容は、非常に日本人の共感を呼び、現代思想の底流に流れている。

 これは、何も努力しないでも、人間は元々尊い、なぜならば仏性を持っているのだから、ありのままでもよいのだ。心の修行も要らないという思想である。これはもう仏教ではない。異端邪説で、現代だとマルクス主義や、環境論の底流に流れ、合流している恐ろしい思想だ。

 霊的世界もうっかりすると、停滞する静の世界となる。進歩するのが嫌、努力するのが嫌という世界はある。成果だけくれくれの世界がある。だからそのままでよい、何もしないし、結果は平等という思想が蔓延る。これは妖怪の思想だ。だが修行者は、善悪を切り分けなければならない。
 
 修行とは努力の道であり、人生とは修行である。これは今も昔も変わらない。

 エリザベス・ハイチは、メインの話とは別に、時々、細かいトピックスを語っているが、それも面白い。霊能者の視点というものは、人生の参考にはなる。断っておくが、ウォルト・ディズニーは悪人でもないし、そのアニメも否定はしない。ただ魔法使いだという事だ。
 
 魔法使いは、程度にも寄るが、ネットにもたくさんいる。一頃、視聴していた英会話動画で、最後に必ず、若い白人女性が、投げキッスをするというものがあった。ご褒美だ。だがこれも呪いと言えば呪いだろう。人を虜にする魔法だ。ちょっと彼女は、やり過ぎな気がしたので視聴は止めた。

 英会話の先生を、魔性の女と言うのは、酷かもしれないが、自分の動画を伸ばし、視聴者を逃さないために、毎回投げキッスという魔法をかけてくるのは、閉口させられる。
 
 英会話という白魔法の中に、投げキッスという黒魔法を混ぜて、自分のサブスクを爆発的に伸ばしていたが、これは現代的な魔女の一形態だろう。可愛いものだが、この程度は許さないと、社会に寛容性がなくなるだろう。Toleranceは重要だ。西洋文明の根幹だ。

 魔法も霊的世界の一環なので、存在自体は否定できない。白魔法であれば、人を良く導くし、黒魔法であれば、人に呪いを掛ける。それだけの話だ。程度問題もあるが、我々は日常的に人を呪っている。悪口を言う事もそうだし、心の中で不満を思うだけでも罪だし、呪いだ。
 
 仏教の心の修行だと、徹底的に、こういう呪いを心の中から排除する。そういう教えだ。いわゆる、反省と言う手段を通じて、心を浄化して、最終的には涅槃寂静を目指す。まぁ、無理だが、目指すだけなら、誰でも可能ではある。ただし、とても険しい道だ。
 
 エリザベス・ハイチは、エジプトの過去世で、この修行を突破して、イニシエーションを受ける処まで進んでいる。仏教的には阿羅漢を越えて、菩薩の境地に入ろうとしたのかも知れない。だが彼女はここで転落してしまった。これもよくある話なのだろう。教訓だ。

 シャーリー・マクレーンには負ける気はないが、エリザベス・ハイチには勝てない。霊的覚醒のレベルが違い過ぎる。彼女でも仏陀には遠く及ばないのだから、霊的世界は凄すぎる。そして宇宙には、仏陀やキリストが沢山いるらしい。世界は把握がつかない程、大きい。

 最後に、本文テキストから、幾つか文章を紹介しよう。

 I love my husband just as much as ever, but no longer as a woman loving a man, but as one human being loving another! It was no temptation, no struggle, and no ‘victory’ over my desires, for I simply had no desire for a man. Ever since the night when I had clearly recognized the deceit of physical love, I had no longer felt myself to be a woman. In that night I became a human being, a self, and the self has no desire for sex! The ‘self ’is without sex! The self is not a half of something seeking its complementary half; the self is a complete whole!
                ELISABETH HAICH『INITIATION』-p124

 夫をずっと変わることなく愛しているけれど、もはやそれは女として男を愛するのとはちがう。ひとりの人間として、もうひとりの人間を愛している。そこには誘惑も葛藤もなければ、自分の欲望を「克服」する必要もない。男性を求める気持ちが起きないのだ。性の欺瞞に気づいたあの夜から、もはや自分が女だという感覚はなくなっていた。あの夜、私は人間としての存在に、すなわち「自己」になった。そこには性別がなく、男も女もない。性の欲望もない。「自己」は完璧になるためにもう半分を求める必要はなく、それ自身で完璧な全体なのだ。
 『イニシエーション』エリザベス・ハイチ著 紫上はとる訳 -p238~239

 少なくとも、エリザベス・ハイチは、「女の悟り」とか「女人成仏」を強調していない。悟りに男女の違いはない。仮に女の悟りがあるとしても、それは通過して行く過程の一つであり、ある種の方便ではないだろうか?上記、エリザベス・ハイチの発言は正しいと思う。

 In order to set in motion a certain process in various materials, in this case gold, a person needs the radiation of his own vital energy. However, if he expends this energy through his sexual organs, he automatically puts into a latent state the very nerve centres he needs to radiate vital energy in its original, basic form. These nerves open and close automatically. A person can either channel this energy into his sexual organs or into other, highter nerve centres, but he cannot simultaneously channel it into both!
              ELISABETH HAICH『INITIATION』-p128~129

 物質――この場合は金ですが――のある特定のプロセスを起動させるためには、人間の生命エネルギーの放射が必要となるのです。ところが、生命エネルギーを生殖器官で消費してしまうと、もともと生命エネルギーを放射するはずの神経中枢が自動的に閉じて休眠することになります。それらの神経は、自動的に開いたり閉じたりするのです。人間は生命エネルギーを自分の生殖器官か、あるいはより高次の神経中枢か、そのどちらに向かわせることができますが、同時に両方に流すことはできないのです。
   『イニシエーション』エリザベス・ハイチ著 紫上はとる訳 -p247

 これは何の話をしているかと言うと、法力の話をしている。Star Wars的にはForceの話になる。この生命エネルギーとは、具体的には性欲で、これを抑制して矯めると、法力やForceに転化する。だから昔のお坊さんは禁欲して、いざという時にパワーを矯めていた。

 瀉血と言って、わざわざ右ひじを切って、血を抜いて、元気をなくして、性欲を抑制する方法まで編み出している。昔の人は、禁欲すると、この世を越える力が得られる事を知っていた。エリザベス・ハイチも、それを知っていて、細かく述べている。
 
 だから僧は、妻帯すべきではないというのは、洋の東西で、一定の理由がある。逆にお坊さんに女をぶつけて、骨抜きにする手もある。日本昔話で、天狗だか仙人だかが、川で洗濯する村娘の生足を見て欲情し、筋斗雲的な雲から転落して、神通力を失ったという笑い話があるが、それは事実だろう。そういう事は本当にある。
 
 These people are so identified with their body that they live in the illusion they are only body. When their body needs food, they believe they want to eat, they are hungry, and instead of taking in food under the watchful supervision of the sprit, they act as if they themselves were eating, rather than merely being observers and governors of their body. They eat just as greedily as animals. I watch them during ‘feeding time’ and often feel like turning my head away so as not to see their beastly behaviour. I too let my body eat with good appetite; I too supply my stomach and digestive organs with pure forces, getting all the taste of the food I eat so that my body can absorb all the precious forces in the food – but now could I identify myself with this? My self can’t be hungry, since the self is not matter but the master of matter.
                ELISABETH HAICH『INITIATION』-p192

 そういう人たちは体そのものになりきっていて、自分とは肉体だけだという幻想を生きている。だから自分の体が食欲を感じると、それを霊的な視野から注意深く見守ろうとするのではなく、「自分が空腹だからものを食べたい」と考える。自分は体の観察者、管理者であることを忘れてしまい、まるで自分自身が食べているかのようにふるまう。それも野獣のようにガツガツとむさぼり食らうのだ。「給餌時間」の彼らを見ていると、そのあさましい食べ方に思わず顔をそむけたくなるほどだ。私も自分の体に食べさせて、胃と消化器官に純粋な力を与え、あらゆる食べ物を味わってそれぞれから独自の力をたっぷり補給する。だが、それを自分自身と見なすことはない。「自己」は空腹にはならない。「自己」は体でも物質でもなく、その主なのだから。
   『イニシエーション』エリザベス・ハイチ著 紫上はとる訳 -p371

 「自分とは肉体だけという幻想」について触れるなら、この認識を捨てないと、自分の肉体を第三者的に観察する、幽体離脱はできないだろう。認識というのは本当に腑に落ちていないと、発動しない。知は力なりというが、それはその認識が完全に腑に落ちていないと、力となり得ない。
 
 勿論、完全でないにしても、その理解度に応じた力はある。ただ本来は認識だけなので、肉体を失った時、それが如実に出る。「神も仏もあるもんか!世界は物と事しかない!天国も地獄もない!」という認識で死ねば、全くその通りの認識で、死後も地上に存在し続ける。
 
 さまよえる地上の人影、いわゆる、不成仏霊だが、本当に認識通りの世界が展開する。自己とは認識で、それがそのまま世界となる。本人が望んだ通りの世界だが、間違った認識なので、世界とコンフリクトする。本人はどうなっているんだ?誰か教えろという感じになる。
 
 霊的な視点を持つ事は大切だ。理性で考えて、一日の自分を、第三者的な視点で見れるだけでも違うだろう。幽体離脱への最初のステップとなる。この見方ができなくて、欲を断ち、肉体から、魂が遊離する事はない。あとは事故か、霊体質とか、特殊なケースとなる。

 They‘re so blind they see only the external thoughts, their feelings, see their whole soul, their inner being. They lie to my very face for the simple reason that, not being able to read my thoughts, they believe that I can’t see their either, and that I don’t know their thoughts are very different from what they say. They don’t realize that a lie creates a kind of insulation around them and develops a dark shadow, like smoke, in their radiation, and this dark blotch is not only ugly, but even smells bad.
                ELISABETH HAICH『INITIATION』-p193

 彼らは心の目が閉じているから人間の外見しか目に入らない。そのため、彼らの考えや気持ちが私に読めるとか、彼らの魂や内なる存在が私から見えているとは思ってもみないのだ。彼らが平気で嘘をつけるのは、彼ら自身は人の心が読めないので、私もそうだろうと単純に信じ込んでいるからだ。そのため彼らは内心とはまるで反対のことを口にしても、私に分かるはずがないと思っている。しかし嘘をつくと、その人の周りに絶縁体のようなものができ、煙のような暗い影が放射されるのだ。この黒い霧は醜悪なだけでなく、悪臭まで放っている。
   『イニシエーション』エリザベス・ハイチ著 紫上はとる訳 -p373

 嘘を吐くと、霊能者にどう見えるのか、具体的に解説している。この描写は合っているだろう。人は霊的になればなるほど、嘘に敏感になる。だからたとえ心の目に見えないとしても、嫌な波動を感じる。だから分かる事がある。嘘の本当の姿は、こういうものなのだ。

 「神も仏もあるもんか!天国もない。地獄もない。善悪もない。世界には物と事しかない。全て自由だ!」という考えを持っているならば、積極的に嘘を吐く人間になるだろう。なぜならば、その方が、徹底的に自分に都合がよいからだ。分からない筈、証拠がないで押し通す。

 一部の経営者や政治家に、こういう考えで、のし上がっていく人がいる。言いたい放題、やりたい放題やる。そして最期の時を迎えても、ずっと自分に都合のよい事ばかり言ってきたのだから、何も認識は変わらない。死んでそのまま彷徨える地上の人影となる。
 
 だからお迎えの人が来ても、人の話を聞かない。生きていた時、人の言う事を聞かないで、嘘ばかり吐いて、自分が有利になるようにしてきたのだから、当然だ。認識が変わらない。特に死後、認識を変える事は非常に時間がかかる。生前のうちに認識を変えないといけない。
 
 だが嘘を吐く事にメリットを感じている人は、一定数必ずいる。どうにもならない。

 A vision from the time when the energies of the Water Bearer are working with full power shows me that the great teacher of this epoch abolishes all the boundaries between the three dominant religions. With his own person he proves that the inner core of all religions is one and the same truth, one and the same God. The boundary between religion and science disappears too, as people discover that everything, even matter, is a wave movement. They learn that the only differences between manifestations of the spirit and those of matter are differences of frequency, while in its essence everything is only the manifestation of the one, single, prime source of the Water Bearer constellation shows: a supernal being pouring waves out of his pitcher.
                ELISABETH HAICH『INITIATION』-p265

 時代が進み、みずがめ座のエネルギー放射が最大になる時期には、この時代の偉大な指導者が三つの大きな宗教の壁を取り払う。その人物は、すべての宗教の核は同じ一つの真理、同じ一つの神であることを証明する。そして科学と宗教のあいだの壁が消える。人々は、あらゆる物質を含むすべてのものは波動の動きであることを発見する。霊の現れと物の現れの違いは、単に周波数の差だけであり、その本質はみな同じように、すべての力の唯一の根源――すなわち神――の顕現であることが明らかになる。すべては波であり、波動であり、まさしくみずがめ座が象徴するとおり、至高の存在が水さしから尽きることのない水を注いでいるのだ。
 『イニシエーション』エリザベス・ハイチ著 紫上はとる訳 -p498~499

 最も重要な箇所かもしれない。ここで言うthe three dominant religionsとは、仏教、キリスト教、イスラム教の事だろう。そしてある人物が三者を統合し、The boundary between religion and science disappears too(宗教と科学の間の境界線も消える)。
 
 この人物は、最後の神だろう。地球のグランド・マスターだ。宇宙に親類が沢山いると言われる仏陀やキリストたちの長でもある。そしてこの最後の神が隠れている限り、人類に厳しい試練が待ち受けているだろう。なおマルチン・ハイデッガーも、似たような予言を残している。
 
 ハイデッガーは、ドイツの哲学者で、霊能者ではないが、独自の思考で、エリザベス・ハイチと近い結論を得ている。第二の主著『哲学への寄与論稿』にて、第二の始まりで、最後の神が到来すると述べている。だがその前に大いなる深淵が待ち構えており、人類はその深淵を覗くのだと言う。
 
                           原書購読:005


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