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スキーピオーの夢

 同時代に天才が二人出る事がある。しかもその実力は伯仲しており、甲乙付け難い。ハンニバルとスキピオはその例だ。もし歴史が勝者にのみ、微笑むのならば、敗者は歴史の波間で、泡沫のように消えて行くのだろうか?いや、そうではない。敗者とて転生輪廻する。
 次の機会があるのだ。同じ思考、同じ運命でも、歴史は繰り返さない。螺旋状に上昇する。
 
 紀元前236年、プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨルはローマで生まれた。名門貴族コルネリウスのスキピオ家出身だ。ローマ人の名は、名前・氏族・家名で構成される。アフリカヌス・マイヨルは称号だ。スキピオ・アフリカヌスは通称だ。
 スキピオは子供の頃から、ユピテル神殿に行き、よくビジョンを見ていた。神々の夢だ。吉凶の前兆もよく感知した。ネプトゥーヌスの霊示が多かった。海神だが、ローマでは馬の神コーンススと同一視された。霊能者とまではいかなくても、霊感があった。低能力者だろう。
 スキピオが17歳の時、第二次ポエニ戦争が起きた。別名ハンニバル戦争とも言う。ティキヌス、トレビア、カンナエと戦場を渡り歩き、ハンニバルの包囲殲滅戦を目撃した。
 この若者は、ハンニバルは霊能者ではないかと考えていた。自分と同じ感覚か、それ以上の能力を持っている可能性があると考えた。遠見の能力がないと、説明が付かない事象が多かった。ローマ側の情報を正確に知り過ぎている。タイミングが完璧過ぎる。不自然だった。
 ハンニバルは戦上手で、戦略的な頭脳を持ち、霊能者かも知れない。恐るべき相手だった。ローマ始まって以来の大敵だった。ローマ人も恐れをなして、デルフォイの神託を伺った。
 だがハンニバルが信じる神はバアルで、邪神である。大神ユピテルの敵ではない。
 スキピオは、ローマの正義を疑わなかった。明るい眼差しを持ち、人々を惹き付けた。
 
 紀元前216年、ハンニバルは、カンナエの勝利後、ギリシャ語教師シレノスに語った。
 「ピュロスの勝利は、避けなければならない」
 ギリシャのエペイロス王ピュロスは、戦術の天才だった。紀元前280年の戦役だ。
 彼はマグナ・グラエキアでローマ軍を破った。だが撤退せざるを得なかった。補給・援軍がなければ継戦できない。全ての戦闘に勝ったのに、戦争に負けたのである。これをピュロスの勝利と言う。Pyrrhic victoryと英語の慣用句にもなっている。費用対効果が合わない事を指す。
 ハンニバルの末弟マゴは、カルタゴに行き、カンナエの戦勝報告を行った。援軍目的である。元老院で、ローマ人の金の指輪を、山の如く積み上げると、どよめきが起きた。この時代、ローマは印鑑社会で、指輪に名前が掘られ、押す事で印鑑の役割をしていた。個人の証明書だ。
 「それで、ローマ連合の中で、どこの同盟都市が離反したのか?」
 農業重視のハンノン派の重鎮が尋ねた。マゴは静かに、首を横に振った。
 「ローマから講和の申し入れはあったのか?」
 マゴはまたしても、静かに首を横に振った。
 「では現時点でローマと講和する事を提案する」
 カルタゴの元老院は、ハンニバルに援軍を送らず、ローマに講和を伝えたが、断られた。ローマは徹底抗戦で固まっていた。だが南イタリアのカプアが離反した。裏切った最初の同盟都市だ。城門を開いたカプアで、ハンニバルは冬営した。そして捕虜のローマ人と面会した。
 「私はローマを滅ぼすために戦っているのではない。講和条件について話し合いたい」
 捕虜のローマ市民は身代金で解放し、同盟国市民は無償で解放した。だがローマは講和に応じなかった。しかし紀元前215年、マケドニアのフィリッポス5世が、ハンニバルに同盟を申し込んで来た。これは待望の知らせだった。これで天下三分の計がなる。戦略の完成だ。
 フェニキア人、マケドニア人で連合し、強大なローマ人を牽制する。通商の再開だ。
 だがローマも外交戦を展開した。紀元前214年、ローマはプトレマイオス朝エジプトと同盟した。さらにセレウコス朝シリアとも同盟した。マケドニアは包囲されて、動けなくなった。
 紀元前213年、シチリア島で、ローマがシラクサ攻略戦に入った。だがアルキメデスの新兵器に阻まれて、シラクサは粘った。だが紀元前212年、女神アルテミスの祝日に、葡萄酒を浴びる程呑んだギリシャ人たちは、ローマ兵の侵入を許してしまう。夜半、シラクサは落ちた。
 棒を使って、庭で計算中だったアルキメデスは、ローマ兵に見つかって、殺されたと言う。
 紀元前212年、カプアがローマ軍に包囲された。紀元前211年、ハンニバルは、ローマに進軍した。カプアからローマ軍を剥がすのが目的だった。だがカプアは落ちた。ハンニバルは、永遠の都ローマを前にして、引き返すしかなかった。幻の王手であり、ローマの壁は高かった。
 
 紀元前212年、24歳でスキピオはaedilis(アエディリス=造営官)になった。平民2名、貴族2名の4名で構成される。本当は27歳からだが、大目に見られた。人気があったからだ。官名の通り、下水道工事など都市の管理や、食料の管理、戦車競技場の運営などを任された。
 紀元前211年、スペイン戦線で、執政官である父と叔父が戦死した。スキピオは元老院に行き、父親の敵討ちを訴えた。そのため軍の指揮権、インペリウムを要求した。大胆だった。元老院は若者の熱意に動かされて、proconsul(プロコンスル=執政官代理)を与えた。
 スキピオはヒスパニアに行くと、まずバルカ一族の根拠地カルタゴ・ノウァを急襲し、奪った。そしてここの工房でグラディウスという小回りの利く小剣、ショートソードを作らせた。
 紀元前208年、バエクラの戦いが起きた。スキピオのデビュー戦だ。囮を使った三方向からの包囲攻撃で勝利した。ハシュドゥルバル・バルカは逃げて、イタリアに向かったが、紀元前207年、メタウルスの戦いで戦死した。その首は、ハンニバルの陣営に投げ込まれたと言う。
 紀元前206年、イリッパの戦いが起きた。だが象が暴れて、カルタゴが負けた。戦後、ヌミディアの王子マシニッサとの同盟を探った。スキピオは強力な騎兵を欲していた。
 「……ハンニバルとは一体何者だ?誰に似ている?」
 マシニッサは尋ねた。亡国の王子だ。回答次第では、カルタゴからローマに鞍替えする。
 「アレクサンドロスがアキレウスなら、ハンニバルはオデュッセイアだ」
 スキピオはホメーロスの話をした。無論、深夜アニメ風だ。ヌミディアの王子は満足した。
 紀元前206年、スキピオはローマに帰還し、執政官に立候補した。まだ30歳だ。年齢が足りない。だがカルタゴ攻略を説く若者を止める事は難しかった。特例で執政官になった。
 紀元前204年、スキピオは北アフリカに上陸した。カンナエの残兵も率いている。ローマは復讐に燃えていた。まずローマ軍は、ヌミディア王国を急襲し、国王シュファクスを捕らえて、マシニッサを国王に即位させた。こうしてスキピオは、待望のヌミディア騎兵を得た。
 紀元前203年、ウティカ包囲戦が起きた。カルタゴ・ヌミディア連合軍は、野営地炎上で、ローマに敗れた。無論、スキピオの策である。結果、カルタゴはハンニバルをイタリアから呼び戻すしかなくなり、攻守が入れ替わり、第二次ポエニ戦争の転換点となった。
 紀元前203年、ハンニバルもアフリカに上陸した。だが頼りとしたヌミディア騎兵は少ない。代わりにガリア騎兵で埋めたが、不安がある。ハンニバルの古参兵は、黙ってついて来た。
 
 紀元前202年10月19日、ザマの戦いが起きた。だがその前に、スキピオとハンニバルは、一対一で会見をしている。講和条件について話し合った。だがそんな事など、どうでもいい。
 その男はもの静かだった。だが静かなる狂気を感じる。
 邪神の陰影さえ感じた。
 「我が右目は見えるものを映し、我が左目は見えざるものを映す」
 ハンニバルは隻眼だった。スキピオは会見中にもかかわらず、一瞬寝落ちした。だがその刹那に、ビジョンを見た。ハンニバルの来世、来々世だ。どの生でも、必ず敗者の側に立っていた。この魂のテーマは異様だった。スキピオには見知らぬ時代の、見知らぬ国の出来事だ。
 「……あなたは一体何者だ?いつも最終的には勝てないのに、なぜ戦う?」
 スキピオは恐怖して、思わず立ち上がった。
 だがハンニバルは静かに答えた。
 「神がそう命じるからだ。それ以外にない。世界は劇場だ。人は役者だ」
 会見は終わった。スキピオ34歳、ハンニバル45歳。次に二人は戦場で会う定めだ。戦力はこうだ。ローマ軍、歩兵34,000、騎兵6,000。ハンニバル軍、歩兵46,000、騎兵4,000。ローマ軍=歩兵6:騎兵1ハンニバル軍=歩兵11:騎兵1。カンナエと比率が逆転した。

Proelium Zana I
ザマの戦い 1


 ヌミディア騎兵は双方いた。だがハンニバルは1,000だ。ローマは4,000いる。ハンニバルも手をこまねいていた訳ではない。戦象80を得ていた。だがスキピオも対策を打っていた。
 ローマの陣形は奇妙だった。重装歩兵団の横並びだったが、細長い縦の隙間が幾つもあり、軽装歩兵の小隊が、この通路の蓋をしていた。最初、意味が分からなかったが、戦いが始まると象対策だと分かった。第一列の戦象は、この通路を真っ直ぐ突進し、戦場から外れた。


Proelium Zana II
ザマの戦い 2


 ハンニバルは第二列の傭兵団12,000と第三列のカルタゴ市民兵とマケドニア兵19,000を投入した。合計31,000の軽装歩兵団だ。だがローマ側は重装歩兵団22,000とヌミディア軽装歩兵6,000だ。新兵器グラディウスもあり、ローマは善戦した。ハンニバル軍は僅かに前進した。


Proelium Zana III
ザマの戦い 3


 両翼では騎兵戦が起きていたが、ハンニバルは、戦場を逃げ回るように指示している。騎兵戦では勝てないからだ。主力の歩兵戦で押し切るしかない。だがいつかはつかまり戦いとなる。ローマが騎兵戦で勝つ頃、ハンニバルも古参兵15,000を戦場に投入した。


Proelium Zana IV
ザマの戦い 4


 その時、なぜか空隙が生じて、ハンニバル軍古参兵は前方に躍り出た。ローマ軍第一列ハスターリが中央、第二列プリンチペスが左右に分かれ、第三列トリアーリが側面に就いた。ローマ騎兵の両翼が戦場に帰って来て、ハンニバル軍を後方から包囲した。


Proelium Zana V
ザマの戦い 5


 包囲殲滅戦だった。今度はハンニバルが、スキピオの包囲殲滅戦で敗れた。カンナエの残兵が、ハンニバルの古参兵を虐殺した。復讐だ。ハンニバルは全てを失った。
 
 ザマの戦いの後、ローマとカルタゴで、講和が成立した。カルタゴは敗戦した。ハンニバルは追放され、シリアに逃れた。ローマではスキピオは凱旋将軍として、花を蒔かれた。だが人々は勝利よりも、平和が戻って来た事を喜んだ。ローマは疲弊していた。18年間も戦った。
 ザマの戦いから9年後、スキピオとハンニバルは再び会った。現在はトルコだが、当時はギリシャだったエフェソスだ。ローマとシリアが対立した時、双方の軍代表として会った。
 ハンニバル54歳、スキピオも43歳だった。
 二人は戦術論を戦わせた。だがどこかおかしい。
 「一位はアレクサンドロス、二位はピュロス、三位はザマで負けなければ、この私」
 スキピオは、饒舌に喋るハンニバルを見て思った。神通力が消えている。もうあのハンニバルではない。それはこの後、ローマとシリアの海戦でも証明された。ハンニバルは破れた。
 ローマはシリアに、ハンニバルの引き渡しを要求した。ハンニバルは逃れ、クレタ島を経て、黒海沿岸のビテュニア王国へ落ち延びた。だがそこにもローマの手が迫り、ハンニバルは果てた。毒薬で自害した。紀元前182年、65歳だった。最期の言葉は伝わっていない。
 紀元前185年、ローマでスキピオ弾劾が始まった。
 収賄の疑いだ。だが彼は跳ね退けた。
 「今日はザマの戦勝記念日だ。ひとまず争いは忘れ、神々に感謝する事によって、皆の心を一つにしよう。私はこれからカピトリーノの丘に向かう。諸君も良かったら、同行しないか?」
 人々は輝かしかった頃の若きスキピオを好んだ。この英雄は神々と交信し、未来の夢さえ見る事ができると噂した。スキピオはこの噂を聞くと、決まってユピテル神殿に行き、喜捨した。
 紀元前183年、スキピオは死んだ。
 だが最期に不思議な夢を見た。孫の小スキピオに語る。
 「Vestra vero quae dicitur vita mors est.」Cicero Somniom Scipionis.14
    (ウェストラ ウェロ クアエ ディキトゥール ウィタ モールス エスト)
 (だがお前たちの生と呼ばれるものは死である
 これがスキーピオーの夢だ。
 人は舞台の上で死に、舞台裏で蘇る。次の演目を待ちながら。

Ruinae Feles 
遺跡の猫


 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺064

原書購読:Somnium Scipionis『スキーピオーの夢』ラテン語

ギリシャ・ローマ編 政治家編 5/5

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