![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150670040/rectangle_large_type_2_201311fc37905980e7fb5768904f0d4f.jpeg?width=1200)
随想:読書生活の始まりについて
読書の始まりは、いつからだろうか?(4,774字)
読書とは、文字を覚えて、
本を読み始める事だが、
いつから読み始めたと決めるのは、
中々難しい。
現在の日本の環境であれば、
ひらがな、カタカナ、漢字、
そしてalphabetを覚える。
家庭、学校等で、
これらの文字を習うが、
この環境は、かなり恵まれている。
![](https://assets.st-note.com/img/1723563550581-7IvGi1M056.jpg?width=1200)
日本人は幼少期に、
二系統の文字を同時学習している。
すなわち、東洋の漢字であり、
西洋のアルファベットである。
これは将来、英語と北京語という
二大外国語の学習を準備する。
誰が考えたのか知らないが、
日本の教育はそうなっている。
欧米では、一系統、アルファベットだけだ。
東洋の漢字も、中東のアラビア文字も教えない。
![](https://assets.st-note.com/img/1723563691379-imvqRKxemH.jpg?width=1200)
アラビア文字
少なくとも国を上げて、子供に教えたりしない。
特別な環境にいる子供だけだろう。
そういう意味では、
日本はまだ寺子屋教育的な凄さはある。
母親たちは子供にアルファベットを教えたがる。
よく考えると、この精神性は凄い。
なぜか?
日本は島国であるから、
海外との付き合いは必須である。
無論、全ての日本人がそうなる訳ではないが、
そうなる可能性は、子供のうちに作っている。
この教育が本格化したのは戦後だろう。
今、貧困家庭が問題となり、
識字率を下げ始めていると言うが、
まだ微々たるものだろう。
依然として高い筈だ。
言語学習的には、日本は、
非常に恵まれた環境にあると思う。
よく教育関係者からは、
否定的な意見を聞くが、
当方はそう思っていない。
全国民に、幼少期から、
漢字とアルファベットを教えるとか、
凄すぎと思っている。
二系統同時で、
大言語という点がミソだ。
これは国家の大戦略だろう。
ついでに、アラビア文字とか教えてくれたら、
なおいいが、流石にそれは無理か。
![](https://assets.st-note.com/img/1723563894966-DoR14BFxnr.jpg?width=1200)
日本人で、実際に外国語を使うのは、
1割くらいだと思うが、恐らく、
この1割が、海外の相手をしている。
残り9割くらいは、職業的にも、
生活空間的にも、日本語環境に留まる。
多分、日本人の魂も、
1割外国由来で、9割日本育ちだと思う。
外国語と転生輪廻は連動している。
当方も、職業的にも、
生活空間的にも、日本語環境だ。
ただ読書も動画も、
一日数時間程度、外国語環境だ。
当方の外国語能力が拡大し始めたのは、
You Tubeを視聴し始めてからである。
無論、それ以前からも古典語はやっていたが、
2005年以降は、学習する外国語の数が増えた。
学びたい外国語の動画を検索して、
視聴するだけで効果がある。
よいサンプルになる。
だから20世紀と21世紀では、
当方の能力・戦力もかなり異なる。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564005603-f7YGNvCVUZ.jpg?width=1200)
インターネットのお陰と言うべきか。
テキストも音声も動画も入手できる。
使わない手はないと思った。
だが最初から、外国語ができた訳ではない。
英語も、フランス語も、ドイツ語も、
よく分からなかった。
全く分からない訳でもないが、
何か納得できない感じだった。
だが大学で古典ギリシャ語をやった時、
急に見えて来た。全部、繋がった。
ヨーロッパの言葉は、これだよ!
このルールなら、納得できると思った。
近代語の文法は、
語順が全てで、省略も多い。
だが古典ギリシャ語は、
文法が全部揃っており、
語順は自由だ。
古典語は、
ルールが滅茶苦茶細かいが、
省略が少ない。
つまり、
古い言葉の原型を見て、
新しい言葉が分かった。
そこから逆襲が始まって、
英語とフランス語を再征服した。
英語→フランス語→古典ギリシャ語
→英語→フランス語だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564121174-OZQ6UqrXZ8.png?width=1200)
こういう経路を辿る人は、
他にもいるのか、分からない。
ここまでが20世紀の話で、
21世紀以降は、You Tube等だ。
北京語とラテン語の学習が始まり、
ロマンス語系の諸言語が続く。
だが母国語である日本語で、
いつから本が読めるようになったのか?
読書の始まりはいつからになるのか?
思い出してみよう。
子供の読書と言えば、まず絵本かもしれないが、
そもそも、家に絵本が殆どなかった気がする。
絵本を読んだという記憶が殆どないのだ。
小学校から、図書室で絵本を見た記憶がある。
だが家ではない。覚えているのは家の漫画だ。
驚いた事に、漫画のふきだしの漢字に、
手書きでふりがなが入っていた。
母親?の配慮だろうか?
だから絵本ではなくて、読書は、
漫画から始まったのかもしれない。
漫画日本の歴史とか、そういうのだ。
聖武天皇、行基菩薩、光明皇后、
この三人が、強烈な印象を残している。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564542890-hfPiYmLDTW.jpg?width=1200)
なぜ聖武天皇は大仏を作ったのか?
天然痘で日本人は絶滅しかけていた?
僅か数ページだったが、何度も何度も読んだ。
ちなみに聖武天皇が、なぜ大仏を作ったのか、
明確に答えた学者はいない。
ここに隠された神秘のベールがある。
子供の頃から、
大仏という存在が妙に気になった。
夢にも出て来たし、
神秘体験の始まりでもあった。
あとは母親が聖書から、代表的な話を、
ピックアップして、聞かされた。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564599782-R0mUNP58bJ.png?width=1200)
モーゼが海を割るシーンがある出エジプト、
イエスが湖の上を歩くマタイ伝とかだ。
別にクリスチャンでもない。
どこかピューリタン風ではあったが、
どちらかと言うと、神道系?だ。
しかも『ホツマツタヱ』とか、
珍しいものを信じていた。
母が語る天孫降臨は宇宙神話だった。
『古事記』にも『日本書記』にも
出て来ない神様の名前を聞いていた。
あと霊感があった。巫女体質だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564454009-L1wxB8vsmV.jpg)
小学校に上がると、図書室があった。
一年生の時、江戸川乱歩の『怪人二十面相』を、
手に取った。ページを開いたが、読めなかった。
二年生の時、再び『怪人二十面相』を開いた。
難し過ぎて、頭が割れそうだった。断念した。
この時、味わった苦痛は終生忘れられない。
何とか、大人たちが読む本を読みたかった。
だが頭がついてこない。無理だった。
だが三年生の時、悪戦苦闘して、
江戸川乱歩の『怪人二十面相』を、
読み切った。多分、これが最初の読書だ。
四年生の時、翻訳本にも手を出した。
モーリス・ルブランの『ルパン』を読んだ。
『奇巌城』だったか。
邦訳では、ルパン対ホームズだった。
(原本では探偵エルロック)
江戸川乱歩のルパン対明智小五郎も読んだ。
小林少年の活躍に、胸が躍った記憶がある。
この頃になると、10冊程度は読めていたので、
来年図書館で、もっと本を読もうと思った。
五年生の夏休み、毎日図書館に行き本を読んだ。
50冊程度読んだ。第二次世界大戦の本ばかりだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564672662-HeVgHAvP6L.jpg?width=1200)
ウィンストン・チャーチル
『第二次世界大戦回顧録』、
堀越二郎
『零戦――その誕生と栄光の記録』、
幸福だった。
もう日本語であれば、哲学書以外は読めた。
なぜ第二次世界大戦を選んだかと言うと、
漫画日本の歴史が、幕末で止まっていたからだ。
当時の世相で、明治以降の歴史はダブーだった。
少なくとも、子供には明かされていなかった。
六年生も引き続き、第二次世界大戦を追い掛け、
全体で100冊程度、読んでいたと思う。
アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』も
隠れて読んだ。
12歳で、そんな本を読む子もいるのである。
おかけで、戦史に詳しくなった。
独ソ戦から太平洋戦争まで分かっていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564723342-NMzWMxRfjy.jpg?width=1200)
次の目標は、哲学書だった。
プラトンとアリストテレスだ。
なぜか古典ギリシャ語は最初から意識していた。
だからカタカナで単語をかなり覚えた。
哲学書は、一般に難解だと言われる。
13歳で挑戦して挫折し、14歳で少し読めた。
プラトンが完全に読めたのが15歳、
『ソクラテスの弁明』『パイドン』などだ。
16歳の時、プラトンでは『国家』に出て来る
エルの神話と洞窟の比喩を読んで衝撃を受けた。
なおソクラテスは、
同人誌が書けるくらい
キャラを掴んだ。
だから『クサンティッペ、ソクラテスの思い出』
というショートショートも書いた。
実は当方、ソクラテスVS親鸞なんて、
夢のような対戦カードも組める。
何かテーマを決めて、
この二人を議論させたら、
きっと面白い。多分、再現できる。
ちょっと脱線した。
アリストテレスは17歳の夏だった。
『形而上学』『ニコマコス倫理学』だ。
アリストテレスの存在論の中心概念、
οὐσία、ウーシア、実体は、後に、
修士論文の研究テーマとなった。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564866657-a7a9x4MNrc.jpg?width=1200)
他、カール・マルクスの『共産党宣言』とか、
レーニンの『帝国主義論』とか読んだ。
変な高校生だ。昔がたきなのか?
大学紛争など、とうの昔に終わっている。
この流れで行けば、
マルクス主義に行く筈だが、
あいにく、左翼には行かなかった。
左翼で無神論など、
最初からないと思っていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1723564957458-0yq1zFk9n9.jpg)
ルソーの『人間不平等起源論』
『社会契約論』も読んだ。
人類社会の自然状態とは何か?お題だった。
特にジャン・ジャック・ルソーを読んで、
左翼にならない人はいないと言われるが、
当方は左翼の魔法にかからなかった。
だがルソーには、ただならぬ親近感を覚えた。
能力分布図が近似しているとさえ感じた。
この頃から、近代日本文学も読み始めた。
川端康成の『みづうみ』に衝撃を受けた。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565081789-K4QUrsAbyN.jpg)
あと高校生の時、記憶に残っているのが、
NHKの『アインシュタイン・ロマン』だ。
今でも、微分積分やれば良かったと思っている。
大人になってから、
クルト・ゲーデルにはまった時、
アインシュタインには、再会する。
後年、社会人になってから、
ITの資格でCCNAとか取得した時、
再び、理系の道が開きかけていた。
今でも時々、理数系・工学系の入門書を読む。
エンジニアでは、
電話のアレクサンダー・グラハム・ベルと、
月ロケットの
ヴェルナー・フォン・ブラウンが好きだった。
彼らの小説は書きたいと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565670388-xboAZjYnNE.jpg?width=1200)
特にベルは、
三世紀のローマに飛ばして、
電話を作らせたい。
糸電話から始まるローマ世界転生だ。
産業革命前夜のローマならイケる。
これが高校生までの話だ。
大学では、
ヘーゲル全集とか読破した。
ドイツ観念論を経て、
ハイデガーの森を逍遥した。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565736412-VeEzgyqj0n.jpg?width=1200)
あと働きながら、大学に行った。
家の事情だ。苦学した。
学費は四年間で完済した。
単位は意地でも落とさなかった。
卒業した後、完全にバーンアウトして、
働かず、二か月ヨーロッパを独りで回った。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565438133-5hGlttRdNK.jpg?width=1200)
ドイツとフランスだ。
マルクとフランの時代だ。
ユーゴ内戦で難民が溢れていた時期だ。
20世紀の最後の数年間だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723566035851-AgjJDNsN1S.jpg?width=1200)
最後にちょっとだけ、
秘密の話をしよう。
こんな秘密、明かされても、
困惑するだけかも知れない。
だがもう少しだけ、
おつきあい願いたい。
ナポレオン・ヒルの瞑想ではないが、
当方が何か書く時、祈る対象が七人いる。
アリストテレス、ルソー、シェイクスピア、
川端康成、芥川龍之介、夏目漱石、宮沢賢治だ。
奇妙な組み合わせが、
この七人から力を借りている。
瞑想する時、いつもこの七人が
円卓に座っている。
座長はアリストテレスだ。
副座長はルソーだ。
ルソーは最後まで結論を言わない。
司会進行役に徹している。
他の人に全部発言させた後に、
いつも言う。
ナポレオン・ヒルの瞑想は、
経営者のためのものだが、
当方は小説、記事を書くために転用している。
あと小説や記事を書く時、
個別に名指しする時もある。
哲学・思想関連の記事はアリストテレス、
芸術・外国文学はシェイクスピア、
政治・歴史・音楽関連の記事はルソーだ。
『国際情勢:パリ五輪2024』は、
ルソーに、お願いしてから書いた。
政治・社会思想だからだ。
どの辺がルソー?と言うなら、
エマニュエル・トッドのくだりか。
ガリレオ裁判云々とかそうだ。
『仏の顔も三度まで、釈迦族殲滅戦』は、
芥川龍之介にお願いして書いた。
『星辰の孔子』は、宮沢賢治だ。
『私は白い猫だよ』は、夏目漱石だ。
未発表だが、『私の守護霊はお姫様
~My guardian spirit is a blue princess~』
は、500ページくらい書いてある。
川端康成にお願いして書いた。
こんな事をして、一体何になるんだ?
と思われるかもしれないが、
彼らは今も存在するので、
当方からの呼びかけに、
全く応えない訳でもないと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565200497-Sk7pSxbnFS.jpg?width=1200)
特に宮沢賢治は、
『銀河鉄道の夜』しか読んでいないが、
かなり応えてくれている気がする。
読書生活の始まりは、我が闘争の始まりだった。
9歳の時、江戸川乱歩の『怪人二十面相』
から始まった旅は、まだ終わっていない。
![](https://assets.st-note.com/img/1723565311496-ShvmrpPRXq.jpg?width=1200)
了
プロフィールに代えて 2/1 1986年8月15日、祖父の思い出
ポータル 大和の心、沖縄特攻