口語訳で読む原始仏典ブッダ「スッタニパータ」は和歌のような美しい人生訓の集成
イントロ(飛ばしても構いません)
わたし、信仰心ってありません。
「般若心経」を幼少のころから聞かされ、青年期~大学~現在とお経や仏教を調べていく内に、現行の宗教に尊厳をまったく持てなくなりました。
その原因の1つはお経です。
だって、お経ってどうして漢語のまま吟じるのでしょう。
そんなのって意味が伝わらないじゃないですか。
高校教諭が「$${F=ma}$$です。」「あーそれ$${p=mv}$$です。」の一辺倒だと怒りますよね。意味を言葉で説明してください、となりますよね。
インド哲学者、仏教学者、比較思想学者である伝説的存在、中村元 先生のお言葉です。
まさにそのとおりなんですよね。
「お経」という語はもともと「経糸」に由来します。
ブッダの言葉を暗唱するために、簡潔な詩の形にし、それを笹に記して、「経糸」で纏めたことから、「経典」、つまり「お経」と呼ばれるようになりました。
お経は、意味を再確認するために吟詠されて、暗記をするために繰り返し暗唱され、受け継がれてきたのです。「はんにゃーはーらー」や「なむあみだぶつ」と音で読むことに意味はありません。現在、日本で読経されるお経は、梵字(古代インド語)の原典を漢語(西暦800年前後の古代中国語)に翻訳したものであり、いわばシェイクスピア作品(オリジナル言語はただの英語ではなく西暦1500年頃の古英語)を現代の日本語に翻訳し、それを韓国の人が音読みしているのと変わりません。そのような音読みに呪術的効果などあるはずが、もちろんありません。わたしは、現在の読経の文化に対して、経に込められた真意をなかったことにする、暴虐ささえ感じてしまいます。
※ 呪術的効果のある音は科学的には存在しません。和声として心理的に作用する音はあります。
中村元先生は、上記の志で多くの経典を口語訳(現代訳)されました。それも極力に仏教用語を含まない、わかりやすい日常語にしてくれました。
ところが、中村元先生は訳しすぎて、本のタイトルにあたる仏典が、どの仏典なのかわかりにくくなってしまいました。いかんせん、仏典名はパーリ語をカタカナ表記されることが多く、一見しても馴染みがなさすぎます。そこで、岩波文庫 中村元訳の原始仏典は、何があり、経典のどこにあたるのか、まとめました。
経典の体系
経典の全容
要点だけを挙げると
原始仏典はパーリ仏典(Wikipedia)とも呼ばれ、
律蔵、経蔵、論蔵の3つの蔵(三蔵)からなり、それぞれに経典を持つ。
三蔵法師(玄奘)は、仏典である三蔵に精通した僧という意味です。
② 経蔵 – ゴータマ・ブッダまはた仏弟子の説いた教説の集成(Wikipedia)。経蔵は5部にわかれる。
長部
中部
相応部
増支部
小部
岩波文庫 中村元訳の原始仏典は経蔵から選出されています。
7冊出版されています。
経蔵に注目します。
長編の経典の集成, 全3篇(34経が含まれます)
中くらいの長さの経典の集成
それぞれの項目によってまとめられた諸経典の集成, 全5篇
サガータ・ヴァッガ 有偈篇(うげへん)
有偈篇の全訳
ニダーナ・ヴァッガ 因縁篇(いんねんへん)
カンダ・ヴァッガ 蘊篇(うんへん)
サラーヤタナ・ヴァッガ 六処篇(ろくしょへん)
マハー・ヴァッガ 大篇(だいへん)
論題内容の数でまとめられた諸項目を述べている諸経典の集成(全11巻)
うまく表現できたか疑問ですが。。。
わかりにくいですよね。
書籍で確認したい方は馬場紀寿 『初期仏教』(後述)が参考になります。
はじめて読むのであれば
「スッタニパータ」です。
最古の仏典といわれ、ブッダが逝去して、紀元前200年頃(諸説あり)、比較的早い時期にまとめられました。「スッタニパータ」は、大乗仏教がメインの日本人には馴染みがありません。しかし、スリランカでは現在でも日常的に使われています。結婚式などお祝いの際に、祝福の言葉として「スッタニパータ」から「慈しみ」の節が詠まれているとのことです。我々が慶弔のときに、お経や聖書の言葉を読むのと同じです。
岩波文庫 中村元訳が定番です。他の翻訳もありますが、それらは仏教概念的な和文が多く、読みづらいのです。「スッタニパータ」は、お経な「現代的な仏教」が出来上がっていない頃の書物だというのに、どうしてこうなるのやら。中村元訳では、仏教用語的な四字熟語はまったく出てきません。注が若干専門的ですが、本文が簡潔な日本語なので、むしろ注が必要になるケースは少ないと思います。
2022年、新訳 今枝由郎「スッタニパータ」(光文社古典新訳文庫)がでました。こちらも仏教用語がでてこない、純粋な和文です。新たな定番になるかもしれません。今枝版は、本文の左ページに注が載っており、読み進めやすいです。
『ブッダのことば』(岩波文庫 中村元訳)では、解説も充実しており、「スッタニパータ」の経緯、現代性についても載っています。
解説部分と「スッタニパータ」の概説には、こちらの動画も参考になります。
参考文献
岩波版とちくま版とで、似たような書籍があります。いずれも講演をもとに、整理・加筆されたのではないでしょうか。ちくま版の方が若干詳しいです。
中村元先生著よりもさらに専門的に初期仏教について書かれています。キリスト教に聖書学があります(Wikipedia)。その仏教版ともいえる仏教学入門書です。個人的には難しいと感じます。
スッタ(経)ニパータ(集成)などの経典はもともとが短文のあつまりです。いくつかの仏典からテーマ別に176項目を読みやすく口語訳されています。賛否両論をうけがちな「超訳シリーズ」でも、この巻はアリかなと感じています。類書に「小池龍之介,超訳 ブッダの言葉,ディスカヴァークラシックシリーズ」もあります。
手塚治虫ご本人が"あとがき"で述べているように、『ブッダ』はかなりの脚色があります。アーナンダ(Wikipedia)が作中では元殺人鬼、その後改心とされていますが、史実は異なるようです。とはいえ、多くの挿話は、上記の中村元著書や下記『釈迦』で出てくる内容と同じです。
十大弟子の1人アーナンダが世尊ブッダの晩期を物語ります。この小説は大パリニッバーナ経をもとに、テーラーガーター、テーリーガータなども取り入れて、仏典の伝承に近いストーリーになっています。世阿弥の半生を描いた『秘花』で初めて瀬戸内寂聴の作品を読みました。瀬戸内寂聴さんは、世阿弥の『秘花』を85歳、この『釈迦』を80歳のときに執筆されました。『釈迦』の巻末解説(横尾忠則)にあるように、年齢詐称と言われてもおかしくないほどに、精緻かつ、いわば「釈迦花伝」のような艶やかさがあります。手塚治虫『ブッダ』よりもわたしは好きです。
ドイツは意外にも仏教文献の研究が盛んのようです。中村元 著作でもたびたびドイツの名が出てきます。ショーペンハウエルがインド哲学に傾倒したともいわれています。注記すると、史実を小説化したのではありません。読んだのが随分前で、忘れました。再読して追記します。
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