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第六話 京の都の武器商人との取引 【独裁者・武田信玄(無料歴史小説) 第壱章 独裁者への階段】
武田晴信は、追い詰められていた。
治水工事の途中でお金が尽きてしまったからだ。
「人夫に手当が払えません。
一旦、工事を中止するしかないと存じます」
と。
何とか工事を続行したい晴信は、手当り次第に豪商たちを回ってお金を貸すよう求めたが……
誰一人として首を縦に振らない。
◇
ついに晴信は激高した。
「おのれ……
生意気な商人ども!
武田家を何だと思っているのじゃ!
清和天皇の末裔にして、源義家公の弟である新羅三郎義光の血筋ぞ?
数百年に亘って続く源氏の『名門』ではないか!」
「……」
「源氏の名門が……
商人ごときに!
なぜ、商人ごときに屈辱を受けねばならないのじゃ!」
兄の激高に対し、弟の信繁は穏やかに諭す。
「山に囲まれ、海に面した港のない、この甲斐国は……
モノがほとんど流れていません」
「モノがほとんど流れていなければ、商人どもから全く相手にされないと?」
「口惜しい話ですが」
◇
モノがほとんど流れていない地域の場合……
欲しい物を買うために遠くへ出掛けなければならず、『不便』な地域と見なされてしまう。
人が流入するどころか、もっと便利な他の地域へ人が流出するばかりだろう。
人口は減少し、客が減少してお店も減り、仕事も減って、更に人が流出する悪循環となる。
現代は宅配サービスが盛んであるが、この充実度合いは人口の多い場所と少ない場所で雲泥の差がある。
これに少子化問題も加わって『格差』は広がる一方だ。
特に都心への交通アクセスが便利な地域は人気が高い。
加えてショッピングモール、コストコなどの大型店、有名フード店があれば人気は更に高い。
いつの時代も、人が活発に動き、多くのモノが流れる地域は繁栄するのである。
この当時……
大名たちの経済格差は著しいものがあった。
海に面した港を持つ駿河国と遠江国[合わせて現在の静岡県]の大名・今川家、相模国[現在の神奈川県]の大名・北条家、越後国[現在の新潟県]の大名・長尾家[後の上杉家]は、多くの人口を抱え非常に『豊か』であったらしい。
今川家、北条家、そして後の上杉家に比べ、海に面した港のない武田家は『貧しい』大名であったのだ。
◇
シミュレーションゲームの世界。
商業活動や街道の整備などに投資すれば、自然と人口が増えていく。
投資したお金に見合った効果が必ず出る。
ただし!
現実の世界は、そんなに甘くない。
残念ながら……
住む場所を選ぶのは民であり、店を出す場所を選ぶのは商人である。
投資した人間ではない。
民や商人に選んでもらわなければならないのだ。
「名家が治める土地だぞ」
こんなことは、民にとってはどうでもいいことである。
重要なのは、こういう言葉だろう。
「この町はとても『賑わって』いる。
ありとあらゆる物を安く買うことができ、ありとあらゆる娯楽が楽しめるぞ!」
商人にとって重要なのは、こういう言葉だろう。
「この町は大勢の人が行き来し、人口も増加している。
投資すれば確実に儲かるぞ」
と。
残酷な現実として……
モノがほとんど流れていない地域は、どうしようもない。
唯一の方法は、豊かな自然を武器に人を呼び込むくらいであろうか。
◇
「弟よ。
商人にとっては、銭[お金]こそが全てなのか?」
「銭[お金]こそが全てです。
兄上。
商人には、正義も、仁義も、礼儀も重要ではありません。
だからこそ人々から『忌み嫌われて』いるのです」
当時の日本において……
商人は、人々から忌み嫌われる職業であったようだ。
士農工商という、『わざと』商人を一番低い身分に落とした江戸幕府の制度から見ても明らかだろう。
モノを生み出している人よりも、ピンハネで稼ぐ業者の方が立場が強い現代とは完全に真逆である。
「弟よ。
このままでは、民を洪水から救うことができない!
致し方ないが……
奴らと取引するしかないか」
「奴らとは?」
「商人の中でも、最も忌み嫌われている輩のことよ」
「最も忌み嫌われている輩!?
まさか……
兄上!
『武器商人』と取引をするつもりだと?」
「うむ」
「武器商人とは……
兵糧や武器弾薬を売り捌いて銭[お金]を稼ごうと、争いの種を撒き、愚かな者を操って戦へと発展させようとする輩のことですぞ!
そんな輩と手を組むことが、何を『意味』するか分かっているのですか?」
「ああ。
わしはよく分かっているぞ。
要するに、戦が始まるということであろう?」
「……」
◇
晴信は、世間から最も忌み嫌われている輩との交渉に臨む。
はるばる京の都からやってきた、その男は……
2人の従者を伴っており、歳は30ほどだろうか。
只者ではない雰囲気を漂わせている。
「お初にお目に掛かります。
それがし……
京の都と、最近では堺[現在の大阪府堺市]でも商いを始めた者にございます。
屋号を丹波屋と申します」
一方。
晴信側は、弟の信繁と側近の高坂昌信が同席している。
昌信が最初に口火を切った。
「甲斐国の民は、何百年もの長きに亘って洪水という災害に苦しんできた。
そして洪水と戦うことを諦めた民は……
現実から目を逸し、こんな的外れなことを申すようになった。
『自然は神である』
とな」
「ひたすら同じ営みを繰り返す意思のない存在を神だと思い込むとは……
短絡的ですな。
所詮は民の頭の中など、お花畑に過ぎないのでしょうか。
これだから簡単に操れるのです」
「一方の晴信様は……
洪水の原因を徹底的に調べるための労力を惜しまなかった。
ついに一番の原因へと辿り着き、前代未聞の治水事業に着手されたのだ」
「なるほど。
ここに来る前に治水工事の現場を拝見しましたが……
見事な着眼と感服仕っております」
「おお!
さすがに目の付け所が違いますな。
丹波屋殿は先見の明をお持ちのようだ。
治水工事を完了させるためにも、是非とも銭[お金]をお貸し頂きたい」
「昌信様。
お貸しした銭[お金]には、利息を付けて返して頂かねばなりません。
どのような返済計画をお持ちでしょうか?」
「治水工事が完成すれば……
釜無川は安全に船が行き来できる水運として発展し、この国の輝かしい『未来』を約束してくれるはず」
「輝かしい未来、ですか」
「当然だ。
洪水を無くすことができれば、収穫は上がり、民の暮らしは豊かになる。
民の暮らしが豊かになればなるほど……
甲斐国へ大勢の人が『流れて』くるだろう」
「……」
「返済に関しては何の心配もないと存ずる」
熱弁を振るう昌信とは対照的に、商人は淡々と答えた。
「率直に申し上げますが。
ずいぶんと『甘い』予測をされておいでですな」
「甘いとは、どういう意味で?」
「民の暮らしが多少は豊かになるかもしれませんが……
果たして、それで大勢の人が甲斐国へ流れてくるでしょうか?
住む場所を選ぶのは民であり、店を出す場所を選ぶのは商人です。
昌信様ではありませんぞ」
これを聞いた晴信は、苦虫を潰したような表情を見せた。
◇
晴信の弟・信繁が反撃を開始する。
「ははは!
丹波屋殿は、なかなかに鋭いのう。
どの商人もこう申していた。
『海の面した港のない甲斐国は、モノがほとんど流れていない。
こんな国が銭[お金]を生むわけがない』
と」
「まさしくその通りでは?」
「商人は皆、海に面した港のある国に投資したいもの。
だがな……
そんなのは誰もが思い付くことだ。
貸す商人が『殺到』して、借りる側が優位になっているのでは?」
「……」
「借りる側が優位になれば、最も利息の低い商人から借りようとするはず。
これでは、まるで儲からない。
困ったものよ」
「なかなかに痛い所を突かれますな。
武田家なら、それよりも高い利息で借りて頂けると?」
「勿論」
「それは有難い話にございますが……
問題は、返済計画ですな」
「返済できないとお考えか?」
「何度も申し上げていますが。
モノがほとんど流れていないのは、もはや致命的な問題です。
どうしようもない。
モノが買えないどころか、値段も安くない。
そんな場所に民が住みたがると?
そんな場所で商人が商いをすると?」
「……」
「今。
この日ノ本は、『表向き』は武士が支配しています」
「表向き?」
「その中でも武田家は名門と申せましょうが……
やはり、勘違いされておられるようですな。
日ノ本の真の支配者は、武士でもなければ帝でもない。
銭[お金]ですぞ。
銭こそが、この世の真の支配者なのです!」
「……」
信繁は沈黙したままだ。
どう見ても武器商人側が優位に見える。
晴信側の反撃は、これで終わってしまうのだろうか?
【次話予告 第七話 独裁者と侵略戦争】
武田晴信の弟・信繁は隠し玉を用意していました。
「我らが銭[お金]を借りないと、困るのはそちらではないか?
まるで儲かっていないようだが?」
と。