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校正者必読! 横澤一彦『つじつまを合わせたがる脳』~感想

  「ゆる言語学ラジオ」の食レポの回で「安心・安全の岩波ライブラリー」と紹介されていたのが本書だ。しかし、食レポとは関係なく、実は校正者が読むべき本でもある。とくに第3章「見落として当たり前」だけでも読むのを勧める。章名どおり、「見落とし」について科学的に考察し、実験した結果が載っている。

 標的が出現する確率が低くなればなるほど、見落とし率が高くなる

本書p59

 「標的」とは、「異常」と言い換えてもよいが、「校正および校閲」(以下「校正」という)においては、校正刷り(ゲラ)の「ミスおよびコメントしなければならない箇所」(以下「ミス」という)のこととなる。つまり、校正刷りにミスが少なければ少ないほど、見落とす率が高くなるというおそろしい現象について述べられているのだ。たとえ誤植が1か所しかなくとも、それが重大なものであれば謝罪や回収となるのが出版業界である。
 なぜ、ミスが少ないほど見落とし率が高くなるのか。それは本書に載っている。

 一般に、標的がないという判断が、標的があるという判断より遅くなる。これは、標的がないと判断するには、全ての呈示項目が標的かどうかを1つずつ確認しなければならないためである。ゆえに、標的が出現する確率が50%というような高いときには判断時間は呈示項目数に比例して長くなる。これは呈示項目数が増えるに従って標的の見落とし率が高くなる傾向と一致している。
 しかしながら、出現確率が1%のときには、標的があるという判断よりも標的がないという判断の方が速くなっており、標的を見つけ出すのに必要な時間より早く探索をやめてしまう。そのために見落とし率が高くなると考えられる。すなわち、本来はすべての呈示項目を確認しなければならないはずなのに、不十分な処理でいち早く標的がないと判断してしまうために、標的の見落とし率が非常に高くなる。

本書p59

 「呈示項目」とは、本書では、空港の手荷物検査において「工具(金づちやのこぎり)」を1項目と扱っていることが示唆されている。校正であれば、「誤植」「級数」「フォント」「ルビ」「かぎかっこ等の約物」「事実確認(ファクトチェック)」といった項目を指すことになろう。チェック項目が多ければ多いほど、すべての項目を確認しなければならないために時間がかかる。これはいいだろう。
 そのため、校正現場においても「ミスがない」という判断は「ミスがある」という判断よりも遅い。これもいいだろう。
 問題はその次だ。ミスの出現確率が低いほど見落とし率が高くなるというところをちょっと考えてみたい。
 まず、ミスの出現確率を0.01%とする。1%では、100字のうち1文字が間違っていることになる。校正者に回ってくる原稿で「出現確率が低い」とは言えないため、例として適切ではない。
 0.01%なら10000字に1文字の間違いだ。1ページが何文字何行で組まれているか、どの程度改行や会話があるかによるけれど、たとえば小説30ページに1文字のミスというくらいになる。精度の高い原稿ならばあるかもしれない。これなら「出現確率が低い」といえるだろう。
 このように「滅多にミスがない」原稿の場合、「ミスがない」という判断の方が「ミスがある」という判断よりも早くなる。不十分な処理で「ミスがない」と判断してしまうために、見落とし率が非常に高くなる。ほんとうだろうか。
 本書で「標的(異常)を見落としてはならない職業」として2つの職種が挙げられている。疾患部位の検出に携わる医療診断の専門家と、空港などで危険物を除去するための手荷物検査に携わる空港職員である。この2つの職業従事者も、やはり見落としというのはあるという。

 (専門的な)訓練をしているにもかかわらず、最初のうちは出現する確率が低い標的を見落としやすい

本書p65

 ということは、残念だが校正者も同じ傾向があるということになる。しかし、対処法はあるのだ。

(実験において)標的が出現する確率を上げ、また回答が正しかったかどうかをフィードバックしたところ、その後は出現する確率が低い標的を見落とさないようになった

本書p65

 ここですね。校正者だって同じはず、つまり「事前学習(経験を積み、それを忘れないように覚えておく)」と「フィードバック」が大事ということになる。やはり、自分が「なんとか拾えた(間違いを発見できた)」事例と、「落とした(間違いを拾えなかった)」事例をリストアップしておくのは必須なのか。
 いつもフィードバックを得られるとは限らないが、少なくとも出版された本と自分が校正刷りに入れた赤字とを照合することはできる。わたしは、紙の校正刷りを戻すとき、必ずスキャンしてデータにしておくので記録が残っているのだから。
 くわえて、できれば他の人の例も集めておきたい。新聞社の校閲部がこうしたツイートをしているので、それを拾ってリストにしておくのも有効だろう。これはすぐやろう。
 もうひとつ、校正者が知りたい点が本書には載っている。

 見落としを回避する方法として、1人ならば見落としてしまうことでも、複数の人数で取り組めば見落とさないのではないかと考えるかもしれない。

 校正だって、ひとりでやるよりも(異なる場所で別々に)複数で取り組む方が見落としの確率が低くなる。新潮社の校閲講座でもそう習ったし、実感もしている。しかし問題は、本書の次の箇所だ。

出現する確率が低い標的を見落とす現象は(複数の人員で取り組んでも)残った

 ポイントは「出現する確率が低い標的」である。校正作業の場合は「滅多に見ない種類のミス」ということになる。
 表紙や帯、大扉、大見出しの文字等に目立つ誤植が残っているのに、出版されてしまうことがたまにある。その理由はこれだろうか。関係者が何人も見ていても「(他社の事例等で)知ってはいても自分では未経験」だった場合、こんなことになりがちということだ。
 まして、最終修正後、時間がなく校正者を通さないということもあるだろう。担当編集者とその周囲数人、上司、デザイナー等々、何人もの目をとおったのだから大丈夫だろうと、そのまま印刷工程に流す。そうなると複数の人員が見ていようが、「専門の訓練を積んだ校正者」が見ていないため、危険性は桁違いに高まってしまうわけである。

 では、できるだけ見落とさないようにするにはどうすればよいのだろうか?

本書p63

 校正者であろうとなかろうと、いや出版業界の誰しもがこのことを知りたがっているだろう。その答えも本書に載っている。

 文章中の誤字を見つけ出すには、ある種の視覚探索が必要であり、浅野らは、文章の校正作業を日常的に行っている専門家の誤字検出に焦点を当て、非専門家と比較して調べる研究を行った。(「文化」と「文科」のように)音韻が類似した誤字や、(「遊牧」と「遊枚」のように)形状が類似した誤字を探し出す実験課題に取り組んでもらうとき、あわせて校正専門家が豊かな語彙知識を有しているのか、誤字検出に干渉する情報(正字に関する情報など)を抑制することで効率的に校正作業を遂行できるのか、文章全体を隈なく探索を続ける能力があるのかを調べた。
 その結果、校正の専門家は非専門家よりも高い誤字検出能力を持つこと、そしてこの能力差は語彙知識では説明できず、専門家は妨害的な情報からの干渉を抑制し、逐次的に隈なく文章内の探索を続けることで誤字を効率的に検出していることが分かった。校正読みにおける誤字検出の速さと正確さのどちらをより重視するかという点で、校正専門家は速さよりも正確さをより重視するという結果が得られている。

本書p66

 ひとことで言うと、やっぱり「時間をかけて隈なく見る」しかないんだろうなぁ。

探索の専門家として探索をむやみに早く切り上げず、終始安定して課題に取り組むことが、標的を見落とさないコツであることを会得しているためと考えられる。  

(大切なのは、標的を)見落とさない魔法ではなく、その業務の重要性を理解し、丁寧に時間をかけて取り組むということに尽きる。われわれが見落としても当たり前である仕組みしか持っていないということを知り、それでも見落とさないコツを得るために、経験を積むことが必要

本書p66

 まぁ、そういうことなんですよね。急がない、ゆっくり丁寧にやる。これまで、他の人のものも含めて間違えた事例を集めて折りに触れ復習する。それくらいしかミスを「少なく(ゼロにするのは無理)」する方法はない。

見落とし回避のコツ《専門家の注意力》
 さまざまな作業現場にコンピュータ制御システムが導入されたとしても、多くの場合、最終的には異常を見落とさないような人間の確認作業が必要である。

見落としてはならない作業に従事している方、たとえば、疾患部位の検出に携わる医療診断の専門家や、空港等で危険物を除去するための手荷物検査に携わる空港職員などは、標的の価値を十分に事前学習をしておいたり、終始安定した探索速度を維持したりするという、最適な検出法力を身につけている

本書pp101-102

 そうそう、校正者なら誰しもそうしているが、「終始安定した探索速度を維持」つまり、ひとつの文字にかける時間は一定であるということも大切なポイントだ。ここは翻訳チェックも同じだろう。緩急を「つけない」で読むのである。
 さて、この原稿の締めとして、本書から次の引用をしよう。

 このように、見落とし回避につながるコツは明らかに存在するが、専門家が見落とさないのは決して魔法ではなく、その作業の重要性を理解し、丁寧に時間をかけて繰り返し作業に取り組むということに尽きるように思われる。

見落とし回避につながるコツをつかむために経験を積むというのは、人間の限界を超える能力を身につける作業ではない 

本書p102

 編集者の方々へ。校正者はみな「その作業の重要性を理解し、丁寧に時間をかけて繰り返し作業に取り組」んでいます。
 校正者の方々へ。「見落とし回避につながるコツをつかむために経験を積むというのは、人間の限界を超える能力を身につける作業ではない」のだから、お互い、これからも「丁寧にがんばって」いきましょう。

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