英検3級から翻訳校閲者になるまで #4
https://note.com/merlin_witch/n/n3e30f91c5113 の続きです。
有名講師の「翻訳」授業が大学で受けられる
わたしは聴講生として外国語学部のある大学に入学し、言語学や英語史を学んでいた。さらにラッキーだったのは、「翻訳」の講義があったことである。先生は何人かいらしたが、わたしは柴田耕太郎先生の授業を受けることにした。翻訳業界では超有名人だ。
柴田先生は、「アイディ」という英文教室を主宰している。この講座は誰でも入れるが、わたしにとっては授業料が高すぎて、時々開催される単発講座に行くのがせいぜいだった。
けれども大学でなら、もちろん大学の授業料だけで教えてもらうことができる。夢のようではないか。毎週、最前列に陣取って、一言も聞き漏らすまいと集中した。必死に課題を提出した。
ほんらい、聴講生には添削していただく権利はない(それに見合う授業料とは思えない)のだが、柴田先生は「やる気のある者大歓迎」ということで、学部生と同じように朱を入れてくださった。
大学の講師室でお話を聞かせていただく機会もあり、英語や翻訳、大学生についてなど、いろいろな話をうかがった。そういう話を聞くと「自分ももっとがんばろう」と思え、2年間ずっとモチベーションを保つことができた。柴田先生には、今でもとても感謝している。
英文ライティングも毎週の課題に追われる
聴講生になった年に、同学のオープンカレッジにも入った。こちらにも「取りたい講座」があったのだ。ひとつは英文ライティング。オープンカレッジのライティングなんて大したことないと思いがちだが、この講座はそんなことはなかった。
毎週の講義では、ライティングで実践するための英文法が伝授される。「エッセーの型」「冠詞の使い方」「時制の使い分け」といったことで、学部生と同じ教科書を使うのでレベルはかなり高かった。
さらに課題もあった。毎週400~500ワードのエッセーを提出すると、翌週それを添削・講評して返していただける。毎週ともなると、だんだんネタも切れてくる。エッセーのネタを探して、毎日の生活の中で「今度は何を書こうかな」とネタを探すことになった。
このエッセーだが、いきなり英語で書ける人はそれでよい。だが、わたしは骨子(プロット)を日本語で書いてから英語にしていた。その英文にGrammarlyで文法チェックをかけたのちに自分で見直し、提出していた。
いま、多少なりとも教材の英文が書けて(ネイティブチェックは当然入れている)いるのは、このとき2年間通った講座のおかげが大きいだろう。
さて、言語学、意味論、英語史などを教わり、翻訳とライティングの課題を毎週提出し……といった日々を送っているうちに、実力に反映されるようになるにはまだまだかかることはわかっていても「自分はがんばってる」という高揚感は得られるようになった。
最後に残った壁、英会話
だが、わたしにはもうひとつ、どうしても越えなければならない壁があった。スピーキングである。
よく「TOEIC900点台とってるのに英語が全然話せない」などというが、自分がまさにそれだった。瞬間的に英語が口から出てこないのだ。
文法やライティングや翻訳については、がんばって学べば、自分なりに「実力がついてきた」と思える瞬間がある。だがスピーキングについては皆無だった。アルクの「起きてから寝るまで英語表現」シリーズを買ったりしてブツブツつぶやいていても、なかなか瞬間的に英語が出てこない。
翻訳には英会話は関係ない。それを知っていても、このときはすでに英語教材の仕事もしていたので、「まったく話せない」ではすまないと思っていた。 「ある程度でよいから英語を話せるようになりたい」。その願望だけが大きくなっていった。
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