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『完全無――超越タナトフォビア』第八十一章

接地面無き【理(り)】へと着地する前に、わたくしたちは疑わしきアトランティス大陸のあらゆる化石の破片を手中にする如く、さまざまなる位相へと、前-最終形真理の意匠を破壊するために「形而上学的ホップ・ステップ・ジャンプ」を成立させなくてはならないだろう。

それは、わたくしを含めたすべての読者にとっての体感的修行でもある。

「たとえば世界をこんな風に捉えてみよう」などという思考実験例が、この作品の後の章においてわたくしによって語られるであろうが、そこはおひとつ御付き合い願いたいと存じます。


チビ
「一旦、CMいかなくて大丈夫―?」

(一旦、WCいってくるねー、チビ、とわたくしは返す。)

(中略……。)

(もう一つ中略……。)

(最終的な中略……。)

(からの、わたくしの容赦ない盗塁の如きおしゃべりの再起動と、チビのまばたき。)


さて、あらゆる粒子もエネルギーも、その究極、根元的には無から成り立っていると言える。

そして、その無とは完全無であり完全有と同じことである、という点において既存の宗教や哲学や科学で扱われている無とはニュアンスが微妙に違う、ということに注意すべきである。

なぜ、何かがあるのか、なぜ、「ある」が何かなのか。

その答えに辿り着くためには、尋常ではない無からとことん考察せよ、ということである。


(と、ここでチビが、嫌みなくスムーズにわたくしの語りの流れに合流する。

全くもって無駄のないハンドリングと加速度によって。

いや、割り込むというのではなくて、あらかじめこの語りの流れに参加してしまっていたかのように、わたくしたちにこう語り掛ける。)

(「なぜ何かがあるのかってさー、あるってことばを人間がつくっちゃったからじゃないかなー、そういうことばがなければ、何かがあるってことの『ある』もないんじゃないのかなー」と。)

(そこでわたくしきつねくんはこう返す、いや、このように返さざるを得なかったのだ。

それは、まるで的確なタイミングで発されたサンキュー・ハザードのように。

「サンクス、チビ」と。

そうして、わたくしきつねくんは目を閉じながら深呼吸するのだ。

円周率が確定したかのように。

しかし、円周率はどこまでも確定することがない、ということに気付いたわたくしは、口の中から文字列を引っ張り出して、それを空間化し、このマックの店内に不穏な空気を醸し出すことくらいしかできないこと、そして、空間内に空気がまだ残存している内に、この作品に終劇のテロップを流してあげなければならない、ということにも気付いたのだった。

「もし、完全無-完全有という概念めいたものが、この世界にはないということが後の章で分かったとしても、チビたちは確かにあるんだよ、チビたちは概念を超越した完全なる無だからね」と、はきはきと一語一語を味わいながら、わたくしきつねくんは、ダメ押しになるかもしれない小さくて大きい結論を、おどおどと下してみる。)

(すると、それを聞いたチビは、微笑みの極限値に到達してしまったかのようにわら、う。)


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