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飽きっぽい人のためのトランスラン2

前の記事では、飽きっぽい人でもジョギングが続けられる「トランスラン」の第一の原則「自分を甘やかす」ことについて説明した。

次は、第二の原則「自分に義務を課さない」ということについて説明しよう。

人は義務感に反発する

ランニングを始めようと考えると、多くの人は自分で自分に義務を課す。

「毎日走ることにしよう」
「途中で歩いてはいけない」
「サボってはいけない」
「最低でも5㎞は走らないと」
「30分以上は走らないと意味がない」

「~しなければならない」「~してはいけない」といった義務感を持つと、多くの人は自発的な動機付け、つまり、やる気を失う。

勉強をそろそろ始めようかなと思ったタイミングで親から「まだ勉強しないの!?」なんて聞かれると、イラっとしてかえって反発したくなったことがある人も多いだろう。

行動が長続きしないタイプの人たちは、自分に対して課した義務に対してさえも、無意識的に反発してしまう。少なくともぼくはそうだ。

だから、走ることについて、極力、義務を排除してほしい。「走らなければならない」から走るのではない。

「走りたい」と望んだ時だけ走る。
「走りたくない」と思ったら、走らなくていい。いや、走らない方がいい。

ここがものすごく重要だ。

「サボる」という言葉はいらない

「サボる」という言葉はもういらない。

走りたいときに走る。
走りたくないときには走らない。

この二つは「義務を作らない」という原則からすると、どちらも等しく重要なのだ。

走りたいときに走るのはあなたにとってプラスになる。また、走りたくないときに走らないこともあなたにとっては大きなプラスだ。これはサボっているのではなく、自分にとって有益な行動をあえて選び取ったのだ。

本当は走りたくないのに、無理して走らなきゃ、と走る人間の方が究極ジョギングの原則を無視してサボっている。考え違いをしてはいけない。

心理的葛藤によるモチベーション低下を減らす

では、なぜ走りたくないときには走らない方がいいのだろうか?

それは、走るという行動へのモチベーションが守られるからだ。

外に走りに行くという行為はそれなりにめんどくさい。服を着替えなきゃいけないし、時間もかかる。走る代わりに、その時間を使ってやっておいた方がいいかもしれない事柄も頭に浮かんでくるだろう。走ることを妨げる理由はたくさん浮かんでくる。その一方で、走った方がいい理由も当然ある。二つの気持ちが対立し、綱引きを始める。これを(心理的)葛藤という。

葛藤は心のエネルギーを消耗させる。

「今日も走らなきゃ。でも、走るのめんどくさいなあ。でも、やっぱり走った方がいいかも。でも、走ってる場合じゃないかな……」

「でも」と一回、頭の中で言うたびに心のエネルギーが消費され、走る気力は失われていくと考えていい。そして、恐ろしいことに、最終的に走らなかったとしても、他のやるべきことをやるわけでもないのだ。なぜなら、走るべきか、否かの葛藤に全てのエネルギーを使い果たされてしまったからだ。

「走らなければいけない」という義務感があると、「走りたくない」という自分の望みと葛藤を起こす。もしも「走らなければいけない」という義務感がなければ、迷わず走らなかったはずだ。そして、エネルギーは浪費されず、走る代わりにやりたかったことをすんなりやれる。どうせ走らないのであれば、走らないでエネルギーを他のことに向けられた方がいい。別に一日や二日走らなくたって、あなたの人生に大きく影響はしない。実はどうでもよいことだ。

ムダな自分へのダメ出しはいらない

義務を自分自身に課すからこそ、その義務を果たせないことも起こる。義務を果たせないと、次に必ず罪悪感が生じる。

「本当は毎日走るべきなのに、走らないでサボってしまった」
「なんて自分は意志が弱いダメ人間なんだろう」

こういった自分へのダメ出しはさらに心のエネルギーを奪う。そして、走ることが罪悪感まみれになってくれば、走ることを思い出すことすら辛くなってくる。

私たちの心は自分を守ろうとする。少しでもその罪悪感を減らして心を楽にするために、自分が走ろうとしていたことに目を背けさせ、走ろうとしていたこと自体を忘れ去らせる。

こうして残るのは、「やっぱり自分はダメ人間なんだ」という無意識的な心の傷と走ることに挫折したという実績だけである。罪悪感から行動を起こせる人ならばいいが、多くの人はそんなに強くない。罪悪感など一切なしに楽しくやれることに自然と近寄っていく。

だから、「走らなければならない」という義務感を手放し、ムダな自分へのダメ出しを減らすのだ。

例外:どうしても義務を手放せないなら……

最初から「走りたくないと感じたときは走らなくてよい」と考えておけば、無駄な罪悪感を抱えずに済む。その日は走らなくても、翌日はすっきりとした気分で走りたいと感じ、走ることができるかもしれない。

ところが、自分に義務を課すのが心の癖になっている人もいる。自分でも気づかないうちに「走らなければならない」と考えてしまうのだ。そんな人はどうしたらいいのだろう?

ここで一つ裏技がある。義務感を持ちやすいという心の癖があるのだから、それを逆手に取ればいい。そのような人は、次のような義務感を持ち、きっちり義務を果たしてほしい。

「走りたくないと感じたときには、決して走ってはいけない」

そして、もしも本当は走りたくないと感じていたのに、つい「走らなければならない」という義務感に負けて走ってしまったときには、深くそんな自分を恥じ入り、反省してほしい。

本当に心の底から「走りたい」という気持ちが湧き出しているときだけ、走っていい。いいですね?

そんなことを言ったら全く走らなくなる?

それでいい。全く走りたくない人が無理に走ろうとしてはいけない。それは自分の心を痛めつける行為だ。走る以外のことをやるべきだ。少なくとも少しは走りたいという気持ちがある人が、多分、この記事を読んでいる。その気持ちが高まったときだけ走る。これが重要だ。気乗りしないときには決して走ってはいけない。

これが第二の原則「義務を作ってはいけない」の唯一の例外である。

トランスランにおいて自分に課してもよいただ一つの義務は「走りたくないと感じたときには、決して走ってはいけない」というものだ。

では次の記事でいよいよ実際に走っているときの意識の向け方、思考の持ち方について話していこう。


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