本を読まない読書
本を読まない期間でも、実は読書をしている。
そんな逆説めいた話をしてみます。
メンタリスト彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。
今回は、最近の読書傾向についての文章ですが、その中で「本を読まない」ということに思考を巡らせていきます。
つらつらと書いているので、同じようなことを変奏していくような文章ですが、是非お付き合いください。
今年に入って、読書以外のことに目を向ける割合を増やしている。
なので、読書量が減った。
自分自身は四六時中、本を読まずにはいられないというタイプの人間ではないので、さほど問題はない。
(とはいえ、小さな小さな違和感みたいなものがないわけでもない。)
様々なことを習慣にしてきて思うことだが、長く続けることには波があっていいと思う。
いや、波があった方がいいと思う。
それこそ、自分が長い人生をかけてやっていきたいと思うことなら、空白の期間にこそ変化が起きている。
自分はマジックもやる人間なのだが、人生で一度だけ完全にマジックから離れた期間が数年あった。
その期間に他ごととして吸収した様々なことが、再度マジックを始めた時に大きく役立った。
なんというか、それは、子供が大人になるために必要な何かを得るために、一度、自分が好きだったものを客観視したような感じだった。
考えてみると、子供時代は、好きなものについて盲目的だが、そこに傷や欠点があると知ることで、そのものの深みをより知ることができる。
それが、大人になるということ、かもしれない。
読書について話を戻すと……
私には、よく読書をしない期間が生じることがある。
基本は、あるジャンルの本を一定期間読んだら、そこから離れて、別ジャンルに行き、またそこから離れて……となるわけだが……
それが読書全体におよび、読書そのものから離れることになるわけだ。
何かから離れている時には、そのことの熟成が起きると思っている。
あるジャンルの本を読み終えている時ではなく、離れている時にこそ、その内容が自分に深く染み渡っているというか。
結局はその時には、そのジャンルのことを、意識しないところで考え続けているのだろう。
ならば、読書そのものから離れることは、読書という行為を熟成させているということだろうか。
それはある意味で、本と向き合うことなく、ある種の読書を意識しないところで行っているようなものかもしれない。
とまあ、読書量が減ったと述べてはきたのですが、今年一番読書数が少なかった2月で6冊なので、そこまで読書から離れ切ったとは言えないかもしれません(汗)
(マンガだとさらに読んでますしね。)
まあ、それぐらい、私にとって読書行為が当たり前のものになりつつあるということで。
それは、長年かけて、本当の意味での習慣化が行われたということでもあるでしょう。
(思い返せば、ホントに全く本を読まない期間も過去にはありましたし、読書数は年々底上げされているようです。)
というわけで、私なりの「本を読まない読書」の話でした。
皆さんは、どんな本との付き合い方をしていますか?
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