笑えるニーチェ(前編)【ニーチェ超解説】
ニーチェが気になる人、全員必読です!
小難しいことは置いておいて。
ニーチェの肝はここなんです!
メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。
【ニーチェ超解説】は、
ニーチェの言葉を私なりの解釈で
「超」解説するシリーズ……
……だったんですが……
今回は趣を変えますっ!
今回は、
ニーチェのこちらの著作を
取り上げて、
普段とは違う内容で
お届けします。
↓ ↓ ↓
『この人を見よ』は
ニーチェの最後の著作であり、
ニーチェの自伝ですが、
実は、
笑いの要素がMAXに
振り切れているのが、
この著作だと思っています。
だってね、
まずこの本、
各章のタイトルがこれですよ↓
・なぜ私はかくも賢明なのか
・なぜ私はかくも怜悧なのか
・なぜ私はかくも良い本を書くのか
・なぜ私は一個の運命であるのか
ビッグマウスか……!
本を開くとまず序言があって、
(序言も結構、
飛ばしたノリで
ニーチェは語ってます)
で、目次が来るでしょ?
そこでいきなり目に入るのが
これ↑ですよ……。
これを真面目に受け取って、
「なんかこのニーチェって人、
自信家すぎて萎える……」
って思うのはもったいない!
これまでの
【ニーチェ超解説】でも
述べてきた通り、
ニーチェの言葉を読む際に
笑いの要素をおさえておくのは
とても重要なことです。
ニーチェを
真面目に崇め奉っては
いかんのですよ。
というわけで、
『この人を見よ』本文から
個人的にウケた部分を拾って
コメントしていきます!
※引用の際に、私の手元にある
新潮文庫のページ数を
記しておきますね。
(ただし、現在、
市場に出回っているものとは
ページ数が違う可能性あり。)
それではお楽しみあれ!
↓ ↓ ↓
ある医者は、私を久しく神経病患者として扱って来たが、とうとう次のように言った。「間違えていました! 貴方の神経は何ともありません。私自身が神経質になっていただけです」と。
(p.17)
本文を読み始めて結構すぐ、
これが出てくるんですが……
自伝の中に、
ほとんどショートコントじみた
こんなくだりを
ぶっ込んでくるところがね……
好き。
私はデカダンスという語の綴りを前からも後からもじっくり吟味した
(p.17)
いやね……
ニーチェは
私は、
デカダンスという現象を
あらゆる角度から吟味した
そんな風に
言いたいんでしょうよ……。
わかる、わかるよ……?
でも綴りを後ろから読んだって
何もならんだろ!?
読めんて。
ニーチェのこういう
クスっとくる言葉の使い方に
ニヤッとできることが、
ニーチェの精神に沿うことと
つながってくると思います。
――私は二重人格者なのだ。第一の顔のほかに、さらに《第二の》顔も持っている。そして、ことによったら第三の顔も持っているかもしれない。
(p.21)
え、それ二重人格じゃなくて
三重人格……。
ここは真面目に
書いてるのかもしれないけど、
前言撤回早すぎで、
なんか笑った。
例えば私はライプツィヒ料理のお蔭で、はじめてショーペンハウアーを研究したのと時を合わせて(一八六五年)、それこそ本気になって私の「生きんとする意志」を否定したほどであった。
(p.41-42)
これどういうこと?
って思うかもしれませんね。
ニーチェはこの後、
「ドイツ精神はもたれた胃の腑から生まれたものなのだ」
と言うんですよ。
つまり、
ドイツの料理批判なんです。
そして、
ショーペンハウアーは、
「生きんとする意志」を
否定することで
人は救われる、
と語った哲学者です。
つまりね、
ニーチェはここで、
当時食べてた飯が
あまりに胃がもたれすぎて
調子を悪くなったもんで、
生きるのが嫌になった
それを、
ショーペンハウアーの
「生きんとする意志」の否定と
かけてるわけです。
(ここでもう一度、
引用した言葉を
是非読み返してみて!)
ニーチェ、ギャグ線高いな。
諺(ことわざ)に「酒中に真理あり」In vino veritasというのがあるが、私はこのような場合にも、「真理」という概念に関して世間一般とどうやらまたしても意見が合わないようだ。
(p.44)
これもレベル高い。
この引用の前は、
「自分は健康のために酒は飲まない」
と語っているところなんですが。
ニーチェは、
真理についての批判を
ずっとしてきた人物です。
つまり、
自分は酒を飲まないけど、
「酒の中に真理がある」
っていって皆酒飲んでるんなら、
やっぱ自分は人と意見合わんね!
ほら、
自分、真理批判してきたし、
ことわざが言うことと自分、
やっぱ噛み合わんじゃん?
って言ってるわけです。
なんかね、
『この人を見よ』って、
飯のこととか
酒のこととか、
健康本みたいなくだりが
結構あって戸惑うんですよ。
この部分が、
真面目なのか
不真面目なのか
よくわからんニーチェが、
やっぱ好き。
↑ ↑ ↑
はい!
前編はここまでです!
今回は、第2章
・なぜ私はかくも怜悧なのか
の終わりまでの引用をしました。
後編は残りの2章から
個人的に笑えた部分を
取り上げていきます。
第3章からは、
ニーチェ自身による
著作解説が始まるんですが……
ここからニーチェ、
さらに飛ばし始めます……!
後編のニーチェにご期待ください!
次回は明後日20日にアップ予定です。
それでは、
明後日また、お会いしましょうー。
参考文献
フリードリヒ・ニーチェ『この人を見よ』西尾幹二(訳)、新潮社、1990年。
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