幸福への道って?【ニーチェ超解説】
「自分を好きになりたい」
「自分を褒めたい」
そんな人は、
このことを注意した方がいいです……。
(2021.5/11 超解説の最後に追記しました)
メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。
今回から不定期にですが、
ニーチェの言葉を「超」解説するシリーズを
始めていきます。
あくまで
私、彩 -sai-なりの解釈(あるいは「超解釈」)
をお伝えするものですが、
時には丁寧に、時には大胆に、
解説していこうと思います。
皆様の気付きになれば幸いです。
今回取り上げるのは次の言葉です。
幸福への道
とある賢者がひとりの愚者に、幸福への道はどのようなものであるかを尋ねた。すると愚者は、隣町への道を尋ねられでもしたように、迷わず答えた。「自分自身を讃美し、しかも世間の中で暮らすことです!」。「待ちたまえ」と賢者が言った、「それでは要求が多すぎるのではないか。自分自身を讃美するというだけで十分ではないか」。愚者が応じた――「いえいえ、いつでも讃美するには、いつでも他人を軽蔑することが必要でしょうからね」。
(『喜ばしき知恵』213)
超解説
ちょっとしたショートコントとでもいう趣きの話です。
短いなりに読み取れることが多いので、
詳しく見ていきます。
この話は
賢者が愚者に幸福への道を
尋ねるところから始まりますが、
賢者がこの問いの答えを
知っていたかどうかはわかりません。
しかし、少なくとも、
ここでわざわざ尋ねるということを
しているからには、
この問いは尋ねるに値するもの、
そして、
この問いは少なからず迷うもの
と思っていたことは明らかです。
つまり、賢者は、
幸福の道は簡単なものではない
そう考えていたことになりそうです。
それに対して、
愚者は迷うことなく答えています。
つまり、賢者とは違って愚者は、
幸福への道は迷うようなものではない
→幸福への道は簡単だ
そう考えているわけです。
幸福への道についての
愚者による答えは次の2つでした。
・自分自身を讃美すること
・世間の中で暮らすこと
しかし、たった2つしかないものに対して
賢者は、
「それでは要求が多すぎるのではないか」
と言っています。
ここで賢者は、
この2つの条件の両立は難しい
と述べているのだと私は見ています。
(はっきりと言いきれるかわかりませんが。)
そこで賢者は、この2つのうち
自己讃美だけで十分だというわけですが、
つまりこれは、
この2つのうち、自己讃美こそが
幸福のために取り組むに値する課題だ
と見ていることが含まれています。
なぜこの1つだけで十分なのか。
これにはニーチェが別の書で次のように
述べているものが参考になるかもしれません。
そうだ、みずからへの愛を学ぶこと、これは一朝一夕でなしうることではない。むしろそれはすべての技芸のなかでもっとも繊細で、巧妙で、究極のものだ、体得に忍耐を要するものだ。
(『ツァラトゥストラかく語りき』「重さの霊について」)
これは自らを讃美することではありませんが、
自らを愛することの体得の難しさを述べています。
愛することのうちには
ほめたたえることが含まれるでしょう。
ならば自己讃美も自己愛の一種と考えられる。
ニーチェはこの自己愛と同様に、
自己讃美の体得も難しい
と考えていたのではないでしょうか。
上で、
「幸福への道は少なからず迷うもの」
と述べましたが、
自己讃美の体得も少なからず迷うもの
ニーチェはそう見ていたのではないでしょうか。
(つまり今回の話の賢者=ニーチェというわけです)
さて、
自己讃美だけでも難しいのに
さらにもう1つ条件が加わっていて、
要求が多すぎるのではないか。
そういう賢者の言葉に対して愚者は、
自己讃美のためには、
世間の中で暮らして
他人を軽蔑することが必要不可欠だ
だから世間が必要なのだと答えました。
つまり愚者が答えていたのは2つの条件ではなく、
両方合わせて1つの自己讃美のあり方を
述べたものだったわけです。
愚者の述べている自己讃美は、
「周りと比べて自分はすごい」
という形のものでしょう。
相手を下げることが不可欠の自己讃美、
これをすることで幸福になれる。
こういう主張をする者をニーチェは「愚者」と
名付けているわけですから、
軽蔑を必要不可欠とする自己讃美は愚かしい
とニーチェは見ていそうです。
以上をまとめると、
愚者
・幸福への道は簡単
・幸福になるには自己讃美をすればいい
・自己讃美には他人を軽蔑することが含まれる
賢者(=ニーチェ)
・幸福への道は簡単なものではない
・幸福になるには自己讃美をすればいい(?)
・(自己讃美は世間に暮らすこととの両立が難しい)
※
主張をはっきりした愚者に対して、賢者が
「幸福になるには自己讃美だけでいい」
と主張したかどうかは疑問符が付きます。
賢者は愚者との対話から、「2つの条件」なら
自己讃美で十分だと答えただけですので。
今回の話でニーチェは、
誰かを軽蔑する形での自己讃美を
愚かしいものとした上で、
他人と比べることのない自己讃美
というものがあるのだ
とほのめかすに留まっています。
ニーチェがそのような自己讃美、
あるいは幸福をどう捉えたかは、
また別の言葉から
考えてみなくてはなりません。
しかし、
他人と比べずに自分を褒めたたえる
ってどうするんだろう?
そう考えて日々の生活を送っていくのも
実りがありそうです。
今回の超解説は以上です。
ニーチェ超解説シリーズ、
今後も楽しみにしていただければと思います!
また、応援いただけると大変励みになります。
それでは。また別記事で!
追記(2021.5/11)
以下の記事で、ニーチェの「軽蔑」について取り上げています。
その際に、今回の愚者の言う「他人を軽蔑すること」も合わせて解説しております。
是非ご一読ください。
参考文献
フリードリヒ・ニーチェ『喜ばしき知恵』村井則夫(訳)、河出書房、2012年。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中(訳)、河出書房、2015年。
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