マガジンのカバー画像

創作小説集

8
運営しているクリエイター

記事一覧

イン・マイ・ブレイン

「知ってる?死んだ人の脳を食べると幸せになるんだよ」
 海のような静かな眼には、確かな儚さが潜んでいた。

 夢をあきらめないで。皆さんには無数の選択肢があり、輝かしい未来があります。だからどうか、夢をあきらめないで――そういっていたのは誰だっただろうか。小学校の校長だっただろうか。それとも卒業式の来賓だっただろうか。中高生特有の幼い反抗心が、大人を見下していた。しかし、その誰かが放ったその陳腐で

もっとみる

 あなたは、消えてしまいたいと願ったことがあるだろうか。理由はなんでも構わない。とにかく現状から抜け出したい。もがいてもがいて、気づけばがんじがらめになって、固結びになってしまったそれを解くのにも疲れ、長い長い結び目たちを引き摺って歩く。そのうち気づくはずだ。解くよりも、全て無にしてしまったほうが楽だと。

 目を覚ますと、何の変哲もないいつもの自室だった。家賃をケチって借りた狭い部屋には、ローテ

もっとみる
透けた虚栄心、坂を下って

透けた虚栄心、坂を下って

 人間とは不可解だ。相手のことなど全くわからなくとも信用関係を築くことができる。もちろん言葉を交わして親睦を深めることはできる。だがその言葉の全てが信頼に値するかどうかなどわからない。何となく雰囲気で、我々はそれらを真実として疑わない。疑ってしまった時点で、正誤がわからない以上、疑った方が不誠実になってしまう。そうなってしまえば、答え合わせのない人間関係などどこまでいっても薄っぺらいものでしかない

もっとみる
永い憂鬱

永い憂鬱

「知ってる?死んだ人の脳を食べると幸せになるんだよ」
 同窓会が終わりに近づいた頃、久々に会った彼女は唐突にそう呟いた。

 大学へと進学し、地元の仲間と疎遠になり、ろくに彼らと連絡を取ることもしなかった。進学を機に仲が悪くなったわけではない。その当時、一度築いた友情は確固たるものであると錯覚していたのだ。
 だが現実はそうではなく、野風に晒され続けたそれは、知らぬ間に風化していた。
 かつての友

もっとみる

土着神の観測

 世界各地を旅していた時の話だ。ある湿度の高い地方の街を訪れた。

 街は海が近く、市場にはさまざまな煌めく鱗が並んだ。海に鍛えられた男たちは屈強で、その男を支える女もまた、快活で逞しかった。
 背の低い家々が並ぶその通りにはさわやかな潮風が吹き、海に向かう子どもたちが駆けていた。少し歩けば美しい海が見える岬があった。

 その岬から海を眺めているとき、私は視界の隅に小さく蠢く黒い何かを捉えた。目

もっとみる

神聖、或いは悪意

 寒い夜のことだ。暖かな赤提灯につられ、下町の大衆酒場にぶらり立ち寄り、熱燗を舐めていた。
 しばらくすると、耳まで隠れるような、たいそうな首巻きをしたみすぼらしい格好の翁が近寄ってきた。翁は、面白い話を聞かせるから、その代わりに酒を奢れと言う。浮浪者の多く住まうこの下町では特別珍しいことでは無い。
 特に金に困っていたわけでもない私は、面白い話であればそれで良し、つまらなくとも寂しさが紛れるなら

もっとみる

私、ラブロマンスが好きなの。

 別れは自分から切り出した。
 特に大きな喧嘩もないまま3年付き合った彼女は、裏では他の男と浮気をするような薄情な女だった。
 それが発覚した時、不思議と悲しみや怒りの類の感情はなく、どこか滑稽に感じている自分に驚いた。
 
 愛していなかったわけではない。まめに連絡をとり、彼女との時間を多く設け、記念日にはプレゼントを贈った。休みの日には人気のデートスポットへ出かけたり、安いながらも清潔にしてい

もっとみる
ある男の話

ある男の話

「この店はコーヒーが美味しいらしいんだ」
 丁寧に手入れされた顎髭を撫でながら、男は言った。

 2×××年、技術の進歩によって世界は発展し、身の回りのものはほとんどAI化、簡略化されていた。先の有名人の言葉を借りれば、これは生物の進化の新たな形だ。

「人の手によって作られる珈琲店なんて今どき珍しいのに、客がいないですね」
 広いとはお世辞にも言えない店内には、髭面の男と若者の2組以外には、1人

もっとみる