あなたは、消えてしまいたいと願ったことがあるだろうか。理由はなんでも構わない。とにかく現状から抜け出したい。もがいてもがいて、気づけばがんじがらめになって、固結びになってしまったそれを解くのにも疲れ、長い長い結び目たちを引き摺って歩く。そのうち気づくはずだ。解くよりも、全て無にしてしまったほうが楽だと。
目を覚ますと、何の変哲もないいつもの自室だった。家賃をケチって借りた狭い部屋には、ローテーブルと簡素なベッド、そして様々な分野の参考書が詰められている小さな本棚だけがあった。やけに明るいスマートフォンは、アラームのかかる15分前の時刻を表示していた。
生卵と白飯だけの簡素な朝食をとり、身支度を整え、いつもと同じ時間に会社へと向かう。
肩を押し合いながら、険しい顔の中年男性たちと電車に乗る。車窓から見える空は、お世辞にもいい天気とは言えない曇り空だった。良い天気だろうが豪雨だろうが、それこそカエルが降ってきたって、男たちはいつもと同じ時間に、同じ電車の同じ車両に、同じしかめっつらで押し込まれているのだろう。
日々になんの感動も覚えなくなったのはいつからだろうか。かつては湯水のように湧き出た活力も枯れ果て、日々の小さな作業の積み重ねに押しつぶされぬよう生きている。抱いた野望はどこへやら。押入れの奥の奥の方で今頃は埃にまみれ、二度と日の目を見ることはないように思われた。
楽しくも辛くもない作業をただこなす。情報を伝達するのみの機械的な会話を繰り返す。エネルギーを満たすためだけに量だけの安弁当を食べる。残業だって行う。文句を言っても仕方がない。ただその日を終えるためだけにこなし続ける。
そして悲壮感が静かに漂う電車に乗り、既に熟睡している街を歩き、人々の認知が及ばない、小さな小さな部屋に帰る。
野望や夢に突き進み、本当にそれを掴んで、そうでなくとも彼らが辿り着いた執着地点に満足できる人間が、この世に一体何人いるのだろうか。
人生はドラマだ、なんて誰が言ったのだろう。よっぽど能天気か、裕福な人間かのどちらかだ。こんな変わり映えのないドラマがあってたまるか。だが放送打ち切りというわけにも行かない。現実というテレビ局は融通が効かない。
こんな日々、いっそのこと壊れてしまえばいいのに。朝、目が覚めなければいいのに。それか目が覚めたら誰も俺のことを知らないとか、なんらかの大きな虫になっていた、とかでも構わない。
それか大きな隕石が直撃して、全てが狂ってしまえばいい。俺の職場を誰か爆破してくれないだろうか。テロとかに巻き込まれないだろうか。
この前買った、お偉いさんが書いた自己啓発本を読んだ。これを読めば人生が変わる、なんて傲慢にも程がある謳い文句が、五十代とは思えないぎらついた目玉をした男の傍に書かれていたはずだ。
もともと興味がなかったが、お偉いさんの頭の中はいかほどかと思って買ってみたのだ。だが、考え方を変えよう、みたいなタイトルのついたページで読むのをやめた。俺の考え方が変わることで仕事が減るわけがないし、楽しくなるわけがない。一種の洗脳だ。脳内にお花畑を作るなら、今のまま何も考えず模範的な歯車として、屈強な肩たちにはまって回り続けたほうがいくらかマシだろう。
怒りも文句も特にはない。何かを望むからそういった感情が生まれるのだ。ただこの日々にはもう飽きてしまった。全てを投げ出してどこかへ行ってしまいたい欲望が全身を走る。こんな人生、無くなってしまえばいい。それか全てを忘れさせてくれる、目眩がするほどの刺激が欲しい。それら全て望まない者には得られないことを知りながら、今夜もまた、電気を消した。
次の日、アラームの音で目が覚めた。いつもと違う朝に少しばかり焦りを覚え、時刻を確認するとほぼ遅刻だった。アラームは一体何度繰り返して鳴っていたのだろうか。今まで遅刻したことなんてなかったのに。
急いでスーツに着替え、起き上がって五分もしないうちに家を後にした。駅まではそう遠くはない。全力で走れば遅刻はするかもしれないが、被害は抑えられる。
ホームまで駆け降りると、ちょうどその電車が発車するところであった。よかった、ギリギリ間に合った──。
しかし男が電車に身体をねじ込もうとしたその時、扉が閉まり、警笛とともに電車は走り去っていった。
男はただ唖然としていた。日本でこんなことがあるなんて。日本のお客様ファーストの考え方には些か疑問を抱いていた彼であったが、この時ばかりは怒りを通り越し、半ば呆れていた。
そうだ、タクシーを拾えばまだ間に合うかもしれない。そう思い改札を出て、駅前に停まるタクシーに駆け寄る。しかし男が充分に近づいても扉は開かなかった。前方には空車の表示がされているのに、だ。まあ気づかない時もあるだろうと思い、助手席の窓をノックして運転手に開けるよう伝えようとした。だが運転手は、少しこちらを向いただけで全く扉を開けようとしない。
流石に男も穏やかではいられなかった。後部座席のドアを乱暴に開け、行き先だけを投げつけた。運転手は何も言わなかったが、口を開けたまま、呆けた顔でただ後部座席を眺めているだけだった。そしてドアを開けて外に出ると、いま男が開けたドアを開き、男を物色してきた。なにをするんだ、と男が言うと、ひっ、と喉を空気が通っただけのような小さな呻き声を発し、どこかへと走っていってしまった。
この事態を男は全く理解できないでいた。あの運転手の行動全てが意味不明であったが、とにかく遅刻を避けたい気持ちが勝ち、とりあえずそのことは後で考えることとした。
大通りで手を挙げてタクシーを捕まえようとするも、一向に止まる気配がない。
手を思い切り伸ばしても、試しにぶんぶん振ってみても、全てのタクシーが前を通り過ぎていった。まるで男を意図的に無視しているかのように。
なんだっていうんだ。もう遅刻が確定してしまったため、急いで連絡をしようとスマートフォンを取り出して、男は固まってしまった。スマートフォンの画面が明るくなるその直前、真っ暗なディスプレイには「何も」写っていなかった気がした。
もちろん画面が点灯していないのだから当たり前であるが、その黒い画面であるからこそ、写し出されるはずのものが、写っていなかった。
男は駅構内を走って、隅にある便所に飛び込んだ。便所に入ってすぐ、そのすぐ先には大きな鏡が──
鏡があった。ただその鏡も、写すべきものを写してはくれなかった。男は静かに鏡に歩み寄って、手を触れた。手のひらに確かにガラスの冷たい感触がある。しかし鏡の中には、男はいなかった。
夢ではなかった。先ほど引っぱたいた頬がまだ痛むのがその証拠だ。これは一体なんなんだ。映画や小説なら、例えば透明人間になる薬があって、それを飲んで透明になるとか、まあそんなくだりがあるだろう。俺がそういう類のものを飲んだ?もしかしてたまたまいい具合に、食い合わせが上手いこと言って、偶然そういう薬が──できるわけない!
とにかく理解の及ぶことではないのだけは確かだ。とりあえず今日は会社を休んで、病院に行ってみよう。もしかしたら脳の病気かもしれない、そう思って会社の連絡先をタップしようとした時、ある考えがよぎった。
会社にもう行かなくてはいいのではないか、ということ。今の男は、誰からも認知されることがない。自分自身の目には手や足が見えているが、鏡には写らないし、他者からも見えていないようだ。ただ触ることも触られることもできるし、声を出せば相手に聞こえるということも、タクシーの一件で分かっている。
私は、自由だ。
男は、それまで彼を縛っていた常識とかモラルとか日常とか、そういった全ての鎖が、がらがらと音を立てて地に落ちるのを感じた。
込み上げる笑いを必死に抑えながら街中を走った。走る姿が見えなくとも、笑い声が街中にこだましてしまっては、新たな都市伝説としてネットの掲示板に一生残ってしまう。男の目には街の景色全てが、それまでのものとは違って見えた。俺は自由だ。もう何者も、俺を縛ることはできないのだ。
男は仕事に行くのをやめた。うるさいスマートフォンは誰にも目撃されないことをいいことに、惚れ惚れするようなオーバースローで川に投げ捨てた。もちろんその後身体をびしょ濡れにして、消えゆく着信音を頼りに探したのは言うまでもない。
金という鎖から解放された男は、もう歯車で居続ける必要がなかった。欲しい物があれば盗めばいい。誰が俺のことを捕まえられるというのだ。指紋があろうが足跡があろうが、本人を見つけられることが不可能である限り、法からも縛られていなかった。どうも透明化は着ている服にも影響を及ぼしているらしく、服の懐に仕舞い込めば、物でさえ全ての目を透過するようであった。
犯人は現場に戻るというのは本当らしい。男は小心者であるらしく、犯行後は必ずといっていいほどその現場を再訪した。しかし管理がずさんなのか、特に騒がれてはいないようだった。一応複数箇所にわけて、便宜上万引きとするその行為を行った。万引きの件数が爆発的に増加したことで、地方番組にて「◯◯市のルパンVS万引きGメン」という企画が何度も立ち上がるも、あまりの手がかりの無さにことごとく行き倒れになることを男は知らない。
だが月日が流れゆくのとともに、人類初の類の自由は、男の中で大きな意味を持たなくなっていった。透明になったとはいえ良心や常識が消えた訳では無い。ある程度の節度を保って生活をする、奇妙な透明人間として男は生きていた。
縛りの中において小さな幸せを見つける、ある種のマゾヒズムによって人間は社会で各々の幸せを定義してきた。解放を許された男が見つけたモノは崇高な答えではなく、ただ宙に浮いたままの自分であった。
働かずに好きなものを手に入れることは確かに夢のような話かもしれない。ただそれは縛られている人間の物差しによるものだ。この日々の生活は、果たしてかつて求めたものだっただろうか。その問いの解答をわざと空白のままにしていた。
ある時外に出ると、違和感を覚えた。その違和感の正体に気づくまで時間はかからなかった。視線を感じるのだ。ここ数年味わうことがなかったそれは、男にとってもはや新鮮なものでもあった。その時まで自分が孤独に耐えかね、寂しさに打ちひしがれていることさえ気づかなかった。
だがどうも様子がおかしい。大通りに出たところ、多くの人が男の周りに群がり、中にはスマートフォンで撮影している若者がいた。何事か尋ねたところ、群衆から歓声が上がった。
一体どういう仕掛けなんだ、すごいパフォーマンスだぞ。
まさか、と思った。確証はなかったが、男は、ゆっくりと身につけていた服を脱ぎ始めた。先ほどより一回り大きくなった群衆は、男が服を脱ぐごとに観衆をあげた。
全て脱ぎ終わると拍手喝采が巻き起こった。そして男は丸裸のまま、群衆を押し除けて、その熱気から抜け出した。
当人がいなくなった後も、彼の抜け殻には多くの人だかりができていた。
残念なことに男は未だ透明だった。誰も悲鳴をあげていないことがその証拠だ。透明でなくなっていたのは彼が身につけていた衣類であった。
男は、現実世界という鎖からも、少しずつ解放されていたのだった。
そういった類の趣味はなかったが、街を全裸で闊歩することに男は少なからず快感を感じていた。もうスリなどはできそうにもなかったが、それ以上に、真に全てのしがらみから解放された感覚を覚えていた。
そうだ、幸せが一体どのような形をしているのかなんて、考えるだけ無意味だ。もう俺は、現世にさえ縛られることはないのだから。どの物差しでも、俺を正しく測ることなどできないのだから。
男の身体は震えていた。果たしてそれは、興奮から起こるものであっただろうか。
それからどれだけの時間が経っただろうか。男は透明であることをいいことに、家々に居候して各地を転々としていた。男は全てから解放されていた。良心や常識からも。
自由である生活にはいつしか慣れ、その刺激のみが鈍っていった。男は立ち止まることがなかった。歩みを止めてしまえば、背景に消えてしまいそうで恐ろしかったのだ。彼の輪郭がまだ保たれているのか、もしくはすでに溶け出していたのか、確認する術などなかった。
いつしか男の発する声は、人の耳には届かなくなっていた。男は完全な透明人間となっていた。
男はかつて何を求めていたのだろうか。自由を手にしたはずなのに、幸福が手に入ることはなかった。かつての歯車だった時の日々は輝いてはいなかった。しかし輝かせることはできた。直視しなかったのは己だ。手中にあったはずの未来の糸を手繰ろうとしなかったのは己だ。幸せというものは、社会という枠組みの中で、幸か不幸かを測るその物差しがあってこそだったと悟った。
男にとって、なんでもあるというのは、なんにもないのと変わりがなかった。かつて己を縛っていた鎖が恋しくてたまらなかった。この悪寒をきつく縛って、抑えていて欲しかった。
降り積もっていた雪を踏み締めた。誰も彼を認知することはできなかったが、雪についた足跡が、彼自身に存在していることを確かにさせた。ああ、俺はここにいるんだ。
足の感覚が徐々に麻痺してきた。街灯がぽつりぽつりとつく線路沿いの道に立ち尽くす。もしこのまま野垂れ死んだら、一体誰が俺を見つけてくれるのだろう。生活も夢も人生も、人間の理も、全てを捨ててしまった俺が、今更後悔するのは身勝手なのだろうか。
失って初めて、自分がどれほど恵まれていたのかを実感した。甘んじていた自分を認めた。鎖が絡まっていくのを、ただ見て見ぬふりしていた自分を、今ではもう恨むことさえできなかった。それらを引き摺るその贅沢な苦痛でさえ、二度と味わうことはない。
内なる情動の火を絶やしたのは、他のナニモノでもない、自分自身だったのだから。
彼自身、自己を見つけることができなかった。舞い降りる雪たちは、男の遺した足跡を綺麗に消し去り、ただ世界を冷たく包んでいた。
そうして男は、かつて望んでいた通り、無限となった。